万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

70年談話は必要?-中韓の土俵に上るリスク

2014年12月29日 15時33分08秒 | 国際政治
戦後70年談話発表へ=外交摩擦、拭えぬ懸念(時事通信) - goo ニュース
 第二次世界大戦の終結から70年を迎える来年、日本国では、首相談話の行方が関心を集めております。50周年記念の年には村山談話が発表され、60周年記念の年には小泉談話が公表され、10年の節目ごとの首相談話が慣例化してきたからです。

 しかしながら、この”慣例”、踏襲すべきなのでしょうか。少なくとも、戦後50年の間、先の戦争に関して首相が特別に談話を公表することはありませんでした。慣例とはいっても、社民党出身の村山首相が始めたことであり、しかも、談話の内容は、複雑なアジアの歴史を単純化し、イデオロギー色の強い中韓の”歴史認識”に沿うものでした。そして、その後の日中、並びに、日韓関係を見ますと、中韓は、談話という名の言質を日本国から採ったと言わんばかりに、僅かでも史実に基づく発言をしようものなら、”歴史修正主義者”のレッテルを張り、外交圧力を強めるようになったのです。いわば、村山談話とは、中韓の歴史をめぐる対日闘争の土俵に、日本国が引きずり込まれる切っ掛けとなったのです。”敵”と見なした相手に対して、過去の反省を執拗、かつ、暴力的に強要する中韓の態度は、毛沢東主義の吹き荒れた文革時代の中国共産党の行動と変わりがありません。日本国は、さながら批判集会で吊し上げにあった、三角帽を被せられた”反革命分子”のようです。

 70年談話は、史実に誠実であれば、中韓の批判を招き、史実に反すれば、国内世論の激しい反発を買いますし、戦後10年を経過する度に、日本国の首相が中韓の”歴史認識”をなぞる慣例こそ、既に、中韓のペースに嵌ったことを意味します。70周年は、全ての戦争犠牲者に対する鎮魂をもって頭を垂れ、戦争を反省するならば、全人類と共に反省すべきではないでしょうか。

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コメント (2)
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