第二次世界大戦後、国民国家は戦争を興す元凶と見なされ、批判の的となってきました。各国の飽くなき国益の追求こそが、戦争の主要因である、と…。
この見解に立脚しますと、国家から構成される国民国家体系は平和に対する重大な脅威であり、それ故に、平和を実現するために国家を弱体化する、あるいは、廃絶に持ち込むことを”正義”とする論調も生まれてきました。特に、カール・マルクスが国家消滅論を唱えたため、政治家であれ、知識人であれ、左派の多くは国家を敵視したのです(もっとも、共産主義の本家となったソ連邦も中国も、現実には、国家主義の権化となりましたが…)。しかしながら、この見解は、現実に起きている現象から反証を受けています。第一に、ナポレオン戦争をはじめ、二度の世界大戦の背後にも、ユダヤ系金融勢力の暗躍が指摘されており、戦争の勃発、長期化、激化…の要因として国家以外の勢力が蠢いている現実があります。この点は、相互依存論が見落としている側面であり、国際的な経済関係の拡大は、時にして戦争を”ビッグなビジネス・チャンス”と化してしまうのです。第二に、ヘロドトスが既にその事例を『歴史』において報告しているように、移民集団は、古来、内乱や内戦の原因ともなってきました。国家が消滅するとしますと、際限のない人の流動化が起きるわけですから、争いが起きないはずもありません。現に、イスラム過激派は、国境を越えたネットワークを介してテロを仕掛けています。将来、人類は、人種、宗教・宗派、民族…などが入り乱れた騒乱の時代を迎えるかもしれません。第三に指摘すべきは、国家の機能不全が起きている、あるいは、過酷な支配が行われている地域ほど、住民の流出が起きていることです。このことは、国家機能が存在しない状態では、人々の命さえ危険に晒され、平穏な生活など望むべくもないことを示しています。国家が消滅した場合、避難民を受け入れる受け皿もなくなるわけですから、一体、人類は、どこでどのような生活を送ればよいのでしょうか。第4に、今日の国際法は、国民国家体系を前提としておりますので、国家の消滅は、国内のみならず、国際社会における法の支配の消滅をも帰結します。そして、失われる諸価値は、法の支配のみではないのです。
国民国家体系が破壊された後、人類は、国家ではなく、最後に勝ち残った特定の非国家集団に支配されるのかもしれません。現状では、最後の勝者については、既に国際ネットワークを世界大に張り巡らしており、かつ、団結力や縁故意識が強いユダヤ人、華人、そして、イスラム教徒等が有利な状態にあります。仮にこのような展開になれば、多くの人々は、国家を壊したことを後悔するのではないでしょうか。
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この見解に立脚しますと、国家から構成される国民国家体系は平和に対する重大な脅威であり、それ故に、平和を実現するために国家を弱体化する、あるいは、廃絶に持ち込むことを”正義”とする論調も生まれてきました。特に、カール・マルクスが国家消滅論を唱えたため、政治家であれ、知識人であれ、左派の多くは国家を敵視したのです(もっとも、共産主義の本家となったソ連邦も中国も、現実には、国家主義の権化となりましたが…)。しかしながら、この見解は、現実に起きている現象から反証を受けています。第一に、ナポレオン戦争をはじめ、二度の世界大戦の背後にも、ユダヤ系金融勢力の暗躍が指摘されており、戦争の勃発、長期化、激化…の要因として国家以外の勢力が蠢いている現実があります。この点は、相互依存論が見落としている側面であり、国際的な経済関係の拡大は、時にして戦争を”ビッグなビジネス・チャンス”と化してしまうのです。第二に、ヘロドトスが既にその事例を『歴史』において報告しているように、移民集団は、古来、内乱や内戦の原因ともなってきました。国家が消滅するとしますと、際限のない人の流動化が起きるわけですから、争いが起きないはずもありません。現に、イスラム過激派は、国境を越えたネットワークを介してテロを仕掛けています。将来、人類は、人種、宗教・宗派、民族…などが入り乱れた騒乱の時代を迎えるかもしれません。第三に指摘すべきは、国家の機能不全が起きている、あるいは、過酷な支配が行われている地域ほど、住民の流出が起きていることです。このことは、国家機能が存在しない状態では、人々の命さえ危険に晒され、平穏な生活など望むべくもないことを示しています。国家が消滅した場合、避難民を受け入れる受け皿もなくなるわけですから、一体、人類は、どこでどのような生活を送ればよいのでしょうか。第4に、今日の国際法は、国民国家体系を前提としておりますので、国家の消滅は、国内のみならず、国際社会における法の支配の消滅をも帰結します。そして、失われる諸価値は、法の支配のみではないのです。
国民国家体系が破壊された後、人類は、国家ではなく、最後に勝ち残った特定の非国家集団に支配されるのかもしれません。現状では、最後の勝者については、既に国際ネットワークを世界大に張り巡らしており、かつ、団結力や縁故意識が強いユダヤ人、華人、そして、イスラム教徒等が有利な状態にあります。仮にこのような展開になれば、多くの人々は、国家を壊したことを後悔するのではないでしょうか。
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金融の専門家の言う事と経済の専門家の意見がぶつかり合い 、経済の専門家の言う事と法律の専門家のいう事が対立する・・・
ピカソの描く抽象画のような世界であるとの指摘です。
この指摘を元に考えてみますと、国民国家としての意思の統一が図れなくなっている・・
専門分野の狭い視点だけですので全体の構図を描くことができなくなっているのではないかと思います。
昨日、藤巻健史氏と藤井聡氏の論争を見ていたのですが・・
藤巻健史氏の主張は悲観論・・それも明確な誤りが多すぎる、経済・金融の素人レベルの見解しか示せない・・
例えば、ここ数年の内にタクシーの初乗り料金が1兆円になる事があると思われますか ?
キャベツが一個500万円になるような事が起きると思われますか ?
日銀と政府の関係も役割も理解しないままに、通貨暴落・ハイパーインフレ論を唱える・・
このような人物がマスコミで専門家として珍重され、国会議員である事を考えますと国家を解体しようとする勢力の存在があると思われてなりません。
SEALDsの言うような理想論は、マンガや物語のご都合主義の平和論でしかないのです。
国家解体を狙う勢力・・コミンテルンの亡霊は未だにさまよっているのでしょう。
ISにも違和感があったのですが・・コミンテルンが偽装していたと思えば納得できるのです。
イスラーム教は厳格な戒律を伴う宗教で、ネットで呼びかけて人を募るような宗教ではありません。
特に原理主義ともなりますと、厳格なイスラーム信者でなければならないはずです。
この矛盾も国家解体を画策する勢力が存在すると仮定しますと・・コミンテルンも仮面の一つなのかもしれません。
まさかとは思うのですが・・千年王国を建設しようとしているのでしょうか。
神ではない何者かが支配する千年王国・・
皆平等である世界・・誰もが等しく虐げられる世界でしかありません。
従順な羊と羊飼い・・羊飼いを支配するものだけが存在する世界・・・
理性万能主義・科学万能主義は創世記に出て来る、神と同じ力を得たとばかりに傲慢になり地の底に堕されたルシフアーの支配する世界・・
歴史の中で培われてきた伝統や文化が破壊され、哲学さえも失われてしまう世界・・
最後は、ソドムとゴモラのように天からの業火で滅ぼされてしまうのか、ゲヘナに投げ込まれ最後の審判を受ける事になるのか・・
国家解体の悪夢は聖書に頼らずともバルカン半島での悲劇を知ればわかると思うのですが・・
家の扉を開けて一歩外に踏み出すにも銃で武装しなければならない世界・・
隣人さえも信じられず銃を向け合う対立の世界・・
人類が、其のような厳しい神経戦に耐えられるでしょうか。
どこかで戦いが始まり戦火は瞬く間に世界を覆い尽くす世界、それが国家解体後の世界なのです。
我が国のお馬鹿さんと申しますか・・それが童話の平和な世界を信じる者にとって想像も付かない世界でしょうが、人間をあまりにも知らなすぎると言わざるを得ません。
欧米が中国の市場を頼る大きな原因は利潤の追求が原因です。
労働者の解雇の問題は金銭で解列出来るようにする。
ドイツも例外ではなく、ドイツの製品が世界最高と言われていた頃は徒弟制度の中で職人の育成が行われ技術の継承があった。
利潤追求が優先すれば、職人の育成ができなくなり技術も継承されない・・機械で平均的な製品しか生産できなくなり品質が落ち国際競争力を失ってしまう。
同じ現象が米国を中心に欧米で起こっているのです。
科学万能主義、理性万能主義の弊害が出ているのです。
VWの偽造問題も技術力の低下を明確に表す出来事です。
我が国でもマンションの基礎工事の手抜きなどモラルの崩壊を招きつつあります。
人の役に立ち社會を豊かにした結果として利益は得られるもの・・この常識が失われ利益追求だけになればモラルは失われ詐欺や偽装が横行し社會の秩序の基盤となる信頼が失われる事になります。
社會の基盤を破壊する事で国家解体は一層加速します。
国家解体の悲劇を回避するには、歴史に学べという事です。
温故知新・・慣習や風習にはそれぞれに意味があり叡智が隠されているものです。
一部の保守論壇のように大上段に振りかぶって天下国家を論じてみても庶民には届かない・・
人の認知できる範囲は狭いのです。
まずは隣人を愛すること・・近所の人に可愛がってもらった、その事が一番大切であり大事にしたい、子供の頃に遊んだ野山や路地裏での思い出、それが一番大切なものなのです。
過ごした濃密な時間・・大切な思い出が生きてゆくうえでの大きな支えであり勇気をくれるのです。
其のような大切なものこそが社會の秩序を形成し国家を守る意識に繋がるのです。
国家悪玉論・・立憲主義の焼き直しですよ。
立憲主義・・王侯貴族の専制に制限を掛けるべく生み出された仕組みですが・・
国民主権・・国家を構成するのは国民・・権力とされる国会は国民の代表・・国民の代理人であり、権力は国民にあるのです。
国民が憲法で自分達を縛る・・
国民には当然のことながら憲法改正の権利も持ちます。
国家悪玉論は国民とは悪であるという話になり・・権力対国民という図式は矛盾するのです。
少なくとも民主主義国家では・・
国民国家があるから戦争が起きるというのは、人間は戦争を望むとんでもない存在という話になるのです。
物事を一方からしか見ずに国家を論じるからおかしくなる・・
人間の持つ理性を否定する・・ニーチェの唱えるリヒリズムの世界そのもので、これこそが専門的な偏狭な視点での判断なのです。
健全なナショナリズムは戦争を望むわけでもなく、互いを認め尊重しあう事にあります。
共産主義も、新自由主義も、そして、宗教過激派…も、実のことろ、思想的には同根であるのかもしれません。他の人間に対して極めて冷淡、否、同じ人間としての人格さえ認めていないところがあるのではないかと思います。つまり、人間を、物か、家畜か、奴隷…のように扱っているように思われるのです。にも拘らず、同調者が少なくないところに驚きを感じます。国家とは、こうした自己中心的な欲望に駆られた人々の暴力や魔の手から他の無辜の人々を護る役割をも果たしております。国家破壊の衝動とは、野獣が野に放たれるのを望むようなものなのかもしれません…。
支配は法ではなく、歴代の天皇の名前に付いている文字で行うのが正しい。古代シナの賢者、孔子が正しい。
正しい立法とは、他者を害さないことを第一とし、相互に納得でき、全ての人に適用される行動規範や禁止事項等を一般的なルールとして定めることではないでしょうか。現代には、現代の人類に相応しい賢さが必要となります。