パレスチナ、暴力の応酬拡大=イスラエル軍との衝突で2人死亡
アメリカのトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認めたことから、パレスチナ自治政府が強く反発する一方で、エルサレムに対する国際的な関心も高まっております。そしてこの問題は、エルサレムが、ユダヤ教、キリスト教、並びにイスラム教の三つの宗教の聖地であり、これらの3つの宗教が信奉する神は同じ神であるのか、といった一神教に内在するセンシティブな問題をも問うているように思えます。
ユダヤ教の経典でもある『旧約聖書』によりますと、ユダヤ教徒がイエルサレムを聖地とする理由は、神が、アブラハムに対して「約束の地」の首都として与えていたことに他ありません。そして、古代ヘブライ王国にあっては、第二代ダビデ王が都と定め、南北分裂後は、ユダ王国の都となります。バビロン捕囚を経てハスモン朝やヘロデ朝が成立した際にも同地は首都とされており、歴史的にユダヤ人との結びつきが強い地であることは確かです。ユダヤ人が信じる神は、ヤハウェとも称されておりますが、マックス・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』において、ヤハウェとはシナイ半島の山の神であり、ユダヤ人の戦争神として崇められるに至った後、唯一神=普遍神の地位にまで昇格したのではないか、と推測しています。しかし、キリスト教がユダヤ教の内から発している点を考慮しますと、おそらく、もともとユダヤ教の神には、ヤハウェという軍神と、後にキリスト教の神となる普遍神の2神が併存・混同しており、このため、ヤハウェには、民族神と普遍神の性質の混在が見られるようです(もっとも、ユダヤ人は同一の宗教の下に様々な民族が集合した“多民族民族”という側面が強い…)。そして、後に、普遍神を信じる人々が、キリスト教徒として分離していったと考えることができます。
従って、エルサレムがキリスト教にとって聖地である理由も、『旧約聖書』に由来します。すなわち、キリスト教徒もユダヤ教徒もアブラハムを崇敬していたことから、エルサレムは初期キリスト教徒にとっても聖地となったのです。かつ、イエス・キリストが磔刑に処されたのはエルサレムのゴルゴダの丘ではありました。11世紀に始まる十字軍遠征の目的が聖地エルサレムのイスラム教徒からの奪還でしたので、同地は、キリスト教徒の聖地としてのイメージが強く刻印されることともなりました。しかしながら、キリスト教が世界宗教として民族の枠を越えて広がったため、今日では、同地に対して領有を主張するキリスト教系の国はありません。キリスト教では、神は、超越的な普遍神(the God)であり、特定の民族を擁護する神ではないのです。
それでは、何故、エルサレムは、イスラム教の聖地なのでしょうか。その理由は、『コーラン』の「夜の旅の章」の記述に依れば、預言者マホメットは、メッカのカーバ神殿から一夜にしてエルサレムの神殿へと旅をし、そこで、アッラーの神から直接に啓示を受けたとされているからです。つまり、この記述からすれば、ヤハウェ、もしくは、普遍神のいずれかとアッラーは同一神となります。いずれにいたしましても、神は、モーセに語ったと同様に、マホメットに対しても他の神を信じることを禁じたようであり、このためマホメットの解釈によって、イスラム教では多神教徒の殺害まで容認するに至るのです。イスラム教の神は、マホメットの解釈によって、ユダヤ教のような民族神の性質は薄いものの、極めて強い排他性を特徴とするようになっています。
以上のように、ユダヤ教、キリスト教、並びに、イスラム教の“神”を比較してみますと、実のところ、それぞれに性格の違いが見受けられます。そして、エルサレムを聖地として神聖視することは、イスラム教徒にとりましては、アッラーとヤハウェ、もしくは、普遍神との同一性という問題に直面することともなるのです。
このように考えますと、エルサレムの首都問題を解決するためには、イスラエルとパレスチナ自治政府のみならず、ユダヤ教徒もイスラム教徒のみならず、人類は、今一度、一神教に内在する多様性の問題を直視し、聖地とは何か、という根本的な問題に立ち返るべきではないかと思うのです。
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アメリカのトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認めたことから、パレスチナ自治政府が強く反発する一方で、エルサレムに対する国際的な関心も高まっております。そしてこの問題は、エルサレムが、ユダヤ教、キリスト教、並びにイスラム教の三つの宗教の聖地であり、これらの3つの宗教が信奉する神は同じ神であるのか、といった一神教に内在するセンシティブな問題をも問うているように思えます。
ユダヤ教の経典でもある『旧約聖書』によりますと、ユダヤ教徒がイエルサレムを聖地とする理由は、神が、アブラハムに対して「約束の地」の首都として与えていたことに他ありません。そして、古代ヘブライ王国にあっては、第二代ダビデ王が都と定め、南北分裂後は、ユダ王国の都となります。バビロン捕囚を経てハスモン朝やヘロデ朝が成立した際にも同地は首都とされており、歴史的にユダヤ人との結びつきが強い地であることは確かです。ユダヤ人が信じる神は、ヤハウェとも称されておりますが、マックス・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』において、ヤハウェとはシナイ半島の山の神であり、ユダヤ人の戦争神として崇められるに至った後、唯一神=普遍神の地位にまで昇格したのではないか、と推測しています。しかし、キリスト教がユダヤ教の内から発している点を考慮しますと、おそらく、もともとユダヤ教の神には、ヤハウェという軍神と、後にキリスト教の神となる普遍神の2神が併存・混同しており、このため、ヤハウェには、民族神と普遍神の性質の混在が見られるようです(もっとも、ユダヤ人は同一の宗教の下に様々な民族が集合した“多民族民族”という側面が強い…)。そして、後に、普遍神を信じる人々が、キリスト教徒として分離していったと考えることができます。
従って、エルサレムがキリスト教にとって聖地である理由も、『旧約聖書』に由来します。すなわち、キリスト教徒もユダヤ教徒もアブラハムを崇敬していたことから、エルサレムは初期キリスト教徒にとっても聖地となったのです。かつ、イエス・キリストが磔刑に処されたのはエルサレムのゴルゴダの丘ではありました。11世紀に始まる十字軍遠征の目的が聖地エルサレムのイスラム教徒からの奪還でしたので、同地は、キリスト教徒の聖地としてのイメージが強く刻印されることともなりました。しかしながら、キリスト教が世界宗教として民族の枠を越えて広がったため、今日では、同地に対して領有を主張するキリスト教系の国はありません。キリスト教では、神は、超越的な普遍神(the God)であり、特定の民族を擁護する神ではないのです。
それでは、何故、エルサレムは、イスラム教の聖地なのでしょうか。その理由は、『コーラン』の「夜の旅の章」の記述に依れば、預言者マホメットは、メッカのカーバ神殿から一夜にしてエルサレムの神殿へと旅をし、そこで、アッラーの神から直接に啓示を受けたとされているからです。つまり、この記述からすれば、ヤハウェ、もしくは、普遍神のいずれかとアッラーは同一神となります。いずれにいたしましても、神は、モーセに語ったと同様に、マホメットに対しても他の神を信じることを禁じたようであり、このためマホメットの解釈によって、イスラム教では多神教徒の殺害まで容認するに至るのです。イスラム教の神は、マホメットの解釈によって、ユダヤ教のような民族神の性質は薄いものの、極めて強い排他性を特徴とするようになっています。
以上のように、ユダヤ教、キリスト教、並びに、イスラム教の“神”を比較してみますと、実のところ、それぞれに性格の違いが見受けられます。そして、エルサレムを聖地として神聖視することは、イスラム教徒にとりましては、アッラーとヤハウェ、もしくは、普遍神との同一性という問題に直面することともなるのです。
このように考えますと、エルサレムの首都問題を解決するためには、イスラエルとパレスチナ自治政府のみならず、ユダヤ教徒もイスラム教徒のみならず、人類は、今一度、一神教に内在する多様性の問題を直視し、聖地とは何か、という根本的な問題に立ち返るべきではないかと思うのです。
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