万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本国が‘捨て石’になる可能性を考える

2023年02月09日 12時56分16秒 | 国際政治
 日本国民の大多数の人々は、日米同盟は外国からの侵略を防ぎ、日本国の安全を護る存在として認識しております。昨今、中国の軍事的脅威が高まる中、世論の動向を見ましても、増税問題は別としましても、日本国政府が示した防衛力増強の方針を支持する声が多数を占めています。しかしながら、日米の合同作戦の内容次第では、日本国が壊滅的な被害を受けてしまうリスクもないわけではありません。

この問題は、特に台湾有事に際して問題となります。何故ならば、台湾有事に際してアメリカで策定されたとされる「インサイド・アウト作戦」も、CSISが行なった机上演習においても、日本国が同有事において重要な役割を果たすことが織り込み済みとなっているからです。否、アメリカ軍の勝利条件が日本国の‘参戦’と言っても過言ではありません。中国からの直接的な対日攻撃であれば、防衛戦争の過程で日本国において犠牲が生じるのも致し方ない側面があるのですが、台湾有事となりますと、他国のために日本国は多大なる犠牲を払うこととなります。

日本国民の多くは、できることなら台湾を救いたいと思っていることでしょうし、軍事面での支援もやぶさかではないことでしょう。台湾は、民主的な国家であり、日本国とも価値観を共有しています。しかしながら、後方支援にとどまらず、日本国内にもミサイルの雨が降るとなりますと、ここで、一端、立ち止まって考えてみる必要があるように思えます。

 軍事同盟とは、有事に際しては他国からの援軍を期待できると共に、平時にあっても軍事力の結合が強い抑止力となり、自国の安全をさらに高める役割を果たしています。軍事力において同等な場合には、両国の関係も相互に対等となるのですが、一方が軍事力において優っている場合には、両者の間には、依存関係あるいは保護・非保護関係が生じます。この側面は、封建時代における主君と臣下との関係にも見ることができます。主君が臣下の領地を‘安堵する(本領安堵)’、即ち、‘保障する’代わりに、封建的ヒエラルヒーにあって臣下の側は主君に対して忠誠を誓う下位の立場となり、主君が軍事行動を起こす場合にはそれに参加する義務を負うのです(対外政策に関する独立的な政策決定権を失う・・・)。

封建時代は既に過ぎ去ったはずなのですが、実のところ、そうとも言い切れないところがあります。特に現下のNPT体制にあっては、軍事大国である核兵器国が軍事力において他の非核兵器国に抜きん出ますので、自国の安全を確保しようとしますと、‘核の傘’の提供を受けるために核兵器国と安全保障条約の締結を必要とするからです。同盟国間の非対称性からしますと、現在の国際体制は、近代よりもむしろ中世の封建時代に近いと言えましょう。否、他国に自国の安全を委ねざるを得ない非核兵器国は、封建時代よりもさらに理不尽な状況に置かれているとのかもしれないのです。

何故ならば、現在の軍事同盟にあっては、非核兵器国は、事実上の保護国となる核兵器国の世界戦略に組み込まれ、その戦略を遂行するに際して‘捨て石’にされる可能性が否定できないからです(また、軍事面のみならず、様々な分野で相当の内政干渉を受ける・・・)。この構図では、封建時代のように‘君主’は‘家臣’の領地を保障しません。自陣営の勝利が目的ですので、この目的のためには、同盟国の一部が犠牲になっても構わないと考えるのです。世界全体をゲームのボードとみなす戦略家としては当然の判断なのでしょうが、戦略上、‘捨て石’の役割を担わされた国にとりましては、‘少し、待ってください!’あるいは‘冗談ではありません!’と言いたくなる場面となるのです。

第二次世界大戦にありましては、日独伊三国同盟が締結されていながら、これらの三国が一つの作戦を協力して実行する、あるいは、合同軍を結成して闘うことはありませんでした。しかしながら、今日の日米同盟の枠組みでは、日本国の防衛政策並びに安全保障政策は、今日に至るまでの日米ガイドラインの変遷が示すようにアメリカの世界戦略に取り込まれつつあります。日米の軍事協力の強化により対中抑止力が強化されると共に、日本国の安全も盤石となるというのであれば、大半の日本国民が賛意を示すことでしょう。たとえ有事となっても、米軍と自衛隊の共同作戦によって人民解放軍をほぼ無血であっさりと撃退するというのであれは、なおさらです。しかしながら、軍事分野での日米一体化が、日本国側が自国を‘捨て石’とする作戦の甘受と同義であるならば、話は別と言うことになり、同作戦に対しては、他の作戦への変更を強く求めるべきと言えましょう。

あるいは、日本国の現在のアメリカに対する従属性は、軍事力の格差に由来するのではなく、先の大戦における敗北に起因しているのでしょうか。そうであるならば、完全なる主権回復を意味するはずの講和条約は表面的なものに過ぎず、日本国の実態は、アメリカに征服された支配地となりましょう。そして、敢えて邪推を試みれば、日本国は、アメリカ、否、そのアメリカさえも背後から操る世界権力にとりましては未だに‘敵国’のままであり、米中対立が演出され、中国の手を借りる形で滅ぼされそうになっているのかもしれません。アメリカ陣営が勝利しても、日本国が廃墟となるのでは、少なくとも日本国にとりましての日米安保条約の存在意義は、根底から失われてしまうのではないかと思うのです。

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