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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ウクライナ危機と台湾危機―台湾の核武装問題

2022年05月10日 14時58分18秒 | 国際政治
 地理的に遠いウクライナで発生した危機は、即、極東にも波及することとなりました。その理由は、ロシアの軍事侵攻が将来における中国による台湾進攻を予測させたからです。ロシアと中国との間には、’国柄’としての共通性があります。両国とも帝国意識を今日まで引きずっていることに加えて、過去と現在という違いこそあれ、共産主義体制を経験しています。これらは独裁との親和性の高さをも意味し、両国の拡張主義的傾向をも説明しているのです。

 このため、極東にあっても台湾問題が強く意識されることとなったのですが、ウクライナ危機の展開から、中国の台湾に対する今後の対応については、凡そ二つの見解に分かれているようです。その一つは、ロシアに倣って中国も武力による一方的な現状の変更を試み、電撃的な台湾進攻を実行するというものです。このシナリオは、今後、ウクライナ危機においてロシア側が軍事力であれ、交渉であれ、その目的を達成すれば、現実のものとなる可能性が高くなることでしょう。その一方で、ウクライナ危機によって中国による台湾併呑の野望は打ち砕かれるという、正反対の見解もあります。ロシアの軍事行動が途中で挫折し、ウクライナ側がロシア軍の自国領域内からの排除に成功した場合、中国は、台湾進攻に二の足を踏むとの予測です。しかも、国際社会が一斉にロシアを批判すれば、中国にとりましては、軍事行動が取り難い状況となります。

 何れの予測であれ、中国の今後の行動は、将来におけるウクライナ危機の如何によって変わるのでしょう。このため、同国は、目下、ウクライナ危機の推移を注意深く観察しているものと推測されます。もっとも、国際社会も、人民解放軍による台湾進攻があり得るリスクである以上、手をこまねいて見ている方はありません。それを事前に阻止できるならば、あらゆる手段を尽くすべきと言えましょう。中国による台湾進攻は、政治問題の側面を含むロシア以上に明白な国際法違反行為です。そこで考えられるのは、台湾の核武装です。

 ウクライナ危機をめぐっては、仮に、同国がブタペスト覚書によって核兵器を放棄しなければ、ロシアは同国への侵攻に躊躇したであろうとする指摘があります。台湾もまたウクライナと同様に’核の傘’のない状況下にあることには変わりはなく、核による対中抑止力は働いていません。言い換えますと、中国から軍事侵攻を受けやすい条件を備えているのです。

 なお、台湾は、NPTの正式な加盟国ではなく、1971年のアルバニア決議により中国に国連代表権が認められたのに伴い、国連のみならずNPTからも脱退しています。ただし、1955年にアメリカとの間で締結された原子力協力協定、並びに、IAEAとの間に結ばれている保護措置協定の効力は維持されており、IAEAによる査察義務を負う事実上のNPT加盟国の立場にあります。

 それでは、台湾は、核武装することができるのでしょうか。方法としては、凡そ二つの道があるように思えます。その一つは、アメリカから核兵器の提供を受けるというものです。アメリカと台湾との間には、1979年の米華相互防衛条約の終了に際して台湾関係法が成立しています。アメリカ側に台湾防衛に関するフリーハンドがあり、かつ、目的を台湾防衛に限定しているとはいえ、アメリカは、台湾に対して米国製の兵器を提供することができます。今般成立した「武器貸与法」にも近い内容となるのですが(ウクライナにも核の提供は可能?)、台湾関係法に定められた’米国製兵器’には、アメリカが核保有国である故に、核兵器も含まれるものと解されます。

 もう一つの道は、台湾独自の核武装です。台湾は、上述したようにNPTの締約国ではありませんし、同国が受けている中国からの軍事的脅威を知らない国はありません。台湾が核武装を行った場合、中国以外の国にあって反対を表明する国は殆ど皆無であるかもしれません。台湾では、三か所の原子力発電所が稼働しておりますし、今日の台湾のテクノロジーをもってすれば、核兵器の自力開発はそれほどハードルが高いものでもないのです。

 台湾の核武装は、台湾のみならず、日本国を含む中国からの軍事的脅威に直面している全ての諸国の問題でもあります。そしてそれは、今日の欠陥に満ちたNPT体制の抜本的改革、あるいは、解散にも繋がるのではないかと思うのです。

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ウクライナ危機から見える第二次世界大戦の謎

2022年05月09日 15時40分15秒 | 国際政治
 先日、ロシアのラブロフ外相が、インタヴューにおいてアドルフ・ヒトラーユダヤ系説を述べたことから、イスラエル並びに全世界のメディア等から反発を買うという事件が発生しました。同事件に対して、プーチン大統領は、イスラエルのベネット首相に対して謝罪したとも報じられております。

 ウクライナ危機以来、プーチン大統領は、その健康状態のみならず、精神状態をも強く疑われておりました。ウクライナ侵攻やその後に報じられたロシア軍による残虐行為は常軌を逸しており、正気の沙汰とは思えなかったからです。’狂人’扱いする記事も多々あったのですが、今般のラブロフ発言が炎上すると、プーチン大統領はベネット首相と電話会談を行っており、’正気’の対応を見せています。しかも、メディアが解説するように、中立を表明しているイスラエルへの外交的配慮からの謝罪としますと、冷静な判断が働いていることとなります(もっとも、ロシア国内のメディアは、プーチン大統領が謝罪したとは報じていない…)。

自己を絶対化した’皇帝プーチン’が、かくもあっさりと外国政府に対して謝罪したことに驚いた人も少なくなかったはずです。それでは、こうした同大統領の速攻の対応の背景には何があるのでしょうか。以下に、幾つかの可能性を推測してみました。

 第一の可能性は、ラブロフ発言が事実に反しているため、プーチン大統領が、慌ててこれを否定したというものです。この場合、ロシア発の’フェイクニューズの被害者となるスラエルに対する謝罪となり、最も単純な構図となりましょう。もっとも、同大統領による迅速な対応は、国際社会におけるイスラエルの隠然たる影響力を示唆しています。ホローコーストを否定しますと、常々、ユダヤ系団体からの強い抗議が寄せられるのですが(日本国内でも、過去に『マルコ・ポーロ』という雑誌が廃刊に追い込まれている…)、ロシア大統領まで謝罪に追い込むとしますと、’ユダヤ人、恐るべし’となりましょう。プーチン大統領は、イスラエル、否、全世界にネットワークを有するユダヤ勢力を’敵方’に回わすのを恐れ、謝罪により早々の幕引きを試みたのかもしれません。

 第二の可能性は、ラブロフ発言が事実であったにもかかわらず、プーチン大統領は、敢えてベネット首相との会談に臨んだというものです。このケースでも、第一の推測と同様に、たとえヒトラーユダヤ系説が事実であったとしても、ユダヤ人脈怖さに謝罪を急いだのかもしれません。しかしながらその一方で、プーチン大統領はKGB出身ですので、実際には謝罪しておらず、イスラエルを脅した可能性もあり得ます。ロシアは、唯一、ヒトラーの最後について知り得る立場にあるからです(亡命説の真偽も含めて…)。

第二次世界大戦末期、ヒトラーは、ベルリン陥落を前にして地下室で自殺を図り、その遺体は灯油によって燃やされたとされますが、燃え残った遺体はソ連軍が本国に持ち帰っています。戦後、特にソ連邦国内でヒトラーユダヤ系説が広まったのも、ソ連邦が、何らかの証拠を握っていたからなのかもしれませんし、今般の発言も、ラブロフ外相がイタリアの放送局の番組に出演した際のものですが、同外相は、さも当然のことのようにインタヴューの質問に答えています。

 そして、第3の可能性があるとすれば、それは、ウクライナ危機は、イスラエル、否、ユダヤ人脈が双方を裏から操る演出であり、プーチン大統領は、シナリオのセリフ通り、あるいは、演出家の指示に従って謝罪しているというものです。こうした説は、しばしば陰謀論と見なされがちですが、ロシア、ウクライナ、並びに、ユダヤ人の三者の関係は極めて複雑ですし、謎にも満ちています。

例えば、上述したソ連邦が保管していたヒトラーの遺体の一部についても、1970年代に至り、KGBが改めてこれらの遺骨を秘密裏に焼却・粉砕し、エルベ川支流に散骨したとされます。散骨までの期間にソ連邦はヒトラーの遺体に関する詳細な調査を行ったのでしょうが、首実験という言葉があるように、戦争にあっては敵将の身元の確認は極めて重大な作業です。厳重に保管すべきにも拘わらず、敢えてヒトラーの遺骨を判別できないように破壊し、かつ、散骨したのには、それ相応の理由があったはずです。そしてその理由を考えてみますと、証拠隠滅の他にそれらしい動機は見当たりそうにありません。ナチス・ドイツと連合国側の一員として戦ったソ連邦が、ナチスを利する証拠隠滅を図ったとしますと、第二次世界大戦には表に出せない何らかの’からくり’があったようにも思えます。

考えてみもみますと、イスラエルが中立の立場にあること自体にどこか不自然さがあります。イスラエルには、ロシアとの関係維持には何らかの利益があるのかもしれませんが、イスラエルの主要エネルギー源は天然ガスですので、ロシア産石油への依存度はそれほどには高くはないからです(天然ガスの主な輸入先はエジプト等…)。となりますと、別の理由を探さなければならなくなります。この点、ユダヤ勢力が、両国をコントロールしていると仮定すれば、ロシアが、歴史的にユダヤ系の政治家が多く、現大統領もユダヤ人であるウクライナを’ネオ・ナチ(反ユダヤ主義)政権’として攻撃し、かつ、ウクライナにおいてアゾフ大隊といったネオ・ナチ集団が勢力を伸ばし、国軍に昇格してロシアと戦うという奇妙な構図も、その真偽の判別は今後の検証を要するとしても、一先ずは氷解するのです。

以上に、プーチン大統領の謝罪から推測される世界情勢について述べてきました。何れも憶測にすぎないのですが、ウクライナ危機を機にイスラエル、否、ユダヤ勢力とロシアとの関係を探ってゆきますと、思いもかけず、第二次世界大戦の謎をも解く鍵が見つかるかもしれないと思うのです。

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’日本国は中立’という選択は可能か?

2022年05月06日 10時33分52秒 | 国際政治
 報道によりますと、ロシアは、今月の5月9日にも宣戦布告を行うのではないかとするお憶測が飛び交っております。また、仮に核保有国であるロシアが戦術核であれ、戦略核であれ、核兵器や生物化学兵器を使用した場合には、アメリカも同紛争に介入するとする予測もあります。ウクライナ危機が、本格的な戦争へと向かう予兆が見られるのですが、日本国は、戦争化の局面に対してどのように対応すべきなのでしょうか。

 欧州諸国を歴訪している岸田文雄首相の言動からしますと、同首相は、軍事行動への自衛隊の参加を検討しているようにも見えます。ジョンソン英首相との会談では、イギリス海軍と海上自衛隊との連携強化にも合意した模様であり、現行の日米同盟に加え、空母クイーン・エリザベスの寄港を機に囁かれている日英同盟復活の路線も見え隠れしています。おそらく、ロシア、並びに、中国に対抗するための陣営造りが水面下では進行しているのでしょう。

 このように考えますと、ロシアの国際法違反に対する法的解決手段のない現状では、第一次、並びに、第二次世界大戦と同様の構図による戦争に至るのは目に見えています。軍事同盟の連鎖的発動による、悪の全体主義国家対正義の自由主義国家という構図の再来です。双方の陣営のメンバーはシャフリングされてはいても、陣営対陣営という世界大戦の構図にはかわりはないのです。

 善悪二元的世界大戦の構図の下で戦争が遂行されるとすれば、各国とも総力戦となり、厳しい統制が敷かれた戦時体制に移行する可能性は高くなります。憲法改正による緊急事態条項の導入も、近い将来における有事を想定してのことなのでしょうが、三度目の世界大戦を起こすとしますと、人類は、全く歴史の教訓に学んでおらず、かつ、精神的な成長も遂げていないこととなりましょう。果たして、このまま、戦争へと流されても構わないのでしょうか。

 少なくとも、日本国がウクライナ危機を機にロシア、あるいは、ロシアを中心とした陣営との戦いに臨まざるを得なくなるのは、あまりにも理不尽です。ウクライナ以外の諸国の国民も、同様の理不尽さに直面することでしょう。そこで、政府も国民も知恵を絞るべきということになるのですが、参戦を回避する一つの案としては、中立を選択するというものがあります。

 今般、日本国政府がウクライナを支援し、ロシアに対して制裁を科している理由は、国際法秩序を護るためと説明されています。ロシアのウクライナ侵攻を国際法違反と認定した上での対応であり、法的には、日米同盟に基づくものではありません。そもそも日米安保条約は、アメリカのみに日本国の共同防衛を定めた片務条約ですので、ウクライナ危機は同条約の発動条件からは外れています。このことは、仮に、アメリカがウクライナ危機に軍事介入する事態に至ったとしても、日本国には同盟国として参戦する義務はないことを意味します。言い換えますと、日本国はアメリカの同盟国ではありますが、中立という選択肢があるのです。

 一方、ロシアが、自軍のウクライナにおける軍事行動を国際法違反とは見なすはずもありません。懸念されているプーチン大統領による宣戦布告は、同大統領が、ウクライナにおける紛争を古典的な戦争と見なしている証左でもあります。このロシアの認識を逆手に取れば、ロシアが、仮にウクライナ、あるいは、アメリカに対して宣戦布告を行ったとしても、日本国政府は、’ロシアに対して’中立を宣言できることを意味します。

 一方、ロシアが核兵器や生物化学兵器等といった非人道的な大量破壊兵器を使用した場合にも、アメリカの参戦は予測されます。このケースによる戦争化に対しては、日本国政府は、アメリカ、イギリス、フランス、中国といった核保有国の責任において対応するよう求めるべきと言えましょう。核保有国に対して非核保有国が戦争に臨むことは、自殺行為に等しいからです。ロシアによる核使用に憤慨し、日本国もアメリカとともにロシア攻撃を開始した場合、ロシアは、躊躇なく、日本国に対しても核攻撃を加えることでしょう。核保有が国際法上の特権である以上、核保有に合法性を有する核保有国による核の先制行使については、当事国を核保有国に限定すべきなのです。このケースでも、日本国は、中立の立場となります。

 もっとも、以上に述べた中立案は、アメリカの落胆、並びに、対日不信感を招くかもしれませんし、ロシアが、ウクライナ支援を理由に一方的に日本国に宣戦布告を行い、先制攻撃を仕掛けた場合には崩壊してしまいます。そこで、前者に対しては、先ずもって、日本国政府の立場をアメリカ側に説明し、理解を求める必要がありましょう。その際には、アメリカと準同盟関係にありながら、中立を保持しているイスラエルが参考となるかもしれません(例えば、ロシアが日本に対して核攻撃を行った場合、その報復として米国が直ちにロシアに核攻撃を行うといった確約が無い場合には、中立を選ぶことを米国に提案するなど…)。また、日本国がウクライナに自衛隊を派遣するにしても、その活動を、兵力引き離し、民間人保護、停戦の実現といった中立的な立場における国際法の執行活動に限定するという方法もあります。アメリカも、ロシアを国際犯罪国家と認定していますので、日本国政府の条件付けが理にかなっている以上、無碍には反対できないはずです。

 そして、日本国による対ロ中立政策、並びに、中立的な国際法執行活動は、ロシアの対日攻撃を抑止する働きも期待されましょう。ロシアによる対日宣戦布告や先制攻撃は、ロシア側の意思決定によりますので100%防ぐことはできませんが、日本国による多重的中立性のアピールは、ロシアの政策決定に際して考慮すべき要因とはなりましょう。

 ウクライナ危機は、人類に国際法秩序の維持と第三次世界大戦の回避との間のジレンマをもたらしていますが、同ジレンマを解くことこそ、日本国政府の使命なのではなのかもしれません。上手に解くことができれば、日本国民のみならず、全人類をも救うこととなるのですから。そして、この国家の命運をも決する重大な問題は、国民的な議論に付すべきであると思うのです。

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日本国政府の予備費とウクライナ支援

2022年05月05日 15時01分19秒 | 日本政治
 先日、5月3日付の日経新聞の朝刊一面には、日本国政府の予備費に関する記事が掲載されておりました。コロナ対策を根拠として従来の10倍に予備費を増額し、2年間で3兆7121億円も確保しながら、その3割が使い残しているという内容です。同記事の趣旨は、予備費に対する監視体制の強化を訴えるところにあるのですが、国会での審議・採決を経ずして政府による閣議決定のみで拠出できるため、予備費には、財政民主主義、並びに、議会制民主主義を損ないかねない様々な問題が含まれています。そして、日本国政府によるウクライナ支援費の拠出も、問題点の一つなのではないかと思うのです。

 ウクライナ危機にあっては、当初からアメリカのバイデン政権は、ウクライナへの支援を表明してきました。もっとも、アメリカでは、大統領の一存、あるいは、政府の決定でウクライナ支援が決定されるわけではありません。その経緯を見てみますと、3月上旬に、議会において22年度予算が成立するに際して、ウクライナへの支援金として136億ドル(約1兆5千万円)が組み込まれています。同予算額はバイデン大統領の要求をも上回っており、迅速な予算成立には、ウクライナ支援に熱心な超党派議員達の活動があったとされます。その後、5月10には、上下両院での可決、並びに、大統領の署名によりウクライナに対する「武器貸与法(ウクライナ民主化防衛レンドリース法)」が成立するのです。目下、バイデン大統領は、議会に対して追加支援を要請していると報じられていますが、アメリカでは、その形骸化が指摘されつつも、対外的な軍事支援の決定に際しては、議会制民主主義の正当な手続きを踏んでいると言えましょう。

 こうしたアメリカでの政策決定過程と比較しますと、日本国政府のウクライナ支援には、危うさを禁じ得ません。何故ならば、日本国のウクライナ支援は、政府の予備費から拠出されているからです。ウクライナ危機に際して、日本国政府もウクライナ支援をいち早く表明し、2月27日には、1億ドル(訳115億円)の緊急人道支援を約しています。同人道支援は、2021年度予算の一般会計予備費から支出されますので、国会は全く関与していないのです。

 同人道支援は、日本国政府の説明によりますと、「シェルターや保健・医療、水・衛生、食料など緊急性の高い分野」とされていますが、3月10日には、ウクライナ側からの軍事支援の要請を受ける形で自衛隊の装備品である防弾チョッキとヘルメットの供与を決定しました。同装備品の提供については、「防衛装備移転三原則」に定めた禁止対象とはならないとしながらも、その後も、防護マスクや監視用ドローンの提供など、支援対象が拡大しているのです。こうした支援に要する予算は、上記の人道支援とは別途に予備費、あるいは、防衛費から支出しているものと推測され、ここにも、国会のみならず、国民的議論も見当たらないのです。

 アメリカにおける「武器貸与法」の成立は、第二次世界大戦時以来とされており、日本国にとりましても無関心ではいられない側面があります。先の大戦にあっては、同法は、1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃、並びに、それに連鎖したナチス・ドイツからの宣戦布告に凡そ9か月も先立った、同年3月11日に成立しているからです。同法は、公式の開戦、すなわち、第二次世界大戦へのアメリカの参戦の一里塚となったという意味において、いわば、連合国対枢軸国という同世界大戦の対立構図を決定づけた重要な法律であったとも言えましょう。

 こうしたアメリカの「武器貸与法」の歴史を振り返りますと、政府の閣議決定のみによるウクライナ支援については、それが日本国の参戦という事態にも至りかねないが故に、不安が過ります。当時のアメリカと同様に、今日の日本国は、紛争の直接的な当事国ではありません。しかしながら、攻撃兵器ではないにせよ、ウクライナに対して軍用品を提供していますので、ロシアから一方的に敵国認定され、宣戦布告を受ける可能性はゼロではないのです(ロシアは、自国の軍事行動を国際法違反とは認識していないので、日本国の支援は、敵対行為として認識されてしまう…)。

 日本国が戦争の当事国となる可能性がある以上、ウクライナ支援については、民主的な手続きに従い、国会、並びに、国民的な議論は不可欠なように思えます。少なくとも、予備費を伴う閣議決定のみによる支援決定は議会制民主主義の迂回ルートともなりかねず、日本国民の多くも危惧することでしょう。中国の軍事的脅威が迫る中、ロシアとの戦争に国力を消耗することが正しい選択なのか、ウクライナのために日本国民が犠牲となることを甘受するのか、他に手段はないのか、などなど、議論となれば、様々な問題提起や提案があるはずです。第三次世界大戦の回避も重大なる人類の課題なのですから、直接的なウクライナへの支援にこだわらず、ウクライナ危機を終息へと向かわせるために知恵を絞るべきではないでしょうか。日本国政府の深慮なき支援決定が、日本国民の生命を危機に晒すとしますと、日本国政府の責任は重大でないかと思うのです。

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ラブロフ外相のヒトラーユダヤ系説を考える

2022年05月04日 13時33分08秒 | 国際政治
 目下、ロシアのラブロフ外相のヒトラーユダヤ系説に関する発言が、波紋を広げています。もっとも、アドルフ・ヒトラーにはユダヤ人の血が流れているとする説は、ラブロフ外相が最初に言い出したことではなく、’公然の秘密’とまでは行かないまでも、近年に至り、かなり信憑性の高い説とみなされています。何故ならば、ヒトラーの父親であるアロイスは父親が不明の私生児として出生しておりますし(生物学上の父親はユダヤ系?)、高等教育を受けずに育ったものの異例の出世を遂げ、後年、オーストリア帝国の官吏にまで取り立てられているからです(有力者の後押し?)。謎多き人物なのですが、数年前にヒトラーの甥のDNA鑑定を行った結果(アロイスにはアドルフを含めて8人の子供たちがいた…)、中東系の塩基配列の存在が報告されており、医科学的にもヒトラーがセファルディ系のユダヤ血脈を引いている可能性が強く示唆されているのです。

 しかも、ナチス・ドイツの幹部の多くは、ゲッペルスをはじめとして多数のユダヤ人が含まれています。たとえ、ヒトラーその人がユダヤ系ではなくとも、ナチスという組織にはユダヤ人脈が根を張っていたことは歴史的な事実であり(ヒトラー政権の80%がユダヤ人であるとも言われている)、イスラエルやウクライナのゼレンスキー大統領が激しく批判し、謝罪を求めようとも、ラブロフ外相の発言は、歴史の真実の一旦を明かしています。

 そして、ラブロフ外相によるこの一種の’暴露’は、カバーストーリーの羅列のごとき教科書的な世界史の理解では、今日の政治の世界、並びに、史実としての世界史を正確に把握することができないことを示しています。例えば、ラブロフ発言を頭から否定する人々は、この世の中には’偽旗作戦’など存在していないと固く信じ込んでいます。しかしながら、古今東西を問わず、作戦の失敗を含めて、味方のふりをして敵国の権力内部に入り込み、敵国を攻撃したり、その崩壊に導いた事例は枚挙に遑はありません。歴史を学べば学ぶほど、’偽旗作戦’こそ最高の攻撃方法と思えるほど、その効果の高さに驚かされるのです。’内部に入り込んだ敵ほど怖いものはない’というのは、歴史の教訓でもあります(「トロイの木馬」の伝説も、こうした歴史の一端を伝えている?)。

 しかも、ユダヤ人の思想の中には、しばしば異教徒に対する詐術を容認しているとして批判されてきたタルムードの教えのみならず、古代の邪教を引き継ぐマルクート教、さらにはフランク主義のように’隠れユダヤ教徒’を生み出してきた倒錯的な思想の流れもあります。こうした独特の思想、あるいは、思考傾向からしますと、’ユダヤ人だけは、絶対に偽旗作戦を用いることはない’とは、誰もが断言はできないことでしょう。むしろ、資金力に富み、全世界にネットワークを張り巡らしているユダヤ人であるからこそ、’偽旗作戦’は、比較的容易に実行し得る作戦であるかもしれないのです。偽旗作戦の存在を信じない人々は、何度でも同じ作戦に騙されてしまうかもしれません。

 例えば、実際に、現代にあっても、強く偽旗作戦の実践が疑われるケースも少なくありません。何年か前の話になりますが、イギリスのメディアが、国粋主義者と見なされてきた日本国の極右団体のメンバーの多くが韓国・朝鮮系の人々であることを’暴露’し、ネット上で騒ぎが起きたことがありました。過激な民族主義者がその実、外国系の人々である事例は、日本国内でも見られるのです。また、今般のフランス大統領選挙にあって中盤に支持率を伸ばしたエリック・ゼムール氏も、極右候補の一人とされながらユダヤ系でした。これらの人々の活動が’偽旗作戦’であるかどうかは現状では判断できませんが、外国人によるナショナリズムの扇動は不自然であり、この漠然とした違和感、あるいは、不信感は、これらの人々を陰から操る組織の存在に由来するのかもしれないのです。

 以上に述べたことから、ヒトラーユダヤ人説は全く根拠のないフェイクではなく、ナチス、並びに、ネオ・ナチ集団のバックにはユダヤ系の組織が潜んでいる可能性も否定はできなくなります。アゾフ大隊は、民間のネオ・ナチ系の組織から昇格していますので、ウクライナのゼレンスキー政権にあって、ユダヤ系ネオ・ナチ勢力が一定の地位を得ているという説は、それが信じられるだけの土壌があると言えましょう。

 なお、ラブロフ発言は、ロシアにとりましてもブーメランとなるかもしれません。その理由は、プーチン大統領についても、その出自に疑惑があるからです。その疑惑とは、プーチン大統領も婚外子であり、後にプーチン家の養子となったというものです。1999年に実母を名乗る女性が登場したことで注目されるようになったのですが、プーチン大統領もヒトラーも、自らの出自を調査させないように妨害しています。また、ヒトラー自身も、父親のアロイスと同じくあれよあれよという間に権力の座に上り詰めており、’謎の出世’という点においては、KGBの諜報部員から大統領への階段を駆け上ったプーチン大統領も共通しているのです。果たしてこの共通性は、何を意味しているのでしょうか。



(*本日は、ラブロフ発言の重要性に鑑みまして、同発言を取り上げて記事といたしました。昨日掲載しました「国際社会における新たな安全保障体制とは?」の続きは、後日といたしたく存じます。大変申し訳なく、お詫び申し上げます。)

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国際社会における新たな安全保障体制とは?

2022年05月03日 16時07分39秒 | 国際政治
 今日の国際社会では、ロシア以上に順法精神の希薄な中国という一党独裁国家も幅を利かせています。しかも、これらの諸国は核兵器を合法的に保有する国連安保理の常任理事国でもありますので、今日、他の中小の諸国は、’特権国家’からの脅威に晒されているのです。国家の多様性は、その国際法上の法的地位の違いによっても確認できましょう。それでは、こうした国家の多様性に対応し得る未来の国際社会の安全保障体制とは、どのようなものなのでしょうか。

グローバリストの描く人類の未来像は、カール・マルクスが’予言’したような国家が消滅した国境なき世界なのでしょう。しかしながら、国家の消滅が人類に安全と安定並びに安寧を約束するわけではなく、むしろ、メビウスの輪のごとく’天国’行きの道は途中で裏返り、’地獄’に行き着くかもしれません。多くの諸国が他国との間に対立要因を抱えている現状にあって、未来における世界の一体化を解決策として提示することは無意味であり、ナンセンスですらあるのかもしれないのです。一つの物を争っている両人に対して、「これは、将来、皆のものになるのだよ」といって喧嘩を納めようとすれば、それは、まるで狡賢い狐が登場するイソップ物語のような寓話となりましょう(結末では、両人が争っている物は、この狡賢い狐の持ち物となってしまうかもしれない…)。

世界の統一、即ち、国家の多様性の消去を以って国際社会における安全保障の確立を目指す方向性は、あまりにも現実を無視していると言わざるを得ません。今日にあって必要とされているのは、国民国家体系の基礎となる国家の多様性を前提とした新たな安全保障体制の再構築なのであって、そのためには、価値観や時代感覚の違いにも配慮すべきと言えましょう。力の支配を当然とする国もあれば、法の支配を尊重する国もあるのですから。

例えば、力の支配を旨とする諸国の存在を前提とすれば、全ての諸国に核武装を許す新たな核による相互抑止体制は、暴力主義国家による侵害行為を事前に予防する国際体制という意味において是認されることとなりましょう(なお、相互抑止力が働くには、核による先制攻撃を受けた際に反撃する能力の保持も必要…)。NPTや核兵器禁止条約は、既存の核保有国の安全を護ってはいても、他の非核保有国を脅威に晒しているとしか言いようがないのです。

しかも、全世界の諸国における核武装は、主権平等を担保するという意味においても、国際社会の基盤ともなりましょう。力が支配する世界にあっても、核保有は、国家間の対等性を力の均衡によってもたらすのみならず、法の支配にあっても、主権平等の原則を保障する作用をも備えているからです。

このように考えますと、全諸国による核武装体制は、いわば、新たな国際秩序の第1層、即ち、基盤部分として理解されましょう。何故ならば、現行の国連のみならず、本ブログで述べてきたような他の交渉や司法解決等のシステムがたとえ機能不全に陥ったとしても、各国とも、核の相互抑止力により最低限の安全が保障されるのですから(つづく)。


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国家の多様性に応じた防衛・安全保障政策を

2022年05月02日 16時36分38秒 | 国際政治
 平和という価値は、’戦争反対’だけを声高に叫んでいても手にすることはできないようです。安定的な国際秩序を構築するには、抑止システムや対立要因の解消を含む予防、世界戦争化回避の仕組みを組み込んだ武力行使時の即応システムの整備、並びに、司法手続きによる戦後処理の制度化…といった課題が人類には待ち受けています。いわば、過去、現在、未来の三つの時間的段階全てをカバーする制度構築を必要とすると言えましょう。そして、このような平和のための国際システムを考案するに際しては、国家の多様性をも考慮すべきように思えます。

グローバリズムは、‘多様性の尊重’というキャッチフレーズとともに世界規模で広がってきました。グローバリズムの文脈における‘多様性’とは、おそらく、国境を越えた人の移動、すなわち、移民の増加に伴ってその受入国社会において頻発が予測された人種・民族差別を緩和し、国境の壁を低くすることへの抵抗を和らげる効果が期待されたのでしょう(多文化共生主義の唱導者…)。このため、この言葉は、その本質において単一性を追求していながら、表面的には多様性を唱えていることにおいて、‘グローバリズムの欺瞞性’としても指摘されてもきたのです。

ところが、よく考えてもみますと、多様性とは、グローバル時代以前のみならず、今日でも国際社会の現実でもあります。アメリカ等の多民族国家も存在し、かつ、近年、先進国を中心に移民の増加による人口構成の変化がみられるものの、国家の多くは、DNAの塩基配列、言語、慣習等において共通性を有する民族集団を凡そ’国民’としています。国家には、それぞれ、他に二つとない個性があるのです。つまり、グローバリズムが唱える’国境なき多様性’と現実の国境が区切る’国家の多様性’は全く別物なのです。国家の多様性こそ現実であるならば、その現実の多様性に対応しない限り、平和の構築は危ういということになりましょう。

それでは、国家の多様性という現実は、どのような形で国際社会の脅威となっているのでしょうか。第一に指摘し得るのは、価値観、とりわけ、時代感覚とも言うべき世界観に関する認識の違いです。例えば、ウクライナ危機は、ロシアとウクライナとの間に発生している危機は、奇妙な時代感覚の対立として捉えることもできましょう。

帝国主義の道を歩んできたロシアの世界観では、大国が軍事力を以って周辺諸国を征服する行為は自然の摂理に近い感覚なのでしょう。あるいは、ロシア系ウクライナ人並びにウクライナ人を同族とみているならば、大国ロシアの保護下に入ることは、これらの人々にとっても’幸福なこと’であると考えているかもしれません。ロシアが時代錯誤と批判されるのは、国民国家体系にあって主権平等の原則が確立しているにもかかわらず、強い序列意識に囚われている同国の世界観では、’大国はヒエラルヒーの頂点にあるべき’と見なしているからなのでしょう。この点は、中華思想が染みついている中国にも見られる意識です。

それでは、ウクライナは、現代国家の時代意識を代表しているのでしょうか。ウクライナの世界観が、ロシアとは著しく違っていることは確かです。しかしながら、ウクライナの場合、ロシアとは別の意味で、独自の世界観を有しているように思えるのです。ウクライナとは、ユダヤ教徒の多くをキリスト教徒に改宗させたヤコブ・フランクの出生地でもあり(もっとも、その多くは、トロイの木馬的な’隠れユダヤ教徒’であったかもしれない…)、世界に張り巡らされているユダヤ系ネットワークの重要拠点の一つとも言えます。グローバリストやセレブが同国を積極的に支援しているのも、ユダヤ人脈の連帯意識によるのでしょう。仮に紛争当事国がウクライナでなく、他の別の中小国であったならば、迅速、かつ大規模な’世界的な支援’を受けることは難しかったかもしれません。

以上の観点からしますと、ウクライナ危機は、過去の帝国主義から抜け出すことができないロシアと、未来を先取りしているグローバリストとの対立として描くことができます。しかも、ウクライナを支援しているリベラル派は、ロシアとは逆にフラットな世界観を持つ人々のようにも見えつつも、フランキストは、王族や欧州貴族層にも入り込んでいるがゆえに、ヒエラルヒー志向もまた共通しているのかもしれません。表面的にはロシア・ナショナリズムとウクライナ・ナショナリズムが鋭く対峙しているように見えながら、その実、双方とも、過去と未来という違いがありながら、現代という時代の国民国家のモデルからは逸脱しているのです(こうした共通性は、両者を上部から操る超国家権力体の存在に信憑性を与えている…)。

ウクライナ危機から垣間見えるように、それぞれの国家には時代感覚において著しい違いがあります。こうした国家の多様性を考慮しますと、今後の平和的な秩序形成に際しても、様々な個別具体的なケースに対応し得る多層・並列的な構造を内包する体制を必要としているのではないかと思うのです(つづく)。

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