台湾における麻生自民党副総裁の‘戦う覚悟発言’については、‘抑止力の強化’という前置きが強調されたことで、今では、日本国内の保守層を中心にマスメディアによる政権批判誘導と見なす傾向にあります。同副総裁は、ストレートに台湾有事に際しての対中開戦を主張したわけではなく、‘日米台三国間による連携を基盤とした有事体制の強化が、中国に対する心理的な圧力となって同国の軍事行動を抑制する’と述べたに過ぎないとする解釈は成り立ちます。その一方で、抑止力を期待した一種の威嚇であれ、言語表現としては明らかに戦争を想定していますので、意図された‘挑発’と見なされる要素を含んでいることも疑い得ないことです。
過去の歴史にあって戦争を機に巨万の富とグローバルな支配力を手中にしてきた世界権力、並びに、同勢力と麻生副総裁との間のパーソナルな人脈を考慮しますと、第三次世界大戦への誘導発言であった可能性も否定はできなくなります。そして、もう一つ、同推理を補強する指摘があるとすれば、頑なに‘他の有効な手段’を無視する姿勢を挙げることができましょう。
‘他の有効な手段’の内、最も高い効果を期待できるのは台湾の核武装です。国共内戦に敗れた国民党が台湾に政府を移した後、時のアメリカ政府も蒋介石総統も、中国大陸奪還を諦めず、暫くの間反転攻勢の機会を伺っていました。しかしながら、1964年10月16日に中国が初の核実験に施行すると、これを機に台湾は大陸反攻路線の断念を余儀なくされます。核保有国となった中国に対する軍事行動が、核兵器による台湾、並びに、同国を支援するアメリカに対する報復を意味したからです(1970年3月には核兵器不拡散条約が発効・・・)。
核兵器をめぐる60年代の米中台の関係は、中国が台湾の武力併合を狙う今日にあっては、逆パターンとなる可能性を示唆しています。台湾が核で武装すれば、中国側も、核の報復を受けるリスクを負うことになります。独裁体制を盤石としたい習近平国家主席も、核の報復リスクは人心の離反を招きかねないのですから、台湾侵攻には慎重にならざるを得なくなりましょう。そもそも、自己優先の傾向が強いとされる中国人の多くは、自らの命や財産を危険に晒す‘祖国統一’は、内心、‘指導者’によるはた迷惑な行為と考えていることでしょう。
麻生副総裁が述べた‘戦う覚悟’とは、戦争遂行能力の増強を以て抑止力とする表現です。しかしながら、孫子の兵法の説く‘戦わずして勝つ’が上策であるならば、敢えて戦う姿勢をアピールしなくとも、台湾の核保有に言及した方が、余程、中国にショックを与え、かつ、現実的な抑止力となるはずです(中国からどのような反応が返ってくるのか、興味深い・・・)。この点からしますと、麻生副総裁は、核の抑止力について説明した上で、戦争を回避する手段としての台湾の核武装、あるいは、核防衛を表明すべきでした。そして、敢えてこの手段に触れなかったところが、麻生副総裁の発言の意図が強く疑われる理由でもあるのです。
ウクライナ紛争についても、「ブダベスト覚書」によってウクライナが核放棄に応じたことがロシアによる軍事介入を招いた一因として指摘されています。核兵器が強力な盾となる現実を直視すれば、台湾の核保有こそ、戦争を未然に防止する近道かもしれません。核の抑止力の具備は、‘戦わない覚悟’でもあります。この‘戦わない覚悟’は、世界権力が描く第三次世界大戦シナリオからの離脱をも意味しており、三次元戦争において人類側が平和という勝利を手にするための道ともなり得ましょう。