業界談合は一部地域業者による小規模事業を除いて死語になりつつあるが、その業者サイドから「制服を着ながら幅を利かせてきた」と語られるのが官製談合。発注側の「公正な執行」という鎧の内側での行為で、それだけに始末が悪い。
八代市では昨年8月、民主系の現職・福島和敏氏と自民系が首長ポストの奪還を目指して擁立した元県議の中村博生氏との間で熾烈な市長選挙が行われた。この時、同新人候補の支援で活発な運動を見せたと同陣営で語られているのが金子恭之代議士後援会。 その金子後援会の法被を羽織って、中村候補の出陣式に参列したのが「マリコン中堅の五洋建設」と、いまここに来て建設業界の話題となっている。
「八代市環境センターの受注を狙って金子代議士をバックに勝負に出た五洋建設」
ここまでなら一般市民には、同業者による妬みからの度の過ぎた中傷ですまされる。
ところが、同市がPFI方式で発注する同環境センターの建設(予定価格195億4285万9000円)に向けての入札(総合評価方式で12月に結果発表)において、話題の五洋建設をメインとしてサブに新日鉄住金エンジニアリング、そして東亜建設工業が企業体を構成して参加と関係者の話を聞くと、一般市民でも公共工事のイロハを理解できる者なら首を傾げてしまいたくなる話があった。
3月30日、東京都小笠原村沖ノ鳥島において、港湾係留築造他工事の建設現場で、中央桟橋を台船から引き出す作業中に同桟橋が転倒し、それが裏返しとなって死者7名を出す事故が発生。
同工事を請け負っていたのが、先に紹介した五洋建設、新日鉄住金エンジニアリング、そして東亜建設工業の共同企業体。
不幸な事故であったことは認めるが、その同情と事故再発防止のためのルールは別問題。
国土交通省、また市町村とかいう事業体に関係なく、公共工事における労災事故については二ヶ月から一年間までの営業停止、入札参加停止の処分が下される。県や市町村は国に準じてペナルティを科すが、死者7名ともなれば「半年以上の処分」というのが常識的な業界の見解。
しかし、それが何ら「お咎めなし」となると、民間資金の活用が目的のPFI方式とはいっても「八代市の思惑」に疑惑を抱くのは当然で、「法被姿の選挙運動」が笑い話ですまなくなる。そして、八代市の環境センター発注に向けた入札にはこれだけではなく、その中身において専門家からも疑問の声が挙がった。(つづく)
信じがたい自治にもかかわらず、他市町村議員は揃って「ああァ、美里町」と苦笑いして納得する。
平成24年12月議会では、誰一人も議員が質問をしないという異常事態を生み、これには県市町村課も「前例のない町議会」と名指しで批判。すなわち、隣町の爺さまが「町を怒る者は誰一人としていないのか」と不思議がって見ても、負の連鎖からくる「知らぬが仏」が無意識に生まれたともいえる。
繰り返しになるが昨年12月、美里町は全世帯の約1割(約400世帯)の参加をもって「東南産業跡地の用途変更に伴う住民説明会」を開いたが、そこでは変更となる「定住住宅事業」について、「何ら説明はなかった」と町民は語った。
隠蔽したか、それとも町民への説明責任は慣れから抜いたかはともかく、肝腎な彼らの責任の部分は飛ばして事業変更への理解を求めたわけだが、それ以前にその責任ある点について自ら公開した人物がいた。
同町議会の福田秀憲議員が、自分の活動報告(ブログ)の中で「7月12日の全員協議会で『建屋を解体して整地するには相当の費用がかかり、建物の借りてが出てくれば宅地にはせず、貸し出す』と、基本計画の予算は凍結」と理由について、その3ヶ月前に発信。
最近にあっても菅義偉官房長官が、「政治家というのは色んな場面で説明責任が求められる」と語った。同官房長官の場合は、政治家個人の政治倫理に関してのコメントだが、美里町での説明責任は同町の明日に関わる全町民の問題。
その説明責任を同町執行部は意識してか、無意識にかはともかく欠いた。しかし、先行して情報発信した福田議員が政治責任を果たしたかとなると、そこには彼にも疑問符が打たれる。代議士の記念写真まで載せた陳情報告にもかかわらず、これが町民の誰一人として話題にならなかった限定版も理由だが、問われるのは後述する政治家責任そのものだ。
彼らが用途変更の理由とした点は、「解体、造成に多額の事業費を新たに必要とする東南産業跡地は定住住宅事業には適さない」と一年前に購入の際、同僚議員の吉田美好議員が一人だけ出した反対意見。彼らは多目的利用で同地購入を承諾したわけではなく、「人口減少に歯止めを掛ける上での定住住宅事業であって、辞める前(3ヶ月)に何だと思われようが、新首長には『重要事案』だと必ず約束して引き継ぐ」といった長峯前町長の事業趣旨に賛成して、了承した事項。
彼らに政治家としての品位があるなら表現は悪いが、「用途変更の前に土下座」である。
無駄の繰り返しが、知らぬは仏になってはならないのだ。・・・つづく・・・