万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

北方領土問題の正しい解決方法はICJへの付託では

2016年12月19日 14時23分25秒 | 国際政治
【プーチン大統領来日】領土交渉の「壁」は日米安保条約 露、オホーツク海の要衝軍事化を警戒
 南シナ海問題に対しては、日本国政府は、法の支配の原則を掲げ、国際法に照らした解決を主張し続けていおります。その一方で、新聞報道によりますと、安倍首相は、”法的立場を延々とお互いに主張しあっても埒がが明かない”といった内容の、危うい言葉を漏らしたそうです。

 ところで、北方領土問題については、サンフランシスコ講和条約締結時には日本国は放棄していたものの、1956年の日ソ共同宣言に際してアメリカから”横槍”が入り、四島返還要求に変更したとする説があります。しかしながら、若干詳しく調べてみますと、この時、突然に方針を変えたのではなく、講和交渉に際して、日本国政府は、択捉島と国後島についても自国領として主張していたようなのです。サンフランシスコ講和条約は1951年9月8日に署名されますが、翌9日に、吉田茂首相は、”南千島”が自国領である旨を演説で述べたと言います。

 この基本認識はアメリカとも共有しており、署名に先立つ同年2月には、ダレス米国務長官は、”南千島”は日本領と発言しています。翌年の3月29日には、アメリカ上院も「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島その他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、こらの権利、権限、及び、権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」と決議し、この基本方針は、同条約第25条にも明記されているのです。日ソ共同宣言に際してアメリカが”ソ連への割譲を許すならば沖縄も返還しない”と脅したのも、同条と続く第26条に基づく当然の対応として理解できます。

 ところが、不可解な事に、1951年10月に至り、国会での答弁において、日本国の西村熊雄外務省条約局長が千島列島には南千島を含まれるとする発言しております。この立場は1956年2月に取り消されますが、北方領土ロシア領支持説の人々は、常々、この答弁を日本国による放棄の根拠に挙げています。もっとも、ロシア側も、エリツィン大統領の時代には、ソ連邦時代や今日のプーチン大統領とは異なり、択捉島と国後島には領土問題があることを認めていましたので、日本国政府による見解の変更については、それ程重要視する必要はないように思われます。

 以上の経緯から浮かび上がるのは、サンフランシスコ講和条約では、北方領土の帰属については、アメリカは日本領と見なしたものの、何らかの事情、おそらく、連合国内の見解の不一致によりペンディングされたのではないか、ということです。そして、条約の解釈から生じる問題の解決をICJに託した第22条こそ、北方領土等の問題解決を想定した条項であったとする説にも頷けるのです。となりますと、北方領土問題の最も正しい解決方法とは、ICJへの付託ということになりましょう。 

 ダレス国務長官は国際法の専門家でもあり、第二次世界大戦の処理に際しても、国際法に照らして一点の曇りもなき解決を目指したのかもしれません。連合国が大西洋憲章で掲げた領土不拡大の原則は、連合国諸国の間の合意に留まらず、当時の国際法、並びに、法の一般原則とも合致した最も基本的な法的原則です。国際社会を無法地帯と化さないためにも、日本国政府は、堂々と司法解決への道を歩むべきと思うのです。

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