万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

銃規制問題が示唆する全諸国による核武装の合理性

2022年05月30日 13時29分47秒 | 国際政治
 アメリカではテキサス州のユバルディで発生した小学校での銃乱射事件を機に、銃規制の強化を求める声が高まっています。無差別乱射事件が発生する度に銃規制問題が持ち上がり、メディアや民主党支持者を中心に銃の危険性がアピールされるものの、なかなか進展は見られません。その理由の一つは、人間、すなわち、人々の自己保存の本能を取り去ることが極めて困難であるからではないかと思うのです。

 人とは、外部環境に関する情報処理能力に長けていますので、自らの理性に照らして自分自身の命が危うくなるような状況を受け入れようとはしないものです。否、全ての生物には生存本能が備わっていますので、それが直感であれ、動物であっても命の危険を避ける行動をとることでしょう。銃規制や核規制の問題とは、まさに生命に係わりますので、人々の生存本能を強く刺激してしまう問題領域なのです。

銃規制が遅々として進まない理由も、多くの人々が、実際に銃規制が行われたとしても、必ずしも自らの安全が護られるわけではないと疑っているからなのでしょう。そして、銃規制支持者の人々も、深層心理においてはその必要性を暗に認めているのかもしれません。何故ならば、銃規制を政策的に推進している人々も、自らは銃を放棄しようとはしていないからです。

例えば、バイデン大統領をはじめ銃規制に熱心に取り組んできた民主党の歴代大統領にあって、護衛やシークレットサービスを廃止した人はいません。先日の大統領訪日に際しても、首都東京では物々しい警戒体制が敷かれ、街角には普段より多くの警察官が配置されました。日本国では法律によって銃規制が行われていますので、本来であれば安全な場所なのですが、それでも厳重な警備を外そうとはしなかったのです。銃の所持が許されているアメリカ国内であれば、なおさらのことでしょう。もちろん、大統領や政治家は公人ですので、政治的なテロから身を護るという理由もあるのでしょうが、銃規制を訴えるGAFAMのトップ等をはじめ、民間の民主党支持者の多くも、銃を保持している、あるいは、自らは銃を身につけていなくとも、銃を携帯したボディーガードに自らの安全を護らせているはずです。

もっとも銃規制支持者が銃によって守られているという自己矛盾については、おそらく、犯罪者や暴力組織が銃を所有し、治安を脅かしている現状を以って正当化しようとすることでしょう。’銃を所持している悪人がいるのだから、仕方がない’と。しかしながら、この言い分では、そのままそっくり銃規制に反対する人々の主張と同じ、ということになってしまいます。正当防衛を主張しているのですから。

それでは、犯罪者や暴力組織といった悪人が銃を取り上げる一方で、警察のみが銃を保有する状態に至ることは可能なのでしょうか。論理上は、全ての悪人が銃を持たない状態に至れば、銃による忌まわし事件は消滅し、正当防衛論を唱える必要性はなくなることでしょう(この点、先に犯罪者や暴力組織を対象に銃規制を始めるのは順序としては正しい…)。しかしながら、先日の記事でも指摘したように、全ての悪人から銃を没収することは、必ずしも簡単なことではありません。必ずや隠し持つ者が現れ、無防備の人々を銃によって脅そうとすることでしょう。

そして、銃規制をめぐる状況は、まさしく核規制の問題と重なります。中国やロシアのみならず、北朝鮮といった暴力主義国家も核を保有し、他国に対する脅迫のみならず、先制使用も辞さない構えなのですから。しかも、’警察のみが保有し、危ない人物や組織から危ない攻撃手段を取り上げる’という銃規制の前提条件は、国際社会では既に崩れております。また、中国、ロシア、北朝鮮といった諸国から力づくで核を取り上げようとすれば核戦争となりますので、核規制の方が銃規制よりもはるかにハードルが高いと言えましょう。

核保有国が同盟国に提供する’核の傘’も、いざというときには開かない可能性もあり、中小の非核保有国は、自らの生存の危機に直面しています。このように考えますと、全諸国による核保有は、現実を直視すれば必ずしも’悪’と決めつけるべきものではなく、むしろ’善’であると同時に、極めて合理的、かつ、論理的な結論のように思えてならないのです。

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