柏原駅からJRで浅香駅まで中抜きで大和川の下流へ向かいます。
下の分担図で右端から左側のの浅香と書かれた処へ出て来ました。
(新大和川 工事分担図)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
分担図でもU字を描いて新大和川が曲がって造られてますね。
JRの浅香駅を底に上流側と下流側を写すとこんな感じに見えますな。
(JR浅香駅から上流側を撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(JR浅香駅から下流側を撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
このカーブした部分が「千両曲がり」と呼ぶんだそうです。
この部分を造るのに千両ものお金が必要だったんですな。
両側が上町台地の浅香山と呼ぶ丘陵になっていますね。
だから新大和川を造るのに此処を掘削する難工事だったようです。
(大和川の支流) (西除川)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
元々この辺りを南から北へ流れる川は大坂城へ向かっていました。
それが新大和川によって無理やり切断されてしまい、新大和川沿いに
落掘川を造って川底が同じに成る地点まで曲げて合流させる事になります。
この西除川は狭山池から流れ出して新大和川にぶっかった処で2kmぐらい
下流に流れを変更されてしまった訳ですな。
(大和川の遊歩道の林)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
大和川の河川敷は此処から遊歩道になって河口まで続いています。
ツツジの名所がここ浅香山の浄水所跡に有るんですが今は冬だから
春に備えて工事中で中へは入れませんでしたね。
(南海高野線の 特急こうや号が通過)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
現在は海が埋め立てられてここから4kmぐらい先まで大和川が続いています。
でも江戸時代に新大和川が出来たころは此処から1kmぐら先が海岸線でした。
(河口から4kmの標識)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(大和橋) (堺市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
1704年(宝永元年)にこの橋が完成して新大和川の付替え工事が終了。
当時はこの大和橋が唯一の橋で公儀橋だそうです。
だけど大坂の12公儀橋に含まれていないのは当時
この当りは大坂(浪速)とは呼ばなかったんでしょうね。
紀州や岸和田のお殿様が江戸へ参勤交代するにはこの大和橋を渡って
大坂の天満橋から船で京都の伏見へ抜けたそうでう。
(阪神高速道路 堺線の橋脚) (堺市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
高速道路は大和川の大阪市側は昔の十三間堀川を埋め立てた処を通っています。
この十三間堀川は新大和川が出来て直ぐにここまで延長工事がされたそうです。
だから当時はこの十三間堀川が海岸線のすぐ側だったようです。
(十三間堀川の水門の跡) (大阪市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
右側に堰が見えていますが私が学生時代には泳いだり貝を採ったりしましたね。
私の悪ガキ時代の遊び場だった処で此処から北へ500mぐらいの処に
学生時代から独身時代までを過ごした町なんですよ。
40数年ぶりに訪れましたが川の風景や周りの工場などは
ほ当時とは変ってしまいましたね。
国道26号線の大和川大橋だけは当時のままで残っていましたけど。
(国道26号線 大和川大橋) (大阪市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この撮影した地点からの風景は昔懐かしいそのままでした。
確か昭和の初めに架けられた橋のままで残っているようです。
河川敷はもっと草が生えていましたけどね。
下の分担図で右端から左側のの浅香と書かれた処へ出て来ました。
(新大和川 工事分担図)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
分担図でもU字を描いて新大和川が曲がって造られてますね。
JRの浅香駅を底に上流側と下流側を写すとこんな感じに見えますな。
(JR浅香駅から上流側を撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(JR浅香駅から下流側を撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
このカーブした部分が「千両曲がり」と呼ぶんだそうです。
この部分を造るのに千両ものお金が必要だったんですな。
両側が上町台地の浅香山と呼ぶ丘陵になっていますね。
だから新大和川を造るのに此処を掘削する難工事だったようです。
(大和川の支流) (西除川)
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元々この辺りを南から北へ流れる川は大坂城へ向かっていました。
それが新大和川によって無理やり切断されてしまい、新大和川沿いに
落掘川を造って川底が同じに成る地点まで曲げて合流させる事になります。
この西除川は狭山池から流れ出して新大和川にぶっかった処で2kmぐらい
下流に流れを変更されてしまった訳ですな。
(大和川の遊歩道の林)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
大和川の河川敷は此処から遊歩道になって河口まで続いています。
ツツジの名所がここ浅香山の浄水所跡に有るんですが今は冬だから
春に備えて工事中で中へは入れませんでしたね。
(南海高野線の 特急こうや号が通過)
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現在は海が埋め立てられてここから4kmぐらい先まで大和川が続いています。
でも江戸時代に新大和川が出来たころは此処から1kmぐら先が海岸線でした。
(河口から4kmの標識)
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(大和橋) (堺市側から撮影)
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1704年(宝永元年)にこの橋が完成して新大和川の付替え工事が終了。
当時はこの大和橋が唯一の橋で公儀橋だそうです。
だけど大坂の12公儀橋に含まれていないのは当時
この当りは大坂(浪速)とは呼ばなかったんでしょうね。
紀州や岸和田のお殿様が江戸へ参勤交代するにはこの大和橋を渡って
大坂の天満橋から船で京都の伏見へ抜けたそうでう。
(阪神高速道路 堺線の橋脚) (堺市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
高速道路は大和川の大阪市側は昔の十三間堀川を埋め立てた処を通っています。
この十三間堀川は新大和川が出来て直ぐにここまで延長工事がされたそうです。
だから当時はこの十三間堀川が海岸線のすぐ側だったようです。
(十三間堀川の水門の跡) (大阪市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
右側に堰が見えていますが私が学生時代には泳いだり貝を採ったりしましたね。
私の悪ガキ時代の遊び場だった処で此処から北へ500mぐらいの処に
学生時代から独身時代までを過ごした町なんですよ。
40数年ぶりに訪れましたが川の風景や周りの工場などは
ほ当時とは変ってしまいましたね。
国道26号線の大和川大橋だけは当時のままで残っていましたけど。
(国道26号線 大和川大橋) (大阪市側から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この撮影した地点からの風景は昔懐かしいそのままでした。
確か昭和の初めに架けられた橋のままで残っているようです。
河川敷はもっと草が生えていましたけどね。