鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  出羽三山神社 & 羽黒山  

2016-09-03 17:06:13 | 神社
湯殿山神社を後にしてバスは国道112号線を
庄内平野に向けて順調に走りましたんや。

この道は昔から山形県の村山地区と庄内地区を
結ぶ、物流の重要な道だったそうでっせ。

村山地区とは現在の山形盆地で山形市や東根市など。

庄内地区とは山形県の日本海沿いで庄内平野になりまぁ。

(国道112号線を走る 車窓から)




この辺りを出羽山地と呼び、月山や湯殿山など出羽三山を
含む山脈が、村山地区と庄内地区を隔てているようでんな。

冬場は豪雪地帯で月山では、7月でも夏スキーが出来るんだって。

月山の東側斜面に残雪が見えてまっけど、撮影は出来まへんでした。

45分ぐらい走ったら視界が開けてきましたで。

広々とした庄内平野に出てきたようでんな。

(山形県 庄内平野の田圃)


(羽黒山の 大鳥居)




赤い大きな鳥居をくぐり抜けると、鶴岡市の羽黒町でっせ。

出羽神社(いではじんじゃ)と読むのが正しいんだって。

鉄ちゃん爺やも、でわじんじゃ! と読んでましたけど。

平安時代の延喜式神名帳に、そう書かれているんだって。

(羽黒山の 宿坊)



鳥居のような門が見えてまっしゃろ、昔は山伏さんの
それも格式の高い家系だよと、今に伝えているんだって。

冠木門(かぶきもん)とか言うんでしたかな?

バスガイドさんの、話の受け売りで、おますけど。

ここで下車して、国宝の五重塔を見学するんだって。

(出羽三山神社の 石碑)




(随神門=ずいしんもん)




この門をくぐると羽黒山の、ご神域になるようですわ。

出羽三山を正式にお詣りする際の、入口とされてますんや。

(羽黒山の表参道 継子坂=ままこざか)


(羽黒山の表参道 神橋=しんきょう)


随神門(ずいしんもん)を過ぎると羽黒山では唯一の
下りの石段で、ここを「ままこざか」と呼ぶんだって。

何せ羽黒山は2446段もの石段が続いてますんや。

昔は日本一の数だったけど、熊本県の釈迦院とかいう
お寺が3333段の石段を完成させたそうで
現在は羽黒山の石段は日本で第2位なんだって。

石段を下り終ると、神橋と呼ぶ赤い橋に出ましたで。

(羽黒山 須賀の滝 & 祓い川)


月山の山腹から流れてきた川で、昔は修行をする山伏や
参拝者はここで、体を清めてから参道を登ったんだって。

この滝も江戸時代に月山から8kmもの水路を曳いて
作られたそうで、江戸時代には不動の滝と呼んだとか。

(国宝 羽黒山 五重塔) (高さ29.9m)




(国宝 五重塔 由来書き)


ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)でおます。

お寺から神社に変わったので、仏様から神様へでんな。





明治初めの「神仏分離令」で取り壊される運命に有ったが
地元民の熱意で、奇跡的に残ったんだそうでっせ。

「神仏習合時代」の五重塔が神社である境内に残っている
貴重な国宝で、南北朝時代の14世紀に再建された物だって。

何でも、東北地方では一番古い塔だそうですわ。

(羽黒山 表参道 杉の木とツーショット)


これなら、少しはスマートに見えまっしゃろ?

羽黒山の表参道には500本を超える杉の大木がおますんや。

樹齢が350年~500年という古い杉の木なんだって。

(天然記念物 爺スギ)




(爺スギ & 国宝 五重塔)


昔は側に、婆スギも植わってたそうですが倒れてしまい
現在は「爺スギ」だけが残っているとのこと。

(羽黒山 表参道 一の坂)


この参道を進むと、一の坂の次には急な二の坂が、それから
三の坂を登りつめると2446段で山頂に成るんだって。

普通に石段を登ると30分~45分ぐらいかかるとの話。

(出羽三山名前が 刻まれた石碑)


一人旅なら2446段の石段を登ることになるんでっけど
ツアー旅行なので、継子坂(ままこざか)を今度は登り
随神門(ずいしんもん)へ戻ることになりましたんや。

(羽黒山 継子坂=ままこざか 登り道)






杉の大木の横に小さく写っているのが、添乗員のSさんでんな。

ツアー客の確認を兼ねて一番最後を歩いて居られるようですわ。

(随神門=ずいしんもん ご神域から撮影)


(随神門=ずいしんもん 表側から撮影)


(出羽三山 絵地図)


(出羽三山 由緒書)


(山形県鶴岡市 マンホールお蓋)


ここから再び観光バスに乗車して羽黒山有料道路を通り
標高414mの羽黒山頂上まで、楽ちん~ でおました。

2446段を登らないと、ご利益がおまへんかも?

バスガイドさんの説明で、標高差は約270mですだって。

昨日の山寺を登った筋肉痛で皆さん、やれやれ~助かった!

(出羽三山神社 境内)


昔は寂光寺というお寺だったようでっけど、明治以降は
出羽三山神社として、神様に変わったそうでんな。

なにしろ、冬場は雪深い月山神社や湯殿山神社には行けまへん。

それで、ここ出羽神社(いではじんじゃ)に月山神社と
湯殿山神社の神様をまとめて、お祀りしてあるんだって。

世にも珍しい「三神合祭殿=さんじんごうさいでん」と呼ぶ
三つの神様をお祀りする拝殿がおますんや。

(出羽三山神社 三神合祭殿)(重要文化財)








「神仏習合時代」の名残を伝えると言われる
東北地方では最大の、茅葺建造物なんだって。

茅葺の厚さは日本一ではないかと思いますんや。

冬の積雪の為にに登拝できない、月山神社と湯殿山神社の
ご祭神を、まとめて拝むことができる訳でんな。

(鏡池 三神合祭殿の前にある 御手洗池)




三神合祭殿は大きくて拝殿の前からは全景が入りまへんがな。

鏡池(かがみいけ)の前へ回り込んで撮影でしたで。

(三神合祭殿の 扁額)


中央に月山神社のご祭神で
「月読命」(つくよみのみこと)

向かって右側に出羽神社(いではじんじゃ)のご祭神で
「伊氏波神」(いではのかみ)と、もうお一方
「倉稲魂命」(うかのみたまのみこと)

向かって左側に湯殿山神社のご祭神で
「大山祇命」(おおやまつみのみこと)
「大己貴命」(おおなむちのみこと)
「少彦名命」(すくなひこなのみこと)

参拝は右側から羽黒山(出羽神社)⇒ 月山神社
最後に 湯殿山神社 となるようですな。

観光用にはこの「三神合祭殿」を参拝すれば
出羽三山をお詣りしたことになるようでんな。

(三神合祭殿の 内陣)


撮影が禁止なので、慌ててシャッターを押した感じでんな。

画像がボケてまっけど、内部はこんな感じのようでしたわ。

み簾の内側には、ご祈祷などの方しか入れないようでんな。

(出羽三山 三神合祭殿の ご朱印)


(重要文化材 種楼 & 大鐘)




この大鐘は羽黒山中では五重塔に次いで古く
鎌倉時代の1275年(建治元年)の銘が。

鎌倉時代は元寇の役の時代に作られた大鐘でんな。

(蜂子皇子=はちこのみこ お墓)




(出羽三山の開祖 蜂子皇子)


(三本足ノカラス 羽黒の霊鳥)


伝説だと考えますが第32代崇峻天皇の第三皇子だとか。

宮内庁が管理する東北地方では唯一の、お墓だそうですよ。

崇峻天皇が弑逆された際に危うく逃れたとの伝説。

奈良の飛鳥から逃げ延びて出羽の国の由良海岸から、
三本足のカラスに導かれて羽黒の里に到着。

神武天皇の伝説に出てくる「やたのからす」と同じ?

羽黒山に登拝して「羽黒権現」を感得したんだって。

後に月山権現や湯殿山権現をも感得されたので、現在は
出羽三山の修験道を開祖した方とされてますんや。

(羽黒山 歴史博物館)


ここには鏡池から取り出された平安時代から江戸時代までの
銅鏡180面や羽黒三山の資料が展示されているそうですわ。

(東の奥参り いけのみたま心願参り)


でも~ 出羽三山と呼ばれるようになったのは昭和の初めだとか。

昔は「出羽三所権現」と呼ばれたそうで、江戸時代には
西の「伊勢詣り」に対して、東の「奥参り」と呼ばれて
東北や関東では一生の内に一度はお参りしたいと言われたとも。

伊勢神宮が「陽」に対し「出羽三山」が「陰」と考えたようでっせ。

(出羽三山神社・境内 杉の並木)


(奥の細道 芭蕉の句)


(羽黒山 山頂レストラン)


ここで、この日の昼食になりましたんや。

長くなりますので、本日はこれまで。

次回は羽黒山伏と月山8合目巡りを紹介しまっさ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵














コメント (19)
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