万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新興宗教団体による国家乗っ取り問題

2022年07月27日 14時57分25秒 | 国際政治
 自由には相互・平等性という制約があります。悪、すなわち、利己的他害性を容認する教義を信奉する教団は、信教の自由の名において保障を受けることはできないのです。そして、自由というものが、国家レベルにおいて独立性や自治(国民主権・民主主義)とおよそ同義となることに思い至りますと、‘宗教団体は、政治活動を行ってはならない’とする、政教分離の原則の重要性も自ずと理解されるのです。

今般の安部元首相暗殺事件が日本国の政治史において重大な転換点となるとしますと、それは、政治と宗教との関係を改めて問うたことにあったのかもしれません。山上容疑者の動機は、元統一教会の信者であった母親への教団への巨額の献金でした。このため、マスメディアは、同教団の集金マシーンとしての側面を社会問題として報じているのですが、この事件は、教団と信者、あるいは、信者家族との間のトラブルといった小さな問題ではありません。むしろ、元統一教会が教義として掲げていた対日攻略計画が、日本国の独立性、並びに、民主主義に対する重大な脅威であることが問題なのです。

同教団が公言している日本観は、言葉にするのも憚られるような内容なのですが、教祖の文鮮明は、日本国や共産主義国をサタンの国と見なす一方で、韓国は、イエス・キリストが再臨する地と捉えています(文氏は、自らをイエスの生まれ変わりと主張)。共産主義を批判しているように、基本的なスタンスは反共であり、このため、アメリカのCIAとの関係も指摘されています。また、同教団は韓国・朝鮮人をユダヤ系とも見なしている節があり、イスラエル政府とも繋がりがあるそうです。自民党と元統一教会との協力関係は、反共・親米という同一の立場から説明されるのですが、ユダヤ系というもう一つの共通項があるのかもしれません。

その一方で、同教団は、日本国の関係を共産主義国家という共通の敵に対する共闘関係に留めているわけではありません。文鮮明は、自らの‘恨’、すなわち、戦前の韓国併合の恨みを晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」としている」とも述べています。仮に、韓国が日本国を植民地化すれば、自らも同じ罪を犯すことになると思うのですが、ここがカルトのためか、信者の誰もがおかしいとは思っていないようです。何れにしましても、公然と日本国の植民地化、すなわち、日本国民から主権を奪うことを目標に掲げているのですから、日本国のみならず、国際法上におきましても、主権侵害という犯罪行為を容認していることとなりましょう。言い換えますと、こうした国家の支配、あるいは、乗っ取りを目指している新興宗教団体との関わりは、政党にとりましては、外患誘致罪となりかねない危険な行為と言えましょう。

そして、この国家乗っ取りの問題は、創価学会についても同様です。創価学会が目標として掲げている‘総体革命’もまた、日本国の乗っ取り計画であるからです。しかも、創価学会の方が、日本国の伝統宗教である日蓮宗から分派しているため、韓国・朝鮮系であることがはっきりしている元統一教会よりもより危ない存在です。創価学会は、‘総体革命’の名の下で、信者を、皇室、政治家(別働隊としての公明党)、官僚、財界、法曹界、メディア、教育・・・など、あらゆる分野の中枢ポストに送り込むことで、合法的に日本国の国権を掌握しようとしてきたからです。政治家は民主的選挙を経なければならず、全議席を掌握することは困難ですが、官僚であれば信者が国家公務員試験に合格し、採用されればポストを得ることができます。信者官僚は、国家よりも教団を優先しますので、日本国憲法第15条1項に違反する可能性もありましょう。また、法曹界や教育界といった資格試験に合格すれば職を得られる分野も要注意ですし、人事権を教団側に掌握された私企業なども要注意です。さらには、メディアや芸能界といった民間部門であれば、資金力と組織力によってより簡単に信者を送り込むことができます。そして、ここに、新興宗教団体による国家乗っ取りを許してもよいのか、並びに、国家の乗っ取りを目的とする新興宗教団体に宗教法人の認可を与えてもよいのか、という問題が提起されるのです。

創価学会も、教祖とされた池田大作氏の朝鮮半島出身説に加え、‘インターナショナル化’するにつれて、統一教会と同様の海外勢力による日本国の乗っ取りという側面が強くなります。しかも、中国と強い‘友好’の絆で結ばれており、公明党を介して日本国の安全保障も内側から切り崩される事態が既に現実的な問題として認識されているのです。元統一教会も創価学会も、全体主義体制の成立を標榜していますので、政治、経済、社会などあらゆる分野を含む‘日本国全体’に対する脅威とも言えましょう。そして、両者の背後にあって、新興宗教団体を操って日本国をコントロールしたい超国家権力体が蠢いていることは、極めて蓋然性の高い推測なのです。

 このように考えますと、政教分離の原則は、宗教団体による国家乗っ取りを防ぐ作用を有していることが理解されます。同原則の成立背景には、フランス革命期におけるカトリック排斥があるのですが、同原則は、伝統宗教のみならず、新興宗教団体に対しても個人の自由のみならず、国家の独立性と民主主義を守るための有効な手段なのです(続く)。

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