1979年にイスラム教の宗教的指導者であったホメイニ師が中心となって起こしたイランのイスラム革命は、同国を厳格なイスラム教の教義に基づく宗教国家に変貌させてしまいました。そのイランにおいて、今般、ヘリコプターの墜落により、エブラヒム・ライシ大統領とホセイン・アブドラヒアン外相を同時に失うという前代未聞の事件が発生しました。
イスラエル・ハマス戦争の最中にあって、イスラエルとイランは一触即発の緊張状態にあり、ヘリコプターの墜落事故には様々な憶測が飛っています。そして、イスラエルの背後には世界権力が控えているとなりますと、同事故は、戦争拡大か、戦争阻止かの何れであれ、イスラエル・イラン戦争の先にある第三次世界大戦計画との関係も推測されてきます。
もちろん、核開発を契機とした対イラン制裁の影響により、イラン政府が保有する航空機の経年劣化や整備不足なども指摘されており、事件性のない偶発的な事故であった可能性も否定はできません。悪天候が影響したとの説もあります。しかしながら、そもそも大統領が搭乗していたヘリコプターが、パーレビ王朝時代にアメリカから輸入されたものともされ、どこか不自然が漂っています。イランのトップは宗教上の最高指導者であるハメネイ師であるとはいえ、大統領や外相と言った要職にある人物が、かくもリスクの高いヘリコプターを使用するとは常識的には考えられないからです(修理に際して部品を要する場合にはアメリカからの輸入が必要であり、かつ、機体の設計図がなければ十分な整備もできない・・・)。
また、墜落現場の状況からしますと、ミサイル攻撃を受けた形跡は見当たらないとされつつも、今日の科学技術のレベルからすれば、小型ドローンを用いた遠隔操作も可能ですし、指向性エネルギー兵器によって宇宙空間から攻撃を受けた可能性もあります。あるいは、サイバー攻撃によって操縦システムを狂わせ、機能停止にすると言った方法もあるかも知れません。何れにしましても、時期が時期だけに、単なる事故と見なすには不審点が多すぎるのです。
ヘリコプターの墜落にあって、最も怪しまれるのはイスラエルと言うことになるのですが、‘第一容疑国’となるイスラエルは、自らの関与を強く否定しています。イスラエルの否認からしますと、少なくともイスラエルによる‘仮想敵国の要人暗殺’、犯行声明の発表、それに続く対イラン戦争の開始という筋書きは、計画書あるいは‘シナリオ’にはなかったのでしょう。となりますと、仮に、同事件を契機としてイスラエルとイランの両国間の戦争が始まるとしますと、イラン側が、一方的にイスラエルの犯行であると決めつけ、報復を理由としてイスラエルに宣戦布告をするスタイルとなります。最も強い動機が推測される‘第一容疑国’はイスラエルですので、イラン国民を含めて多くの人々が同説明に納得するかも知れません。盧溝橋事件を始めとして、どの国あるいは誰の犯行であるのか、真相不明な出来事を機に大規模な戦争に発展した事例は決して珍しくはありません。情報化時代を迎えた現代にあっても、戦争の発端が藪の中のケースは少なくなく、むしろ、近現代の戦争とは国際社会を舞台とした壮大なる謀略と見た方が、より事実に近いかも知れません。
これまでの展開と上記の推理からしますと、仮に、今後、今般の事件がイスラエル・イラン戦争の二国間戦争を引き起こし、それがさらにアメリカ等の介入により第三次世界大戦にまで発展する筋書きが存在するとしますと、同戦争は、イスラエル犯行説の下で行なわれることが予測されます。そこで、国際社会が同シナリオの‘前進’を阻止しようとするならば、先ずはイランに対して自制を求める必要がありましょう。何故ならば、対イスラエル宣戦布告がシナリオに書き込まれ、イランに対して同シナリオに沿った行動をとるよう指令が発せいられているならば、イランは、同シナリオの筋書き通りに行動することが予測されるからです。
もっとも、国際社会に良心があれば、イランの動きを封じることは不可能なことではありません。具体的には、イランがイスラエル犯行説を主張した場合、国連憲章第六章の問題として扱うという対応です。同章の第34条では、安全保障理事会は調査を実施することができとしています。また、続く第35条は、紛争当事国に加え(2項)、何れの加盟国も如何なる紛争であれ(1項)、安保理や総会に注意を促すことができるとされます。後者の場合、第11条2項に従えば、安保理を介さなくとも紛争当事国に直接に勧告を行なうこともできるのです。現行の制度にあっても選択し得る手段はあるのですから、国際社会は、戦争の拡大の動きが察知された際には、全力でこれを阻止すべきではないかと思うのです(つづく)。