アメリカのバイデン大統領の訪日については、その歴史的な意義を強調する論調が少なくありません。予定されている日米首脳会談では、ウクライナ危機を背景とした日米関係の強化のみならず、将来的な中国による台湾進攻を見越した対中協力の一層の強化を約することとなりましょう。経済分野においても、同会談にあって岸田首相はアメリカが主導するIPEFへの参加を表明する意向なそうです。
今般のバイデン大統領の訪日には、抗ロシア・中国を目的とした軍・政・経の三方面からの陣営固めの観があるのですが、同大統領訪問に先んじて報じられた防衛費増額には、いささか疑問があります。何故ならば、防衛費増額の具体的な対象が通常兵器であるならば、それ程の抑止効果は期待できないからです。
第二次世界大戦末期にあっては、日本国も、自軍の劣勢を挽回すべく、原子爆弾の開発に着手しています。この時の核開発には起死回生の期待が込められていたのですが、核兵器が形勢を逆転させ得るゲームチェンジャーとなることは疑い得ません。今日、北朝鮮やイランが、NPTに違反しても核兵器の開発保有を試みているのは、核兵器こそ、実のところ’弱者の兵器’であるからに他なりません。たとえ通常兵器において劣位していても、核兵器さえあれば、最強の軍事大国に対しても優位してしまうのです。仮に、先の大戦末期にあって、日本国やドイツが核兵器開発競争に勝利し、アメリカをはじめとした連合国諸国が未保有の状況にあったならば、人類の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
核兵器とは、弱小国であっても、それを保有していれば平時にあって核保有軍事大国に対しても強力な抑止力として作用すると共に、非保有国に対しては、その軍事力のレベルに拘わらず、有事に際して絶大な攻撃力あるいは破壊力を発揮します。この側面からしますと、今般、日本国政府が対ロ中戦を想定して通常戦力を強化したとしても、中ロの両国が核保有国である限り、膨大な防衛予算は無駄になりかねないのです。
開戦当初にあって通常戦力戦となる場合、世界屈指の自衛隊の戦闘力からすれば、ロシア軍や人民解放軍と対等に戦うことはできましょうし、米軍と共同防衛に当たれば、易々と人民解放軍の上陸を許すことはないかもしれません。とりわけ四方を海に囲まれている日本国の場合、近海の水域での侵入阻止が重要となるのですが、海上自衛隊は、世界最強とも称されるそうりゅう型潜水艦をはじめ、高性能の潜水艦を備えています。
水中戦にあって自軍が劣位するとなりますと、中国やロシアは、空の戦いに重点を置く可能性が高くなります(もっとも、サイバー攻撃や生物・化学兵器によるテロにも注意…)。初戦は日本国上空の制空権をめぐる戦闘機等による空中戦が行われ、仮に、相手国にこれを掌握された場合には、爆撃機のみならず大規模なドローン兵器の投入もあり得ましょう。
対抗策としては、地対空ミサイル等の増強も必要となるのでしょうが、第二次世界大戦時とは異なり、今日ではミサイルが主要な攻撃手段として使用されています。中ロからしますと、制空権を得るまでのコストや時間を考慮しますと、ミサイルの使用の方が合理的であると考えるかもしれません。しかも、ロシアや中国は核保有国ですので、当然に、核ミサイルによる攻撃もあり得ます。中国は、核の先制不使用を宣言しておりますが、中国の口約束ほど当てにならないものはありませんし、ロシアは、核の先制使用を現実的な選択肢として公言しております。通常兵器戦で劣勢であるほど、ロシアも中国も核使用の判断に傾くこととなりましょう。今日のミサイル防衛システムのレベルでは、核弾頭が空中で飛散するような最新型の核ミサイルに対抗することは極めて困難ですので、日本国は、核攻撃に対して無防備な状態にあるのです。
有事に際しての核攻撃があり得るとしますと、日本国は、アメリカの‘核の傘’による抑止力に期待するしかなくなるのですが、今般の日米首脳会談では、日本国が核攻撃された場合におけるアメリカによる核による報復攻撃は確約されたのでしょうか。ウクライナ危機を見る限り、同盟国といえども、他国のために自国が核攻撃を受けるリスクは回避したいのがアメリカの本音のように思えます。となりますと、岸田首相は、同会談において日本国の核武装こそ打診すべきなのではないでしょうか。
通常兵器における軍拡競争は何れの国にとりましても財政上の負担、すなわち、国民の税負担の増加、あるいは、公共サービスの低下を意味します。費用対効果や資源の有効利用を考えましても、核兵器の保有は検討に値しましょう。次回のG7は、非核化への願いから被爆地である広島で開かれるとする報道もありますが(米英仏は核保有の特権を手放したくないのでは…)、何れの国がNPT体制の見直しを言い出さなければならないのであるならば、中小国の立場を代表して国際社会に同問題を提起し得るのは、核の悲惨さをその歴史において経験した日本国こそ相応しいのではないかと思うのです。二度と原子爆弾が人類に対して使用されないために。