万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

'常識'からの良い意味での逸脱が第三次世界大戦を回避する?

2023年04月14日 10時24分43秒 | 国際政治
 陸上自衛隊ヘリコプターの墜落につきましては、事故であれ、事件であれ、全容解明は不可欠な作業です。しかしながら、事実が判明し、それが、戦争や対立の誘発を目的とした某国や某組織が引き起こした事件であった場合には、軍事、並びに、政治的な対応については、慎重な判断を要するかもしれません。言い換えますと、常識、否、固定概念からの‘良い意味での逸脱’を要するかもしれないのです。第三次世界大戦の発生は人類の敗北、否、滅亡を意味しますので、戦争回避こそが最優先課題であるからです。

 そこで、国家間の二元対立、かつ、中国あるいはロシアによる攻撃であった場合に第一に考えられる日本国政府の対応は、‘開き直り’です。開き直り‘作戦とは、陸自ヘリコプターの墜落を挑発行為と見なし、同事件を機に、如何なる国とも開戦に至ることは決してない、とする姿勢を内外に宣言するのです。第三次世界大戦を回避という、れっきとした根拠を添えて、開き直るのです。

 ‘開き直り作戦’は、アメリカの偽旗作戦であった場合にも通用します。日本国は、同盟国であるアメリカの対中挑発作戦に利用された格好となるのですが、日本国が、第三次世界大戦の回避を理由として反撃を控えれば、アメリカは日米同盟を発動させることはできず、‘第二次日中戦争’を引き起こし、自らも参戦する根拠を失います。もっとも、陸自ヘリコプターの墜落が日米共同作戦である場合には日米共犯関係となり、真相は有耶無耶となることでしょう。もっとも、現状を見ますと、日本国政府も自衛隊も事故説を採っておりますので、日米両国による偽旗作戦である可能性は低いように思えます(仮に、今後、日米共に中国攻撃説をもって対中批判を強める場合は要注意・・・)。

 ‘開き直り作戦’とは暴露でもありますので、これ以上計画を進めることが困難となり、戦争抑止効果が期待されます。しかしながら、同作戦が困難な場合の次善の策としては、敢えて‘事故’として処理する、あるいは、迷宮入りにしてしまうという方法もあります。これは、たとえ日本国政府が動かぬ証拠を掴んだとしても、中ロによる挑発には乗らず、意図的に無視することを意味します。事件を事故として扱いますと、国民に‘嘘を吐く’ことになりますので、後者の迷宮入り、すなわち、調査継続とした上で、第三次世界大戦のリスクが去った後に機密情報を解除する方が望ましいのでしょう。この点、上述した日本国政府と自衛隊の対応は、この文脈において理解されるかもしれません。

 それでは、三次元対立の場合はどうでしょうか。このケースでは、そもそも各国の政府とも世界権力の‘駒’に過ぎないのですから、日本国政府もまた、真相究明よりも、同権力体からの指令を優先するものと予測されます。需要情報は隠蔽され、配下のメディアをも総動員して中国攻撃説を喧伝し、国民を戦争に向けて扇動することでしょう。戦争準備は、国家体制を戦時体制という名の全体主義体制へと変換させる口実とも成りましょう。

 しかしながら、世界権力が完全に各国の政府を掌握し切っていない、あるいは、一部であれ抵抗・対抗勢力が存在していたり、国民の多くが同勢力の謀略に気がついているような場合には、昨日の記事で述べたように、世界権力をテロ組織と見なして対応するチャンスがあります。議会、警察・検察、公安等のそれぞれの機関の独立性が高く、権力分立がしっかりしているほどに、同チャンスは広がります。陸上自衛隊ヘリコプターの墜落も、それが世界権力の仕業であれば、日本国の国内法に基づき、テロ対策の一環として捜査や訴追ができます。また、国際レベルにあっても、国際刑事裁判所(ICC)であれば、民間人に対しても侵略の罪を問うことも不可能ではないのです。

 第三次世界大戦の回避という側面からすれば、三次元対立であった場合の方が戦争リスクは著しく低下することでしょう。何故ならば、テロとの戦いは、日常的な長期戦にこそなれ、必ずしも国家間戦争に直結しませんし(もっとも、容疑者の捕縛や刑の執行に際して要する強制力としての武力行使はあり得る・・・)、国際法や国内法に基づく司法解決では、基本的には武力行使を要さないからです。そして、第三次世界大戦の回避は、平時におけるテロ対策として長期的に遂行されてゆくこととなりましょう。世界権力の工作活動を取り締まると共に、その政治家を含む売国的な協力者を排除してゆくという作業です。

 以上に、二次元対立と三次元対立の二つに分けて考察してきましたが、冒頭で述べたように、何れの対応でも、第三次世界大戦の回避を最優先課題に据えますと、良い意味での常識からの逸脱を要することが分かります。前者については、‘攻撃即反撃’という開戦の‘常識’から抜け出す必要がありますし、後者についても、非常識とされてきた陰謀論を事実として認めなければ成り立ちません。両者とも、これまでの常識や固定概念からの逸脱が人類を救済すればこそ、良い意味での逸脱であり、むしろ、正常化と表現する方が相応しいかもしれません。従来の‘常識’こそ、人類の良識や良心を歪め、リスクに晒してきたのかもしれないのですから。

 もちろん、陸上自衛隊ヘリコプターの墜落は、事件ではなく事故であった可能性もあり、取り越し苦労に過ぎないかもしれません。しかしながら、国際情勢が緊迫化し、かつ、全世界の全体主義化が懸念されている中での出来事ですので、リスク管理の側面からも、あらゆる可能性について考えておくべきように思うのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 事件であった場合の陸自ヘリ... | トップ | 岸田首相襲撃事件‘やらせ発言... »
最新の画像もっと見る

国際政治」カテゴリの最新記事