「私利私欲ではない」=海上保安官がコメント―ビデオ流出(時事通信) - goo ニュース
世の中には、究極の選択というものがあるものです。”苦渋の選択”という言葉は、海上保安官の尖閣ビデオ公開にこそ相応しいと思うのです。
もし、ビデオが公開されないままであったとしますと、我が国の巡視船と中国の漁船の、どちらが”犯罪者”であったのか、判然としない状況が続いていたはずです。実際に、ビデオが公開されないのをこれ幸いと、中国政府は、巡視船が漁船に衝突してきたと中国国民に説明し、日本国政府に対しては、謝罪と賠償を求めるありさまでした。いわば、中国政府から、海保は”犯罪者”と名指しで非難されていたのであり、日本国は、無実の罪で訴えられていたのです。国際社会の反応も、事実関係が分からないのでで、日本国政府が海保側の行為の正当性を主張しても、疑心暗鬼といったところでした。
無実を罪を晴らすためには、ビデオ公開しかないとしますと、ここに究極の選択が付きつけられることになります。職務規定に違反しても、国家の名誉と正義のために無実の罪を晴らすのか、それとも、罪人呼ばわりを受入れて、政府の命じるままに沈黙するのか。
自らを捨てても、正邪を明らかにし、国家の名誉を守ろうとした海上保安官の選択を、誰が責めることができるのでしょうか。政府から罵倒され、海保の内部からも冷たく突き放されている海上保安官の痛々しい姿は、どこか重い十字架を背負っているように見えるのです。
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無実を罪を晴らすためには、ビデオ公開しかないとしますと、ここに究極の選択が付きつけられることになります。職務規定に違反しても、国家の名誉と正義のために無実の罪を晴らすのか、それとも、罪人呼ばわりを受入れて、政府の命じるままに沈黙するのか。
自らを捨てても、正邪を明らかにし、国家の名誉を守ろうとした海上保安官の選択を、誰が責めることができるのでしょうか。政府から罵倒され、海保の内部からも冷たく突き放されている海上保安官の痛々しい姿は、どこか重い十字架を背負っているように見えるのです。
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