万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

平和には世界政府よりも国際警察・司法機構が望ましい理由

2022年05月27日 11時15分41秒 | 国際政治
今日、グローバル富裕層さえも、平和の実現を人類共通目的とすることには表立って反対はできないことでしょう。言葉だけであっても、各国政治家、グローバリスト、並びに、’セレブ’と呼ばれるプロモーション係の人々も、メディアを介して戦争を糾弾し、世界平和を積極的にアピールしています。本心はどうであれ、人類共通の目標として平和の実現を設定することには異論はなさそうです。

それでは、国際社会においてどのようなシステムを構築すれば、平和は実現するのでしょうか。この問題を考えるに際して、大きく分けて二つの方向性があるように思えます。この二つとは、’世界(グローバル)のヴィジョン’と’国際機構のヴィジョン’として理解されます。以下に、両者を比べてみることとしましょう。

’世界政府のヴィジョン’にあっては、国家は消滅すべき存在であると認識されています。国家こそ、戦争の張本人であると見なしているからです。確かに、国家は戦争の行為主体ですし、地球の表面が国境線によって区切られ、大中小の様々な国家がひしめき合う今日の国際社会は、多数の紛争や戦争の発生要因を抱えています。この見解からしますと、諸国家から構成されている現行の国民国家体系は危険な状態であり、何れは消滅、あるいは、解消されるべきものとなるのです。分散的で並列的な国民国家体系を全面的に否定し、集権的で垂直的な全く別の体制への転換を訴えている点において、’世界政府のヴィジョン’は、ドラスティックな革命思想であるとも言えましょう。

一方、’国際機構のヴィジョン’は、今日の国民国家体系の延長線上にあります。国際機構とは、あくまでも国家の集合体ですので、’世界政府’のように、国境線で仕切られた国家の枠組みが消えるわけではありません。世界政府論では、戦争原因である国家の消滅が同政府の設立を正当化していますが、’国際機構のヴィジョン’では、その役割は、あくまでも国家から委託された範囲に限定されるのです。そして、この委託された役割とは、全ての国家の主権、領域、並びに、国民の安全の保障に他なりません。国内レベルにあって、警察や司法機関が個々人の基本的な権利や自由を護っているように、国際レベルにあっては、国際機関、即ち、国際警察・司法機構が、個々の国家の権利や自由を擁護するのです。

ここで重要となる点は、’世界政府のヴィジョン’では平和の実現という大義名分の下で国家の統治権限が召し上げられてしまいますが、’国際機構のヴィジョン’では、国家の統治権限は、ほとんどそのままに保たれていることです(国家の独立性の維持…)。国際機構の役割は安全保障の分野に限定され、しかも、その任務の具体的な内容も、’戦争’ではなく国際法の執行行為ですので、国家の政策権限を同機構に移譲する必要はないのです。否、国際機関が、世界政府のように既存の国家から政策権限を移譲させ、国境の廃止を強要する組織ともなれば、それは、自己矛盾、あるいは、自らに任務を委託している国家に対する背信行為ということになりましょう。そして、この側面は、世界政府が諸国家の’敵’となり得る理由をも示しています。

以上に二つのヴィジョンについて簡単に比較してきましたが、3つめのヴィジョン、あるいは、世界政府論の修正版として、‘世界連邦国家のヴィジョン’があるかもしれません。しかしながら、安全保障の分野に限定して言えば、‘世界連邦制のヴィジョン’、即ち、世界連邦政府の樹立構想にも論理的な矛盾があります。

現存する連邦国家における連邦政府と州政府との間の権限配分が示すように、歴史的に見て、連邦政府の権限は、主として対外政策の領域にあります。連邦国家とは、帝国の表向きの近代化という側面もありますが、複数の中小国が団結して対外的な共通の敵に立ち向かう必要性に迫られて建国されたケースも少なくないのです。このように、共同の防衛や安全保障の強化が連邦制の主要な存在理由であるとしますと、世界レベルにおいて連邦制を採用する理由は見出し難くなります。何故ならば、‘共通の敵’を失った世界連邦政府は、その設立と同時にその役割を失ってしまうからです。

今日、ネット上で宇宙人の実在論やSFの世界のような宇宙人来襲が流布されているのも、人類共通の敵が存在していた方が、世界政府論者や世界連邦政府論者にとりましては好都合であるからなのかもしれません。経済のグローバル化への対応として始まったEUに見られる国家連合の形態については別の角度からの考察を要するものの、少なくとも安全保障の分野においては、’国際機構のヴィジョン’の方が、現実的であると同時に合理的であり、かつ、全ての人類の未来像として望ましいように思えるのです。

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