万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

深刻な”天皇像”の分裂ー統合のパラドクス

2016年12月04日 13時32分05秒 | 日本政治
 2016年8月8日に公表された”天皇のお気持ち”を機に、目下、日本国では、天皇の譲位(生前退位)問題が有識者会議の下で議論されています。専門家等からのヒアリングの場が設けられたものの、賛否両論が拮抗し、収拾がつかない事態に至っています。

 大まかには、摂政設置による対処を主張する現状維持論と法改正による退位容認論との対立となりますが、後者にあっても、一代限りの特別立法案、皇室典範改正案、憲法改正案といった複数の案が並立しており、一枚岩ではありません。議論が紛糾している割には対立点や論点が必ずしも明確ではなく、これらが実際に何を意味するのか、国民も理解に苦しむはずです。こうした先の見えない混乱の原因はどこにあるのか探ってみますと、そもそも、日本国における”天皇像”というものが分裂している事実に行き着きます。

 第1の天皇像は、伝統的な国家祭祀の長としての姿です。日本国では、日向から東征して葦原中津国を制定した神武天皇を以って建国の祖としていますが、興味深いことに、神武天皇も即位後には目立った政治的な活動は記紀に記されておらず、国家祭祀に役割の重点を移しています。天皇親政の時期も若干見られるものの、祭政二元体制は、鎌倉期以降、日本国の基本的体制として定着し、幕末まで続きます。もっとも、『魏志倭人伝』が伝えるように、古代にあって祭祀を司る神聖なる人物を共立することで国を纏めた事例がありますので、国家祭祀の長と統合は密接な関係にあります。天皇の存在意義は、その神聖なる求心力にあります。『日本書紀』もこのような天皇の役割において、天皇を定義しております。

 第2の天皇像とは、古今東西の歴史に共通して見られる統治者としての天皇像です。『古事記』は、天皇の役割を「治天下天皇」としておりますので、統治者としての天皇像もまたあったと言うことができるでしょう。君主としての”天皇像”は、明治期に至り、『大日本帝国憲法』において法的に位置づけられました。もっとも、憲法上の”天皇大権”は、立憲君主制における一機関とみなす立場と天皇親政と解釈する立場との間で対立を生むなど、戦前にあっては、政治的混乱の要因ともなりました。

 
 そして、第3の天皇像は、戦後、”象徴天皇”という全く新しい概念の下で創設された天皇像です。現行の『日本国憲法』の第一条では、天皇を国家と国民統合の象徴と定めており、天皇の役割としては、第1の”天皇像”を継承しています。しかしながら、その求心力=統合力は、国家祭祀に求められてはおらず、今般の”お気持ち”では、全国の慰問や訪問が”象徴天皇”の役割と解されているようです。

 現行の『日本国憲法』を読むと、第3の天皇像をベースとしながら、統治機構において国事行為を定めており、第2と第3の天皇像との混合形態です。ただし、民主主義の観点から、第2の天皇像については、自らの政治的意思を表示をしたり、政治に介入することは許されず、国事行為は手続き上の形式に過ぎません(共和政体が存在するように、統治機構上においては、絶対に必要不可欠な存在ではない…)。となりますと、第3の天皇とは何か、という問題が重要となってくるのですが、最も重要な第1の天皇像との分離が起きている今日、天皇の存在意義は何処にあるのか、国民自身も、内心において疑問を感じているように思えます。

 政治家、政党、各種宗教団体…、そして、一般国民の各自が、それぞれ違った”天皇像”を求めているとしますと、議論が纏まるはずもありません。日本国民統合の象徴としての天皇が、現実には”天皇像”において分裂しており、それが日本国を不安定化しているとしますと、今日の天皇は、パラドクスに満ちているのではないでしょうか。

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コメント (8)
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