今回は兵庫県の明石市まで出かけましたで。
明石市は人口が29万2千人ぐらい兵庫県でも5番目に大きい町でおますんや。
東経135度が通過してますんで「子午線の街」としても知られてまっ。
日本の標準時間がこの東経135度を基準にして決まるのはご存知でっしゃろ。
(JR明石駅舎)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
JR明石駅を北側へ出たら目の前が県立・明石公園になってますんや。
鉄ちゃん爺やが不思議なことに初めて訪れる処なんですわ。
明石市には何度か来てまっけど何故か南出口方面ばかりでしたんや。
(県立・明石公園)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは江戸時代には必ず譜代大名が入る重要なお城が在りましたんですわ。
大坂夏の陣が終わってからも江戸幕府は西国諸藩に対して備えが必要でしたんや。
二代将軍の徳川秀忠は譜代の小笠原忠真(ただざね)を信州松本から10万石で
転封し堅牢な城を造るように命じたと記録に残ってまんな。
姫路城主・本多忠政の指導を受けての築城だったそうで
幕府は銀一千貫(現在なら31億円)を下げ渡し
伏見城や三木城で取り壊した資材を使うことも許可したそうですわ。
実はこの小笠原家忠真が大事にされたのにはこんな裏話がおまんねんで。
彼の父親は小笠原秀政と言い信州・松本藩の初代藩主でしたが
大坂夏の陣で長男と共に徳川家康の身代わりになって戦死してますんや。
あの真田幸村が徳川家康の本陣へ突入しようとしたのを
身をていして助けたことが大きく影響してるようでんな。
それにこの小笠原忠真の生母は徳川家康の孫娘ということもあって
まだ15歳の二男坊だったけど小笠原家の家督を継げたようでっせ。
明石城という大事な地域を任されたのも父親と長兄の戦死に報いる
ご褒美の意味があったんでしょうな。
後に小笠原家は北九州の小倉城へ移り明治維新まで続く大名ですわ。
(明石城 二つの櫓) (西暦1620年)(元和六年竣工)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
向かって左側が坤櫓(ひつじさるやぐら)と呼びお城の西南側の守りでっせ。
反対の右側は巽櫓(たつみやぐら)だそうで城の東南側を受け持つ訳でんな。
この二つは阪神淡路大震災で石垣が崩れて傾いたそうでんがな。
平成の大修理で復元したそうやけど櫓の内部は築城当時のままなんだって。
そんな訳で二つとも国の重要文化財に指定されてまんな。
(二ノ丸の 石垣下で自分撮り)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
江戸幕府は西国諸藩を姫路城とここ明石城で見張ると共に一朝事あれば
明石海峡と西国への街道筋を押える作戦を考えてたようでんな。
だから姫路城も明石城も徳川幕府250年の期間中は譜代大名が封じられる
それぐらい重要な拠点でおましたんや。
(明石城の櫓 一般公開の掲示板)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
入場無料やったら見ない訳にはいきまへんやろ。
漆喰と瓦が新しいのは平成の大修理で取り替えたんでっしゃろな。
(明石城 坤櫓)(ひつじさるやぐら)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(坤櫓 ひつじさるやぐら) (1階の内部)
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なるほど~ 内部は江戸時代の築城当時の姿を感じますわ。
この内部の木材は伏見城を取り壊したものを再利用したとの説が濃厚だそうな。
明石城では天守台は造られたけど天守閣は最後まで造られなかったとか。
だからこの坤櫓(ひつじさるやぐら)が一番大事な建物だったようでんな。
(築城当時の瓦が 1階に陳列)
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(これは 鉄砲狭間)(てっぽうはざま)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
近づいて外を覗いてみたらこんな感じでっせ。
遠くにJR明石駅と繁華街のビルが見えてまんな。
こっから鉄砲で狙い撃ちする工夫でっしゃろな、皮肉なことに
一度も実戦では使われることがなかったようでっけど。
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(本丸敷地内の 天守台)
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天守台は造ったけど世の中が落ち着いて天守閣が必要なくなったんでしょうな。
敷地だけは五重の天守閣が造れるような構造になってるそうですわ。
(本丸の敷地)
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ここには江戸時代に本丸御殿が在ったそうでっけど
現在はその痕跡は見られません。
明治維新の城郭取り壊しでは徳川譜代のお城だったため
意識して破壊してしまったんでしょうな。
艮櫓(うしとらやぐら)などは明石の小学校の材料にするため
取り壊してしまったそうだっせ。
旧藩士らの嘆願で二つの櫓と石垣だけがどうにか残ったようですわ。
(明石城 歴代藩主の概要 説明板)
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小笠原・大久保・松平・本多 どれも徳川譜代の名門ばっかり並んでまっしゃろ。
(巽櫓 たつみやぐら)
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やっぱり、お城の櫓は外から見たほうがサマになりまっしゃろ。
この辺りから眺める巽櫓が鉄ちゃん爺やには、一番綺麗な姿やと思いまんねん。
(県立・明石公園専用 マンホールの蓋)
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(明石城内 武蔵の庭園)
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宮本武蔵さんは客分として小笠原忠真に仕えて居たそうで明石城の側に
庭園を造ったとの言い伝えがあるそうですわ。
剣術の腕前は有名でっけど庭園技術や町造りの才能があったのかしら?
確かに小笠原家はこの明石築城の後に九州の小倉へ転封となりました
あの有名な巌流島の決闘は小倉から向かったんでしたかな。
明石に住んだことが有ったことは確かなんでっけど。
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(武蔵の庭園に移設された 御茶屋)
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(明石城内に設けられた 日時計)
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明石市は子午線の街とPRするだけあって、あちこちに日時計が置かれてまっせ。
午前の11時を過ぎたぐらいの影が画像で写ってまっしゃろ。
お城の中に置かれた日時計なんで兜が正面に据えられてますな。
(明石城の お堀)
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お城はこれぐらいにして「魚の棚」(うおんたな)と呼ぶ商店街の方へ行きまひょ。
明石城へは行かない人でも「魚の棚 商店街」は
明石へ降り立った人なら、必ず立ち寄るぐらい有名な場所なんでっせ。
次回はその「魚の棚 商店街」を ご案内しまひょ。
ほな~ 今日はこれでお仕舞い さいなら~♪
明石市は人口が29万2千人ぐらい兵庫県でも5番目に大きい町でおますんや。
東経135度が通過してますんで「子午線の街」としても知られてまっ。
日本の標準時間がこの東経135度を基準にして決まるのはご存知でっしゃろ。
(JR明石駅舎)
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JR明石駅を北側へ出たら目の前が県立・明石公園になってますんや。
鉄ちゃん爺やが不思議なことに初めて訪れる処なんですわ。
明石市には何度か来てまっけど何故か南出口方面ばかりでしたんや。
(県立・明石公園)
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ここは江戸時代には必ず譜代大名が入る重要なお城が在りましたんですわ。
大坂夏の陣が終わってからも江戸幕府は西国諸藩に対して備えが必要でしたんや。
二代将軍の徳川秀忠は譜代の小笠原忠真(ただざね)を信州松本から10万石で
転封し堅牢な城を造るように命じたと記録に残ってまんな。
姫路城主・本多忠政の指導を受けての築城だったそうで
幕府は銀一千貫(現在なら31億円)を下げ渡し
伏見城や三木城で取り壊した資材を使うことも許可したそうですわ。
実はこの小笠原家忠真が大事にされたのにはこんな裏話がおまんねんで。
彼の父親は小笠原秀政と言い信州・松本藩の初代藩主でしたが
大坂夏の陣で長男と共に徳川家康の身代わりになって戦死してますんや。
あの真田幸村が徳川家康の本陣へ突入しようとしたのを
身をていして助けたことが大きく影響してるようでんな。
それにこの小笠原忠真の生母は徳川家康の孫娘ということもあって
まだ15歳の二男坊だったけど小笠原家の家督を継げたようでっせ。
明石城という大事な地域を任されたのも父親と長兄の戦死に報いる
ご褒美の意味があったんでしょうな。
後に小笠原家は北九州の小倉城へ移り明治維新まで続く大名ですわ。
(明石城 二つの櫓) (西暦1620年)(元和六年竣工)
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向かって左側が坤櫓(ひつじさるやぐら)と呼びお城の西南側の守りでっせ。
反対の右側は巽櫓(たつみやぐら)だそうで城の東南側を受け持つ訳でんな。
この二つは阪神淡路大震災で石垣が崩れて傾いたそうでんがな。
平成の大修理で復元したそうやけど櫓の内部は築城当時のままなんだって。
そんな訳で二つとも国の重要文化財に指定されてまんな。
(二ノ丸の 石垣下で自分撮り)
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江戸幕府は西国諸藩を姫路城とここ明石城で見張ると共に一朝事あれば
明石海峡と西国への街道筋を押える作戦を考えてたようでんな。
だから姫路城も明石城も徳川幕府250年の期間中は譜代大名が封じられる
それぐらい重要な拠点でおましたんや。
(明石城の櫓 一般公開の掲示板)
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入場無料やったら見ない訳にはいきまへんやろ。
漆喰と瓦が新しいのは平成の大修理で取り替えたんでっしゃろな。
(明石城 坤櫓)(ひつじさるやぐら)
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(坤櫓 ひつじさるやぐら) (1階の内部)
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なるほど~ 内部は江戸時代の築城当時の姿を感じますわ。
この内部の木材は伏見城を取り壊したものを再利用したとの説が濃厚だそうな。
明石城では天守台は造られたけど天守閣は最後まで造られなかったとか。
だからこの坤櫓(ひつじさるやぐら)が一番大事な建物だったようでんな。
(築城当時の瓦が 1階に陳列)
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(これは 鉄砲狭間)(てっぽうはざま)
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近づいて外を覗いてみたらこんな感じでっせ。
遠くにJR明石駅と繁華街のビルが見えてまんな。
こっから鉄砲で狙い撃ちする工夫でっしゃろな、皮肉なことに
一度も実戦では使われることがなかったようでっけど。
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(本丸敷地内の 天守台)
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天守台は造ったけど世の中が落ち着いて天守閣が必要なくなったんでしょうな。
敷地だけは五重の天守閣が造れるような構造になってるそうですわ。
(本丸の敷地)
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ここには江戸時代に本丸御殿が在ったそうでっけど
現在はその痕跡は見られません。
明治維新の城郭取り壊しでは徳川譜代のお城だったため
意識して破壊してしまったんでしょうな。
艮櫓(うしとらやぐら)などは明石の小学校の材料にするため
取り壊してしまったそうだっせ。
旧藩士らの嘆願で二つの櫓と石垣だけがどうにか残ったようですわ。
(明石城 歴代藩主の概要 説明板)
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小笠原・大久保・松平・本多 どれも徳川譜代の名門ばっかり並んでまっしゃろ。
(巽櫓 たつみやぐら)
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やっぱり、お城の櫓は外から見たほうがサマになりまっしゃろ。
この辺りから眺める巽櫓が鉄ちゃん爺やには、一番綺麗な姿やと思いまんねん。
(県立・明石公園専用 マンホールの蓋)
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(明石城内 武蔵の庭園)
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宮本武蔵さんは客分として小笠原忠真に仕えて居たそうで明石城の側に
庭園を造ったとの言い伝えがあるそうですわ。
剣術の腕前は有名でっけど庭園技術や町造りの才能があったのかしら?
確かに小笠原家はこの明石築城の後に九州の小倉へ転封となりました
あの有名な巌流島の決闘は小倉から向かったんでしたかな。
明石に住んだことが有ったことは確かなんでっけど。
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(武蔵の庭園に移設された 御茶屋)
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(明石城内に設けられた 日時計)
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明石市は子午線の街とPRするだけあって、あちこちに日時計が置かれてまっせ。
午前の11時を過ぎたぐらいの影が画像で写ってまっしゃろ。
お城の中に置かれた日時計なんで兜が正面に据えられてますな。
(明石城の お堀)
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お城はこれぐらいにして「魚の棚」(うおんたな)と呼ぶ商店街の方へ行きまひょ。
明石城へは行かない人でも「魚の棚 商店街」は
明石へ降り立った人なら、必ず立ち寄るぐらい有名な場所なんでっせ。
次回はその「魚の棚 商店街」を ご案内しまひょ。
ほな~ 今日はこれでお仕舞い さいなら~♪