万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”欠席裁判”と化したユネスコ記憶遺産制度

2015年10月20日 17時04分18秒 | 国際政治
 ”南京大虐殺関連資料”のユネスコ記憶遺産登録の一件は、記憶遺産の制度そのものに対する不信感を高めることとなりました。当事国双方の間で争いのある事件に関して、一方の側の主張のみを認めて登録を決定したのですから。

 ユネスコの記憶遺産制度の目的は、あくまでも、人類史に照らして価値のある遺産を保存することにあるはずです。この崇高な目的に協賛するからこそ、加盟国は拠出金を負担し、ユネスコの活動に協力を惜しまないのです。ところが、今般の登録決定のように、ユネスコの目的とは離れ、対立含みの事件に関して、特定の国の”歴史認識”を裏書きする役割をユネスコが引き受けたとしますと、この前提は、脆くも崩れ去ります。ユネスコは、国際的な合意もないまま、遺産の保存活動を担う機関から、歴史を審判する機関に”衣替え”してしまったに等しいのです。この”歴史の審判”にあって、ユネスコは、”事実認定”の役割を演じたとになるのですが、通常の裁判であれば、一方のみの主張で判断を下すことはあり得ないことです。否、それは、”欠席裁判”と称されて、近代司法制度ではあってはならない不公平な欠陥裁判なのです。

 ユネスコは、たとえ中国から有形無形の圧力や破格の厚遇を受けたとしても、不当な”欠席裁判”に加担するべきではありませんでした。ユネスコの目的を再確認すると共に、それにふさわしい姿に、再度、”衣替え”しないことには、ユネスコの信頼回復はあり得ないのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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