我が家から東へ約300mほど歩くと大きな川へ出まんねん。
大和川の支流では一番大きな「石川」と呼ぶ一級河川だそうですわ。
まだ寒いでっけど暖かくなったら鉄ちゃん爺やの散歩コースでんな。
こんな川でっせ~ 川幅は160mぐらいでっしゃろか。
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
これは下流に向けて写した画像でっせ。
遠くの山並みは生駒山系で山の向こう側は奈良県になりまんねん。
わては~ 反対に上流の方に向かいまひょ。
(石川の河川敷公園)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
寒い時期なんで歩いてる人はほとんど居てはりまへんわ。
河川敷の花もこれのみ、菜の花だと思いまっけど手入れも不足でんな。
石川の左岸は隣町の富田林市から我が町を通り抜け下流の藤井寺市まで
約8kmぐらいが遊歩道になり車やバイクは立ち入り禁止になってまんねん。
そんな訳で、自転車でサイクリングをしたり散歩するには良い感じでんな。
(石川河川敷 通行禁止)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ありゃまあ~ これから先は通行止めになってまっせ。
遠くに見えるのは南阪奈道路とその側道でここから500mぐらい先でっしゃろな。
(通行禁止の 説明板)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
イノシシが河川敷に出没し昨年末から二人ほどが突っかけられて怪我をしたとか。
先週の日曜日に捕獲作戦を猟友会と土木事務所がやったけど失敗だったらしいね。
そういえば我が町の広報にもそんな記事が載ってましたわ。
仕方がないから堤防の方から抜けてみまひょ。
(新大黒橋から 石川河川敷を撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
正面に草むらが見えてまっしゃろ、あんな処にイノシシが隠れてそうな感じ。
イノシシって猪突猛進だから体をかわしたら避けられると信じたらあきまへんで。
それは漫画やアニメの世界で本当は小回りも効くし立ち止まることもできるそうな。
急に方向転換して突っかかることもおますんやて。
まあ~ 近づかないことが一番でっしゃろな。
(同じ場所から 金剛・葛城の山並みを撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
奥の山が金剛山(1112m)で大阪府では一番高い山でっせ。
大阪ではこの金剛山に何度も登るマニアがぎょうさん居はりまんねん。
五百回とか千回も登ったとかの珍記録保持者? も居はるそうですわ。
今頃は樹氷が見られる大阪では良く知られた山でんな。
頂上は奈良県になってまっけど、登るのは大阪側にロープウエーがおますんや。
手前が大和葛城山(960m)でこっちは逆に奈良県の御所市側にロープウエーが
おまして、春のツツジが咲く頃は二時間待ちになるぐらい人気の山だっせ。
葛城山と呼ぶ山はこの辺りに三つおますんや、和泉葛城・南葛城・大和葛城
でも単に葛城山といえばこの大和葛城山になりますかな。
奈良盆地や大和三山を眺めるのには適した山で見晴らしが最高でんな。
逆に金剛山は木が繁っていてあまり視界が良い山じゃおまへんのや。
この辺りで一番高い山ちゅうだけなのに、何故に登る人が多いのか
ようわかりまへんのや。
(もう少し左へ カメラを振ると)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
我が町では一番南になる通法寺(つうほうじ)という集落でっせ。
この小高い山にイノシシが昔から住んでたのは知ってましたんや。
二年前の画像でっけどこんな立て看板もおましたし。
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
そやけど川を渡って我が家から1kmぐらい南の住宅街までやってくるとは
早いこと捕獲するか射殺してもらわんと怖いでんな。
この通法寺地区は暖かくなったらハイキングや郷土史の好きな方が
最近は増えてきたんで怪我でもしないかと心配してまんねん。
(源氏三代の墓 説明板) (大阪府羽曳野市 通法寺地区)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
OCN Cafe時代に紹介したかも知れまへんがもう一度載せてみまひょ。
ここは平安時代の11世紀に源頼信が河内守(かわちのかみ)に就任して
館を建て河内源氏を名乗って根拠地にしたそうですわ。
(源頼義の墓) (河内二代目)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
歴史上では前九年の役や平広常の乱などに登場する源氏の武将でんな。
八幡太郎義家の父親で河内源氏はこの方が出てから表舞台に躍り出たという感じ。
彼は菩提寺の通法寺を創建しその境内にお祀りされてますんや。
(源義家公の墓) (河内源氏三代目)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
何せ八幡太郎義家公は源氏の地盤を東国にまで広げた武将でっしゃろ。
鎌倉市ちゅうのは妻の実家(桓武平氏)から引き出物に貰った土地だそうでんな。
だから源頼朝が鎌倉に幕府を置けたのも源義家の直系の子孫だったからでっせ。
蛇足ながら源頼朝公の大祖父に当たる方がこの源義家公ですよ。
(源義家公のお墓)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
昔の武将ちゅうのはお寺や神社には立派な建物を寄進されまっけど
自分自身のお墓は質素な物がほとんどでっしゃろ。
源義家公もここ通法寺村で生まれたのかどうかは定かじゃおまへんけど
河内源氏の本拠地に葬られるのが自然だったんでしょうな。
亡くなったのは確か京都市内だったと思いまんねんけど。
江戸時代には徳川家が河内源氏を本宗と考えていたので通法寺や
壺井八幡宮は大きな所領を持っていたそうでっせ。
明治維新では逆に朝敵と考えられたのか荒廃してしまったようですわ。
廃仏毀釈の影響も有り荒れ果てた、お寺と神社になってしまったとか。
最近になって我が町でも歴史を見直す動きから通法寺や壺井八幡宮を
修復して郷土史の愛好家などにPRを始めたようでんな。
ほな~ 今日はこれでお仕舞い さいなら~
大和川の支流では一番大きな「石川」と呼ぶ一級河川だそうですわ。
まだ寒いでっけど暖かくなったら鉄ちゃん爺やの散歩コースでんな。
こんな川でっせ~ 川幅は160mぐらいでっしゃろか。
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
これは下流に向けて写した画像でっせ。
遠くの山並みは生駒山系で山の向こう側は奈良県になりまんねん。
わては~ 反対に上流の方に向かいまひょ。
(石川の河川敷公園)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
寒い時期なんで歩いてる人はほとんど居てはりまへんわ。
河川敷の花もこれのみ、菜の花だと思いまっけど手入れも不足でんな。
石川の左岸は隣町の富田林市から我が町を通り抜け下流の藤井寺市まで
約8kmぐらいが遊歩道になり車やバイクは立ち入り禁止になってまんねん。
そんな訳で、自転車でサイクリングをしたり散歩するには良い感じでんな。
(石川河川敷 通行禁止)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ありゃまあ~ これから先は通行止めになってまっせ。
遠くに見えるのは南阪奈道路とその側道でここから500mぐらい先でっしゃろな。
(通行禁止の 説明板)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
イノシシが河川敷に出没し昨年末から二人ほどが突っかけられて怪我をしたとか。
先週の日曜日に捕獲作戦を猟友会と土木事務所がやったけど失敗だったらしいね。
そういえば我が町の広報にもそんな記事が載ってましたわ。
仕方がないから堤防の方から抜けてみまひょ。
(新大黒橋から 石川河川敷を撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
正面に草むらが見えてまっしゃろ、あんな処にイノシシが隠れてそうな感じ。
イノシシって猪突猛進だから体をかわしたら避けられると信じたらあきまへんで。
それは漫画やアニメの世界で本当は小回りも効くし立ち止まることもできるそうな。
急に方向転換して突っかかることもおますんやて。
まあ~ 近づかないことが一番でっしゃろな。
(同じ場所から 金剛・葛城の山並みを撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
奥の山が金剛山(1112m)で大阪府では一番高い山でっせ。
大阪ではこの金剛山に何度も登るマニアがぎょうさん居はりまんねん。
五百回とか千回も登ったとかの珍記録保持者? も居はるそうですわ。
今頃は樹氷が見られる大阪では良く知られた山でんな。
頂上は奈良県になってまっけど、登るのは大阪側にロープウエーがおますんや。
手前が大和葛城山(960m)でこっちは逆に奈良県の御所市側にロープウエーが
おまして、春のツツジが咲く頃は二時間待ちになるぐらい人気の山だっせ。
葛城山と呼ぶ山はこの辺りに三つおますんや、和泉葛城・南葛城・大和葛城
でも単に葛城山といえばこの大和葛城山になりますかな。
奈良盆地や大和三山を眺めるのには適した山で見晴らしが最高でんな。
逆に金剛山は木が繁っていてあまり視界が良い山じゃおまへんのや。
この辺りで一番高い山ちゅうだけなのに、何故に登る人が多いのか
ようわかりまへんのや。
(もう少し左へ カメラを振ると)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
我が町では一番南になる通法寺(つうほうじ)という集落でっせ。
この小高い山にイノシシが昔から住んでたのは知ってましたんや。
二年前の画像でっけどこんな立て看板もおましたし。
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
そやけど川を渡って我が家から1kmぐらい南の住宅街までやってくるとは
早いこと捕獲するか射殺してもらわんと怖いでんな。
この通法寺地区は暖かくなったらハイキングや郷土史の好きな方が
最近は増えてきたんで怪我でもしないかと心配してまんねん。
(源氏三代の墓 説明板) (大阪府羽曳野市 通法寺地区)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
OCN Cafe時代に紹介したかも知れまへんがもう一度載せてみまひょ。
ここは平安時代の11世紀に源頼信が河内守(かわちのかみ)に就任して
館を建て河内源氏を名乗って根拠地にしたそうですわ。
(源頼義の墓) (河内二代目)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
歴史上では前九年の役や平広常の乱などに登場する源氏の武将でんな。
八幡太郎義家の父親で河内源氏はこの方が出てから表舞台に躍り出たという感じ。
彼は菩提寺の通法寺を創建しその境内にお祀りされてますんや。
(源義家公の墓) (河内源氏三代目)
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何せ八幡太郎義家公は源氏の地盤を東国にまで広げた武将でっしゃろ。
鎌倉市ちゅうのは妻の実家(桓武平氏)から引き出物に貰った土地だそうでんな。
だから源頼朝が鎌倉に幕府を置けたのも源義家の直系の子孫だったからでっせ。
蛇足ながら源頼朝公の大祖父に当たる方がこの源義家公ですよ。
(源義家公のお墓)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
昔の武将ちゅうのはお寺や神社には立派な建物を寄進されまっけど
自分自身のお墓は質素な物がほとんどでっしゃろ。
源義家公もここ通法寺村で生まれたのかどうかは定かじゃおまへんけど
河内源氏の本拠地に葬られるのが自然だったんでしょうな。
亡くなったのは確か京都市内だったと思いまんねんけど。
江戸時代には徳川家が河内源氏を本宗と考えていたので通法寺や
壺井八幡宮は大きな所領を持っていたそうでっせ。
明治維新では逆に朝敵と考えられたのか荒廃してしまったようですわ。
廃仏毀釈の影響も有り荒れ果てた、お寺と神社になってしまったとか。
最近になって我が町でも歴史を見直す動きから通法寺や壺井八幡宮を
修復して郷土史の愛好家などにPRを始めたようでんな。
ほな~ 今日はこれでお仕舞い さいなら~