万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

経済学の大いなる矛盾-自由貿易論あるいはグローバリズムの重大問題

2024年03月22日 11時52分44秒 | 国際経済
 今日の自由貿易体制を今なお支えている基本理論は、デヴィッド・リカードが唱えた比較生産費説(比較優位説)とされています。リカードは、18世紀末にロンドンにて生を受けたユダヤ系イギリス人であり、経済学者ではありながら、ケンブリッジ大学中退後にロンドン証券取引所の仲買人となり、その後、庶民院の代議士として活躍した異色の経歴をもつ人物です。比較生産費説とは、下院議員時代に自らが主張していた自由貿易論に理論的な根拠を与えるために編み出された理論とも言えましょう。

 しかしながら、考えてもみますと、19世紀初頭、すなわち、大英帝国を中心とする自由貿易体制がその頂点を迎えた時期に主張された理論が、現代にあっても国際経済体制の基本理論とされているのは奇異なことでもあります。時代で言えば江戸時代の理論を、そのまま維持しているようなものなのですから。アメリカではトランプ前政権の時代に自由貿易体制からの離脱が試みられましたが、日本国を見ましても、2018年末にTPP11が発足すると共に、2023年7月にはイギリスの加盟が正式に決定されています。また、中国を含むRCEP協定も、2022年1月をもって発効しているのです。

全世界の市場の単一化を目指すグローバリズムが広がった今日では、自由化の対象は‘物(財)’だけではなく、サービス、資本、技術(知的財産)、そして、労働力にまで及んでいますが、その幹となる部分が、あらゆる国境における障壁の撤廃、即ち、市場開放を伴う自由化であることには変わりはありません。国際経済の世界では、200年以上の長きに亘って、同一の理論が不動の地位を占めてきたと言えましょう。あたかも‘自由貿易教’のような様相を呈しているのですが、本当に、‘信じる者は救われる’のでしょうか?

リカードの比較生産費説とは、簡単に述べれば、ある国が相手国と比較して低コストで生産できる産品に特化して相互に交易すれば、当事国の双方が利益を得られるという説です。同説が唱える互恵性の成立は、諸国家間の国際分業にも理論的な根拠を与えており、自由貿易体制の構築は、資源の最も効率的な配分を実現させる理想的な国際貿易体制として位置づけられたのです。貿易を介して全ての国が同体制に加わるだけで、どの国にも利益をもたらすと唱えたのですから、いわば、国際経済における予定調和説とも言えましょう。

 しかしながら、現実には貿易戦争は頻発してきましたし、また、富める国と貧しい国との格差も見られ(比較優位となる貿易品を産出できない国も存在する・・・)、リカードの掲げた理想とはほど遠く、現実が理論を実証的に否定してしまったとも言えるかも知れません。そして、この現実と理想との乖離は、経済学における大いなる矛盾をも提起しているように思えるのです。

 この矛盾とは、主として関連する二つの側面から指摘することができましょう。その一つは、自由貿易理論は、国内経済を主たる対象とした経済学’からは否定されてきた自由放任論やレッセフェール論を是認してしまう点です。今日、国内市場にあって自由放任状態となれば独占や寡占に至るとする認識は広く共有されており、凡そ全ての諸国にあって、市場の競争メカニズムを阻害する行為として法律をもって禁じられています。自由が自由を消滅させてしまうからです。実際に、競争政策は、何れの国でも重要な政策分野であり、自由を護るためにこそ、独占や寡占をもたらす規制が必要とされるのです。仮に、この国内市場の当然の道理が世界経済にも当てはまるとすれば、当然に、自由貿易も規制を受けるべきはずなのです。

 第二の矛盾点は、自由貿易論と称しながら、その実、実際に水平であれ垂直であれ国際分業が成立すれば、そこにはもはや自由はない、というポジションの固定化並びに体制の拘束性の問題です。比較優位を原則とする国際貿易体制が成立した時点で、各国は、‘資源の効率的配分’を基準として自らに割り振られた生産品に特化して製造を行なう国へと移行し、この固定化された体制から抜け出せなくなるのです。この側面は、第一点として述べた競争の消滅とも関連するのですが、自由貿易主義あるいはグローバリズムの未来は、国境を越えて物品が自由に取引される軽やかな空間ではなく、むしろ諦観が漂う陰鬱とした管理貿易体制に近い姿なのかもしれません。自由貿易主義にも、いつの間にか目指す方向とは逆となってしまう‘メビウスの輪’が伺えるのです。

 今日、新自由主義が多くの人々から忌み嫌われるのも、自由貿易主義の矛盾点を顧みることなく、この自由放任主義的な論理を国内市場の原理原則として持ち込み、押し通そうとしたからとも言えましょう。世界経済フォーラムに代表されるグローバリストが言う自由とは、自らの無制限な自由なのです。グローバルレベルであれ、国内レベルであれ、自由放任を是認する自由主義についてはその欺瞞性を認識し、日本国政府をはじめ各国政府とも、企業を含む国民経済の自立性(自由)の相互尊重という意味において、真に‘自由’が尊重される国際体制の構築を急ぐべきではないかと思うのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ‘マルハラ’とは何なのか? | トップ | 自国民ファーストこそ民主主... »
最新の画像もっと見る

国際経済」カテゴリの最新記事