万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

皇族の世襲と序列社会の問題-平等と公平

2019年05月24日 11時14分07秒 | 日本政治
政治的ポストの就任を世襲とする制度にはそれ固有の重大な欠点があり、今日では、否定的な見解を持つ国民の方が多いのではないでしょうか。世襲の否定は、政治的な価値として今日根付いている民主主義の制度的特徴の一つでもあり、かつては古今東西を問わず国制の大部分を占めていたものの、政治権力が特定の家族のみに独占され、私的財産の如くに次世代に相続される国家形態は地球上から消えつつあります(サウジアラビア等の世襲君主国家も現存していますが…)。かくして少なくとも政治体制としての世襲は消滅すべき運命にあるのですが、世襲の問題は、政治分野に限ったものではありません。しばしば、世襲は、社会秩序と密接に結び付いてきたからです。

 現行の日本国憲法、並びに、新しい民法の制定により、日本国は平等社会が実現しています。籍において身分の区別を設ける華族制度がなくなると共に、家長が一族を担う家制度も廃止されました(もっとも、家制度が一概に‘悪’とも言い切れず、家長の権限が強い反面、家族に対する扶養等の責任も重く、権利と義務をバランスさせていた側面がある)男女の平等原則も憲法に書き込まれ、何れにしても、戦後の日本社会は、法的には極めてフラットな形態へと移行したのです。法律においては個人間の平等原則が徹底されたとも言えましょう(もちろん、私的空間では従来の風習は残されていたかもしれない…)。ところが、公的な空間において、平等原則が及ばない領域が一つだけ残されることとなりました。そして、それこそが皇室に他ならないのです。

 フラット化された日本社会にあって、公的な世襲制が維持されている皇族は、皇統によって生まれながら、あるいは、皇族との婚姻によって高い身分が約束されています。個人的な人格や能力が問われることもなく、陛下、殿下、あるいは、○○様(さま)といった敬称を付して呼称され、その動向は敬語を以って報じられます。儀式やセレモニーに臨席するともなれば、他の出席者は頭を下げて丁重にお迎えしますし、地方や海外への移動に際しても皇族専用の車両や政府専用機が特別に供されます。

特権が付与されている一方で、皇族にとっても、位階秩序が支配する空間は必ずしも快適とは言えないかもしれません。皇族の内部における序列もすこぶる厳しく、天皇を頂点に各宮家の‘格’によって上下関係が固定され、今日の一般国民の目からしますと異様なまでに厳格な序列が敷かれています。また、ノーブレス・オブリージュが強く求められるため、私的自由に対する制約を受け入れなければならない場面も少なくありません。皇族に対する‘人権侵害’なる批判もありますが、皇室の制度とは、民主主義、自由、基本的な権利の保障、法の下の平等といった、近現代国家が備えるべき様々な価値とも衝突しかねない危うさを抱えているのです。
 
 国民の誰もがメディアが映すこうした光景を当然のことのように眺めがちですが、皇統の希薄化が進行し、皇族自身もその行動が俗化し、かつ、天皇の‘公的な義務’が曖昧、かつ、政治的リスクさえも伴うに至る中、‘この状態を将来に亘って続けてゆくことに疑問はないのか’と問われるとしますと、‘ない’と返答することは自らの心に嘘を吐いているように思えます。仮に、無理にでも維持しようとすれば、翼賛団体の協力(新興宗教団体…)、組織的な動員、国民洗脳といった、全体主義国家の常套手段さえも用いざるをえなくなるからです。

実のところ、こうした問題に対しては、平等の原則のみならず、権利と義務のバランスを求める公平の原則からも考察する必要はありましょうが、少なくとも、皇室が世襲に基づく序列を体現し、国民が自らの思考を停止させて天皇を礼賛するようでは中国や北朝鮮の体制と変わりは無くなります。国民も皇族をも不幸にするシステムであってはならず、天皇位とそのポストの選任方法、並びに、皇族については、新たな制度を考案すべき時期に差し掛かっているように思えるのです。

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6 コメント

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天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり (mobile)
2019-05-24 13:14:39
私は『明治維新によって天皇を中心とした国づくりを推し進めるにあたって、それまでの日本にあった伝統をバッサリと切り捨ててしまったところに問題がある』とする説に賛同するものです。
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江戸時代には武士は儒教を学び、庶民は寺子屋に通って仏教精神を自然に身に付けていた、それが明治になって『天皇を神とする新しい宗教が生まれた』ワケです。
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その中では儒教のある一部『君に忠』のみを取り出して偏った教育が為され、そのために教育勅語が作られ、それに対する批判を許さない風潮が出来上がってしまった。さらに天皇から仏教が切り離され(それまでは天皇の出家や門跡寺院という制度があった)廃仏毀釈が行われた結果、それまでの伝統思想を受け継がない国家ができあがってしまった。
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伝統が破壊された後、新しく造り上げた神様も、太平洋戦争の敗戦と、その後行われた天皇の人間宣言によってブチ壊れたのです。
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平成天皇は戦争責任のお詫びと被災地への訪問に力を費やしましたが、これは(内容が全く不明瞭な)「象徴天皇とは何か」を自ら模索し、皇室を存続させようという必死の努力であったに違いありません。
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努力の甲斐あって、結構な数の国民が天皇を当然のように受け入れていますが、いま元号が変って「令和」となったこの機会にこそ、天皇についてもっとキチンと考えるべき時です。
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天皇のやっているのは、完全に『宗教行為』です。
国家がそれの費用を負担すること自体が政教分離という近代主義の原則に抵触しています。
本来の天皇の役割は国家鎮護を祈ることであったのですから、被災地への訪問などは、私に言わせれば『自らの霊力が足りなかったことのお詫び』でしかありません。
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私は心情的に德(なる)ちゃんまでは、陛下となっても認められそうですが、秋篠宮はあの人間性が嫌です。以降は存続せず絶えて欲しいと思いますネ。
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女帝の即位は熱心な皇室崇拝者の反対もあって成立しないでしょう。遺伝子的にいっても(皇統が正しいとするなら、ですが)神武天皇のY遺伝子はそこで引き継がれなくなるのですから。だいたい眞子が女帝になったら小室は何と呼ぶンです。駙馬(ふば)ですかいね。
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私意外にも『皇居を博物館にしてそこの館長に就任させる』とかイロイロ意見も出ています。
この際、戸籍や選挙権も与え、キチンと税金も取るような方向へ持って行きたい、私はそう考えます。
返信する
Unknown (櫻井結奈(さくらい・ユ-ナ))
2019-05-24 15:14:59
私も、この問題に異論を申し上げなければならないことには、
正直にもうしまして疲れます。
私は、倉西様が、政治・経済・外交の面に関しましては、非常に
的確な論評をしておられ、その点はいつも感服しておりますが、何故
皇室にこういう批判めいた発言をくりかえされるのか、腑に落ちません。

ところで、いうまでもないことですが、
☆天皇陛下の御地位は、【政治的ポスト】ではありません。
天皇陛下や皇族を、体制側の序列社会の頂点と見なす考え方は、
それこそ、左翼の人の思想ではないでしょうか?
 
天皇家は、日本民族の総本家という、、お立場であり、
政治的・社会制度論の見地から皇室のことを安直に議論すべきでは
無いでしょう。

皇室は、幸せな日本民族社会の象徴なのです。
先日、私は、薔薇園に行きました。 
クリ-ム色の美しい薔薇には、「プリンセス・マサコ」の御名前がつけられて
いました。
もちろん、プリンセス・マサコ様は、いまでは皇后陛下になっておられます。
多くの人が、この薔薇に見とれ、
「わあ、綺麗!!皇后さまに何てふさわしい花でしょう。!!」と、口々に言っておりました。
、、、、これが、国民のいつわらざる心です。

他に申し上げる必要もありますまい。

◎薔薇薫る 園を歩みし たまゆらに
        幸ある國に 生(あ)れしを喜ぶ
返信する
mobileさま (kuranishi masako)
2019-05-24 20:06:48
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 mobileさまのコメントには、議論に際して取り上げられるべき様々な論点が含まれているように思えます。多くの人々が参加する形で議論が進めば、多くの国民が納得するような案がまとまるのではないでしょうか。本ブログも、議論の一助になりましたならば、幸いでございます。
返信する
櫻井結奈さま (kuranishi masako)
2019-05-24 20:09:54
 コメントをお寄せくださいまして、ありがとうございました。

 櫻井さまと私では、明治維新、並びに、明治天皇に関する認識に隔たりがあります。どうか、先のコメントにてお願いいたしましたように、明治維新に纏わる情報を集めてみてください。情報を共有しないことには、議論が成立しないからです。

 ばらのその 歩みしひとの 心こそ お花畑の あやふきまぼろし
返信する
お疲れ様です ( 掛けまくも畏し)
2019-05-25 18:45:19
貴ブログの最近の皇室関連コメントを興味深く拝見しております。
倉西様の考えと真っ向から対立するコメントの数々への丁寧な返信の繰り返しに、(皮肉ではなく)お疲れ様です、と申し上げます。
併せて、その様なコメントを承認なさる度量に敬意を表します。

思うに、ブログのコメントは基本的にはブログの内容をポジティブに受け止める読者が感想や意見や激励を管理人に伝える手段ではないでしょうか。
勿論方向性が違う意見も許されるでしょうが、双方の考えが噛み合わず平行線を辿るなら、管理人の主張がいかに許容し難くとも、読者は心の中で◯チ◯イ認定して近寄らないか、黙って生温かく見守るのが日本人の作法というものでしょう。
執拗にブログの主張を否定し自説を主張するなら、それは最早コメントではなく、折伏とでも言うべきものでしょう。(折伏とは仏教用語であって、特定の宗教団体にのみ関連付けられる用語ではありません。念のため)

カルトという言葉の意味合いにはかなりの幅があり、必ずしもおどろおどろしい新興宗教を指してはいないと思うのですが、その様な固定観念を持つ向きに配慮するなら、「原理主義」という語句はいかがでしょうか。
「カルト」よりはちょっと高級そうです。(笑)
返信する
掛けまくも畏しさま (kuranishi masako)
2019-05-25 20:59:59
 コメント、並びに、アドヴァイスをいただきまして、ありがとうございました。掛けまくも畏しさまのおっしゃられますように、原理主義と表現した方が相応しいかもしれません・・・。

 人とは高い知性を有しますので、残念なことに、他者を騙すということもいたします。歴史を学んでおりますと、騙されて滅んだ国も少なくはありません。本ブログの記事は、読者の方々には過激なようにも感じられることと思いますが、歴史の教訓に学んだ末に警鐘をならずべきと思い、認めている次第でございます。

 
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