ロシア外相 外務防衛の閣僚協議「2+2」再開必要で一致
ロシアのプーチン大統領の訪日を機に、ネット上のブログでも、北方領土関連の記事が目立つようになりました。中には、ソ連邦による北方領土領有を、ポツダム宣言第7条等に基づいて正当化する意見も掲載されておりましたので、本記事では、この記事への反論を試みたいと思います。
”ロシア領支持説”の論理構成は、以下の通りです。
(1)スターリンは、当事の国際法、並びに、連合国の不拡大方針に照らして、対日参戦は侵略と認識していた。
(2)対日参戦に伴う兵士の犠牲を理由にソ連邦から見返りを求められた米英は、不拡大方針の原則を曲げ、北方領土を含む千島列島全島の割譲を認めた(ヤルタ密約)。
(3)ソ連邦は、ヤルタ密約に従い、ドイツ降伏から3か月後に参戦。
(4)ソ連邦は、連合国の一員として、7月26日に発せられたポツダム宣言の日本国による拒絶を理由に8月8日に参戦。
(5)8月18日以降の千島列島占領は、ポツダム宣言第7条に基づく合法的行為。
(6)サンフランシスコ講和条約の領土放棄は、対ロでも有効。
この論理構成でまず第一に重要、かつ、問題となるのは、ソ連の対日参戦の合法性です。この記事では、(1)と(2)の事実証明が欠けており、何らの証拠も提示されていないのですが、仮に、(1)と(2)が事実であれば、スターリンは、事前に、対日参戦が侵略であると認めていることとなります。となりますと、当事者自らが違法性を認識していたわけですから、仮に、司法解決となりますと、対日参戦違法論の有力な証拠となります。
第二に、ヤルタ密約そのものが、アメリカの国内法手続きの瑕疵のみならず、国際法に照らしても違法であるという点です。密約の無効性や任意の諸国による合意が第三国に対する非拘束性については既に指摘がありますが、一括りに連合国とは言っても、全連合国の間で軍事同盟条約を締結していたわけではないことも重要なポイントです。1942年1月1日の連合国共同宣言の前文でも、”各政府の敵国”と表現されています。仮に、連合国の一員であれば対日参戦が可能であれば、連合国に加わった時点において、ソ連邦は、日ソ中立条約を破棄したはずです。しかしながら、その後も日ソ共に同条約を順守しており、この両国の態度は、むしろ、日ソ間での同条約の有効性を示しています。また、ヤルタ密約が軍事同盟の意味を持つとする主張もありましょうが、日ソ中立条約が存在している以上、ソ連側には日本国に対する通告義務があったはずです(騙し討ちに等しい…)。
それでは、ポツダム宣言の日本側による拒絶は、ソ連邦の参戦を正当化できるのでしょうか。ポツダム宣言は、米英中の三カ国が発しており、ソ連邦は蚊帳の外です。この点については、”ロシア領支持説”は、(3)においてヤルタ密約をも根拠としていますが、たとえ英米が認めたとしても、ポツダム宣言の当事国以外の第三国が、当宣言の受託拒否を以って参戦の根拠を得られると見なすには無理があります。
第三に、(4)では、ソ連邦による千島列島占領は、ポツダム宣言を日本国が拒絶したからこそ、実行されたと主張されていますが、上述したように、ポツダム宣言は、米英中の3ヵ国による宣言であり、かつ、根拠とされる第7条では、”聯合国の指定すべき日本国領域内の諸地点”とあります。8月18日の時点で、日本国領域における占領に関する聯合国の合意が成立していたとは考えられません。
第四に、サンフランシスコ講和条約では放棄先国を明記しておらず、米英を含む連合国は、ロシア領であるとは認めていません(2016年12月18日修正)。少なくともアメリカのダレス国務長官は、1956年8月19日に、日ソ交渉に際して『日本が南樺太・千島を放棄し、特に国後・択捉をソ連領として認めるならば、サンフランシスコ条約違反となる。これは、サンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになり、この場合は米国としてはサンフランシスコ条約第26条により沖縄を永久に領有する。』と述べたそうです。
結局、”ロシア領支持説”とは、法的合法性を論じているように見えながら、その実、”米英が認めたようであるから問題なし”と見なす政治的打算論、あるいは、無法容認論に過ぎないようです。北方領土の割譲は、日露戦争における日本国による領土拡張のしっぺ返しであると述べ、第一次世界大戦以降の国際法の発展過程をも無視しているのですから。任意の諸国による不当な合意が、国際法における違法性を消し去れるわけでもありません。また、たとえ一時的な打算があったとしても、戦後の米英は、不拡大方針に回帰しております。仮に、米英が、対日参戦に伴うソ連兵の多大なる血の犠牲の見返りとして北方領土の割譲を認めたとしても、現実には、ソ連邦は然したる犠牲も払わずに領土を拡張しており、代償条件も崩れております。
以上に述べた諸点は、北方領土問題については、司法解決が最も望ましいことを示しています。日本国は、戦後、その責任者が国際軍事裁判の法廷に立たされた国であるからこそ、未来の人類の為にも、あくまでも司法解決を追求すべきと思うのです。
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”ロシア領支持説”の論理構成は、以下の通りです。
(1)スターリンは、当事の国際法、並びに、連合国の不拡大方針に照らして、対日参戦は侵略と認識していた。
(2)対日参戦に伴う兵士の犠牲を理由にソ連邦から見返りを求められた米英は、不拡大方針の原則を曲げ、北方領土を含む千島列島全島の割譲を認めた(ヤルタ密約)。
(3)ソ連邦は、ヤルタ密約に従い、ドイツ降伏から3か月後に参戦。
(4)ソ連邦は、連合国の一員として、7月26日に発せられたポツダム宣言の日本国による拒絶を理由に8月8日に参戦。
(5)8月18日以降の千島列島占領は、ポツダム宣言第7条に基づく合法的行為。
(6)サンフランシスコ講和条約の領土放棄は、対ロでも有効。
この論理構成でまず第一に重要、かつ、問題となるのは、ソ連の対日参戦の合法性です。この記事では、(1)と(2)の事実証明が欠けており、何らの証拠も提示されていないのですが、仮に、(1)と(2)が事実であれば、スターリンは、事前に、対日参戦が侵略であると認めていることとなります。となりますと、当事者自らが違法性を認識していたわけですから、仮に、司法解決となりますと、対日参戦違法論の有力な証拠となります。
第二に、ヤルタ密約そのものが、アメリカの国内法手続きの瑕疵のみならず、国際法に照らしても違法であるという点です。密約の無効性や任意の諸国による合意が第三国に対する非拘束性については既に指摘がありますが、一括りに連合国とは言っても、全連合国の間で軍事同盟条約を締結していたわけではないことも重要なポイントです。1942年1月1日の連合国共同宣言の前文でも、”各政府の敵国”と表現されています。仮に、連合国の一員であれば対日参戦が可能であれば、連合国に加わった時点において、ソ連邦は、日ソ中立条約を破棄したはずです。しかしながら、その後も日ソ共に同条約を順守しており、この両国の態度は、むしろ、日ソ間での同条約の有効性を示しています。また、ヤルタ密約が軍事同盟の意味を持つとする主張もありましょうが、日ソ中立条約が存在している以上、ソ連側には日本国に対する通告義務があったはずです(騙し討ちに等しい…)。
それでは、ポツダム宣言の日本側による拒絶は、ソ連邦の参戦を正当化できるのでしょうか。ポツダム宣言は、米英中の三カ国が発しており、ソ連邦は蚊帳の外です。この点については、”ロシア領支持説”は、(3)においてヤルタ密約をも根拠としていますが、たとえ英米が認めたとしても、ポツダム宣言の当事国以外の第三国が、当宣言の受託拒否を以って参戦の根拠を得られると見なすには無理があります。
第三に、(4)では、ソ連邦による千島列島占領は、ポツダム宣言を日本国が拒絶したからこそ、実行されたと主張されていますが、上述したように、ポツダム宣言は、米英中の3ヵ国による宣言であり、かつ、根拠とされる第7条では、”聯合国の指定すべき日本国領域内の諸地点”とあります。8月18日の時点で、日本国領域における占領に関する聯合国の合意が成立していたとは考えられません。
第四に、サンフランシスコ講和条約では放棄先国を明記しておらず、米英を含む連合国は、ロシア領であるとは認めていません(2016年12月18日修正)。少なくともアメリカのダレス国務長官は、1956年8月19日に、日ソ交渉に際して『日本が南樺太・千島を放棄し、特に国後・択捉をソ連領として認めるならば、サンフランシスコ条約違反となる。これは、サンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになり、この場合は米国としてはサンフランシスコ条約第26条により沖縄を永久に領有する。』と述べたそうです。
結局、”ロシア領支持説”とは、法的合法性を論じているように見えながら、その実、”米英が認めたようであるから問題なし”と見なす政治的打算論、あるいは、無法容認論に過ぎないようです。北方領土の割譲は、日露戦争における日本国による領土拡張のしっぺ返しであると述べ、第一次世界大戦以降の国際法の発展過程をも無視しているのですから。任意の諸国による不当な合意が、国際法における違法性を消し去れるわけでもありません。また、たとえ一時的な打算があったとしても、戦後の米英は、不拡大方針に回帰しております。仮に、米英が、対日参戦に伴うソ連兵の多大なる血の犠牲の見返りとして北方領土の割譲を認めたとしても、現実には、ソ連邦は然したる犠牲も払わずに領土を拡張しており、代償条件も崩れております。
以上に述べた諸点は、北方領土問題については、司法解決が最も望ましいことを示しています。日本国は、戦後、その責任者が国際軍事裁判の法廷に立たされた国であるからこそ、未来の人類の為にも、あくまでも司法解決を追求すべきと思うのです。
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