村民の農土からの叫びに不愉快、揚げ足、遺恨と暗い被害妄想の反論を並べられるだけ並べ、それを住民に配布した首長が日本の自治史上他にいたであろうか。
自己の肯定と保全から、それを擁護し、邪な策まで社会正義に掲げる者、平穏無事だけを願う中で倫理観、善悪の判断さえも喪いし村の議会。また一方、村民の正義を背景に立ち上がりし背く者もあれど、前線にて泥を被ることを拒み、身を呈して動く気配もなく、その背く者らの小屋を安住の場としてただ神風を待つ。村はやがて何もなかったように治まり、一年半後も風は同じ向きで吹く・・・。
あなたは、そんな理不尽な村を認められるか。それを放置できるのか。最早、村の将来は新村民のあなた方の意気に委ねられた・・・。
熊本県は四月、南阿蘇村の長野敏也村長が「中山間地域等直接支払制度」による交付金の対象にあった(2010年~)親族の農地を無断で駐車場に転用していたと指摘。
長野村長は隣接する甥の協定農地約四〇〇平方メートルにおいて、それを指摘されるまで約一年七カ月間、駐車場に転用。
「明らかな協定違反」(九州農政局)
同制度の協定に自ら立ち会い、協定の中身を熟知しているはずの村長の違反行為となると、それは過失ではなく、故意的行為。
問題が発覚した時、村に係わる医師が地元紙に「自ら弁済して、村長を辞職する。それが政治家の責任」と意見を寄せたが、村の六月議会では問題視する村内各地の農家約四〇人が傍聴席を埋めたにもかかわらず、村長が同問題で陳謝すると議会の質問は誰一人としてなかった。
傾斜地が多く耕作面積の狭い中山間地域は、農業の生産条件が平地部と比べて極めて不利ということで、集落ごとで協力し、農用地としてそれを続けていくという約束において、そこに交付金が支払われることになった。
一方、その中山間地域等直接支払制度における交付金は、その四分の一が「観光物産店で働く若者から年金生活の高齢者まで含めた村民の税金」である。
それを考えると、「負担軽減を求める意見書」(太田村議会議員)など、多くの村民にとっては「勉強不足」、また「一部に偏った嘆願」というのは確かな見解で、「政治家として失格、憤りさえ感じる」(看護士)という本音は正解。
もちろん、返還金の求められた長野集落の協定者(五十八名)には村民も同情するが、彼らのためにも求められるのは所在責任。
批判される太田議員も「原因は村長」と認めているわけで、そうした責任追及を「政争の具」と拒むところが不可解な結論。
そもそも協定の立会人である首長が「認識が甘かった」と、それを「過失」と言い訳すること事態が執行人としては失格。
首長の認識は首長としての基本的条件だとすると明らかに「故意の行為」であって、先述した医師の主張通り「返還責任を自ら負って、政治家として辞職」は一般的な常識。
ところで事件の発覚後、直ぐ「辞職に値する罪」と投書があって、マスコミも不可解な議会の対応を報道して、そして村民の一人は「村長告発」まで起こしたが、それでもこの理不尽が見逃されようとしている背景は、良く言えば「争いを好まぬ風土」で、悪く語れば「消極的な公的使命感」。さらに分かりやすく説明すれば、それは「政治家不在」。
村の一人は「政争は好まぬ」と言ったが、今回の村の事案は「政争」である。政治上の争い、対立であって、村の将来に向けても避けてはならない政争。JAあしきたの未来を良くする会は、一三七一名の署名を集めて、総大会で理事全員の解任を決定したが、南阿蘇村の現状、将来を考えると案外、理想とするリーダーは新村民の中ではなかろうかと期待し、祈るのだが・・・。