先日、5月3日付の日経新聞の朝刊一面には、日本国政府の予備費に関する記事が掲載されておりました。コロナ対策を根拠として従来の10倍に予備費を増額し、2年間で3兆7121億円も確保しながら、その3割が使い残しているという内容です。同記事の趣旨は、予備費に対する監視体制の強化を訴えるところにあるのですが、国会での審議・採決を経ずして政府による閣議決定のみで拠出できるため、予備費には、財政民主主義、並びに、議会制民主主義を損ないかねない様々な問題が含まれています。そして、日本国政府によるウクライナ支援費の拠出も、問題点の一つなのではないかと思うのです。
ウクライナ危機にあっては、当初からアメリカのバイデン政権は、ウクライナへの支援を表明してきました。もっとも、アメリカでは、大統領の一存、あるいは、政府の決定でウクライナ支援が決定されるわけではありません。その経緯を見てみますと、3月上旬に、議会において22年度予算が成立するに際して、ウクライナへの支援金として136億ドル(約1兆5千万円)が組み込まれています。同予算額はバイデン大統領の要求をも上回っており、迅速な予算成立には、ウクライナ支援に熱心な超党派議員達の活動があったとされます。その後、5月10には、上下両院での可決、並びに、大統領の署名によりウクライナに対する「武器貸与法(ウクライナ民主化防衛レンドリース法)」が成立するのです。目下、バイデン大統領は、議会に対して追加支援を要請していると報じられていますが、アメリカでは、その形骸化が指摘されつつも、対外的な軍事支援の決定に際しては、議会制民主主義の正当な手続きを踏んでいると言えましょう。
こうしたアメリカでの政策決定過程と比較しますと、日本国政府のウクライナ支援には、危うさを禁じ得ません。何故ならば、日本国のウクライナ支援は、政府の予備費から拠出されているからです。ウクライナ危機に際して、日本国政府もウクライナ支援をいち早く表明し、2月27日には、1億ドル(訳115億円)の緊急人道支援を約しています。同人道支援は、2021年度予算の一般会計予備費から支出されますので、国会は全く関与していないのです。
同人道支援は、日本国政府の説明によりますと、「シェルターや保健・医療、水・衛生、食料など緊急性の高い分野」とされていますが、3月10日には、ウクライナ側からの軍事支援の要請を受ける形で自衛隊の装備品である防弾チョッキとヘルメットの供与を決定しました。同装備品の提供については、「防衛装備移転三原則」に定めた禁止対象とはならないとしながらも、その後も、防護マスクや監視用ドローンの提供など、支援対象が拡大しているのです。こうした支援に要する予算は、上記の人道支援とは別途に予備費、あるいは、防衛費から支出しているものと推測され、ここにも、国会のみならず、国民的議論も見当たらないのです。
アメリカにおける「武器貸与法」の成立は、第二次世界大戦時以来とされており、日本国にとりましても無関心ではいられない側面があります。先の大戦にあっては、同法は、1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃、並びに、それに連鎖したナチス・ドイツからの宣戦布告に凡そ9か月も先立った、同年3月11日に成立しているからです。同法は、公式の開戦、すなわち、第二次世界大戦へのアメリカの参戦の一里塚となったという意味において、いわば、連合国対枢軸国という同世界大戦の対立構図を決定づけた重要な法律であったとも言えましょう。
こうしたアメリカの「武器貸与法」の歴史を振り返りますと、政府の閣議決定のみによるウクライナ支援については、それが日本国の参戦という事態にも至りかねないが故に、不安が過ります。当時のアメリカと同様に、今日の日本国は、紛争の直接的な当事国ではありません。しかしながら、攻撃兵器ではないにせよ、ウクライナに対して軍用品を提供していますので、ロシアから一方的に敵国認定され、宣戦布告を受ける可能性はゼロではないのです(ロシアは、自国の軍事行動を国際法違反とは認識していないので、日本国の支援は、敵対行為として認識されてしまう…)。
日本国が戦争の当事国となる可能性がある以上、ウクライナ支援については、民主的な手続きに従い、国会、並びに、国民的な議論は不可欠なように思えます。少なくとも、予備費を伴う閣議決定のみによる支援決定は議会制民主主義の迂回ルートともなりかねず、日本国民の多くも危惧することでしょう。中国の軍事的脅威が迫る中、ロシアとの戦争に国力を消耗することが正しい選択なのか、ウクライナのために日本国民が犠牲となることを甘受するのか、他に手段はないのか、などなど、議論となれば、様々な問題提起や提案があるはずです。第三次世界大戦の回避も重大なる人類の課題なのですから、直接的なウクライナへの支援にこだわらず、ウクライナ危機を終息へと向かわせるために知恵を絞るべきではないでしょうか。日本国政府の深慮なき支援決定が、日本国民の生命を危機に晒すとしますと、日本国政府の責任は重大でないかと思うのです。