天台宗の門跡寺院は三つおますんや。
青蓮院 ・ 三千院 ・ 妙法院
その中で今回は私の京都市内でお勧めのお寺でっせ。
粟田御所の別名がある「青蓮院=しょうれんいん」
(青蓮院の 境内案内図)
私がまだ高校生の頃に初めて訪れてから30代までは
毎年ながら足を運んでいたような記憶がおますんや。
芥川龍之介が親友に送った手紙にこんな文章があるとか
「青蓮院 人はあまり行かないが是非見るべし」
同じ高校の1期だけ後輩になる女性から教えられて
興味を覚え二人で訪れたのが初訪問でしたかな。
(青蓮院の 大クスノキ)
大きなクスノキが表通りに4本と寺院内に1本植えられ
樹齢800年とか説明されてますな。
この大きなクスノキを見たら凄いお寺だなと思いまっせ。
(青蓮院 通用門)
門跡寺院とは門主(住職)が天皇の皇子(親王)か五摂家の男子に
限られている格式の高い寺院で明治になるまで長く続きましたんや。
この青蓮院門跡は元は比叡山は延暦寺の青蓮坊=しょうれんぼう が
鳥羽上皇の帰依を受けて洛中に移されたのが起源だったとか。
鳥羽上皇が帰依された行玄大僧正を一世門主に命じられ院の御所に
準ずる殿舎を造営して「青蓮院」の名前を与えたとされてますんや。
二代門主はその鳥羽上皇の第七皇子で覚快法親王が継いでおられます。
(青蓮院 車寄せ)
(車寄せの内部)
この玄関に置かれている「輿し」は孝明天皇がご使用された物だそうです。
それでは院内を紹介しまひょ。
(青蓮院の ご朱印)
皇室専用の十六弁八重菊のご朱印でっせ。
ご朱印の受付所で尋ねてみましたんや。
写真撮影はさせて頂けるんですか?
節度ある範囲ならOKですよとのお答え。
(華頂殿で 庭園を観賞する参詣客)
華頂殿とは客殿または白書院に当たる建物なんだって。
ここから眺める庭園の風景は35年前と同じですわ。
ただ華頂殿のふすまがゴロッと変わってましたで。
(華頂殿の ふすま絵)
このふすま絵は木村英輝という画家が2005年に新しく描いたもので
有名な方やそうでんな、鉄ちゃん爺やは絵の知識に疎いので
この日は気にもしないでデジカメで写しただけでしたんや。
名刹のふすま絵にしては現代的な感じもしますんやけど。
青い蓮だから「青蓮院」を表現しているちゅう訳でんな。
部屋の鴨居には有名な三十六歌仙の額が掲げられてますわ。
(青蓮院の 三十六歌仙の額)
やはり三十六歌仙といえば在原業平さんが代表的な方ですわな。
そして次は平安時代の絶世の美人だったとかの小野小町さん。
そして前回も紹介した僧正遍照さんが続きますかな。
この方はご存知かしら? 清原元輔さん
あの清少納言さんのお父様でっせ。
これらも新しい額で昔は無かったような気がしますわ。
庭は歩いて一周できるそうなので後回しにして
建物を観て回りまひょかな。
まずは小御所から昔は門主さまが住まれた建物だったとか。
(小御所)
手前に見えるのが豊臣秀吉が寄進した巨大な自然石で
作られた手水鉢でおます。
(一文字 手水鉢)
(これは在原業平さんかしら?)
回廊の通路に置かれた衝立の絵なんですが説明書きがおまへんわ。
勝手に在原業平さんにしてしまいましたけど。
青蓮院は庭を囲んで色んな建物が回廊でつながってますんや。
次は粟田御所と呼ばれた「宸殿」を観てくださいね。
1788年(天明8年)に京都は江戸時代では最大の火災が起こり
京都御所や仙洞御所が焼けてしまったんだそうな。
御桜町上皇さまがここを仮の御所とされたことから、現在でも
青蓮院門跡を「粟田御所」とも呼ぶようになったんだって。
ここに御桜町上皇さまは座っておられたようですわ。
こちらのふすま絵は江戸時代の作のようでした。
このキザ先とよばれる処は五位の位がないと昇殿できなかったとか。
勿論、次に貼り付けた「宸殿」の部屋には三位以上ぐらいの方しか
座れないのが当時のルールだったようですわ。
(現在の門主さまの 書です)
元皇族の東伏見慈晃さんで2004年から門主をされています。
このお方のお父様は昭和天皇の皇后陛下の弟さまに当たりますよ。
昭和28年から平成16年まで青蓮院門主を勤めておられました。
今年の2014年1月1日に103歳で亡くなられましたね。
だから現在の門主さまは今上天皇とは母方の従兄弟になりますかな。
それでは庭の方を見させて頂きますかな。
(相阿弥の庭)
粟田山の山麓を利用して京都近郊の山石に紀州の青石を主として用い
龍心池を中心にして池泉回遊式庭園に造られています。
室町時代の相阿弥が造った日本庭園の源流だとの説があるんだって。
こちらは有名な小堀遠州作の庭だそうですよ。
(霧島の庭)
霧島つつじが多く植えられているので「霧島の庭」と呼ぶんだって。
GWごろの花だから現在は桔梗とクチナシが咲いてましたね。
(霧島の庭から 小御所を望む)
(好文亭)
後桜町上皇さまが御学問所として使用された建物ですが、平成の5年に
中核派のテロで惜しくも焼失し平成7年に再建された物だそうです。
私が35年前に訪れた頃は庭園は建物の回廊から拝観しただけで
現在のように一周はさせてもらえなかったような記憶ですな。
(青蓮院の 本堂)
青蓮院の敷地は現在は約1万坪だと称されていますな。
そんな大きなお寺でっけど本堂はこんな小じんまりしたお堂ですわ。
本尊は日本三大不動尊と言われている「青不動尊」だそうな。
お不動尊には五色あるそうでんな、青・黄・赤・白・黒 なんだって。
青蓮院の青不動尊 三井寺の黄不動尊 高野山明王院の赤不動尊
これを日本の三大不動尊と書かれてましたで。
お不動さんの目の色から○○不動尊と呼ぶんでしょうな。
その中でも中央に配される青が最上位を占めるんだそうな。
普段は国宝の青不動尊は秘仏で拝見は出来まへんのですわ。
(宸殿を 外から撮影)
粟田御所と称されるだけあって左近の桜・右近の橘を配して
京都御所の建物と少しだけ似ている感じもしまんな。
処でここ青蓮院門跡の門主さんは歴史上に時たま登場されますんや。
まずは第3代門主さんで有名な慈圓さんで九条兼実の弟さんですわ。
歴史書「愚管抄」の著者であると同時に天台座主を4度勤められたそうな。
(青蓮院 宸殿 南側の庭園)
現在は南隣にある浄土宗の総本山・知恩院が青蓮院よりも敷地が倍以上ありま。
でもこの知恩院は徳川家康の宗旨なので敷地の大半を青蓮院から取り上げて
朝廷に睨みを利かせると同時に京都での拠点としたそうでっせ。
だから青蓮院は室町時代までは現在の知恩院の北半分を含む広大な寺院だった
青蓮院は粟田山の頂上に現在でも奥の院である大日堂がおますし
現在でも京都市内では有数の敷地を誇る門跡寺院ではおますけど。
(青蓮院の屋根瓦)
(青蓮院の土塀)
(親鸞聖人 得度の像)
第3代門主の慈圓さんは天台宗の高僧なのに当時に興りつつあった
新興宗教に理解を示し、延暦寺からの妨害を防いだんだそうです。
浄土宗の法然も青蓮院の敷地で布教を続け、浄土真宗の親鸞も
9歳の時に慈圓門主の元で得度して出家したとされています。
だから現在も宗旨は違いますが浄土真宗ではここ青蓮院は別格の
寺院として髪の毛を納めたお堂が今もお守りされているんだって。
(青蓮院の長屋門)
この建物に見覚えがある方もいらっしゃるかもしれませんよ。
戦後の時代劇の映画に町奉行所や薩摩屋敷として何度も登場
私も若い頃に東映の映画ロケに遭遇した記憶がおますんや。
(青蓮院の正門)
この正門と先程の長屋門は共に明正天皇の中和門院から移設された物で
江戸時代の中期から残る貴重な門だそうですよ。
青蓮院の歴代門主さんで第17代入道尊圓親王は伏見天皇の皇子で
書に秀でられ「御家流」と呼ばれる書道を起こされていますよ。
室町時代には金閣寺を建立した3代将軍足利義満の三男で
義円と呼ばれる門主さんがクジ引きで将軍に選ばれ
還俗して足利義教として6代将軍に就任してはりまっせ。
幕末には中川宮と呼ばれた青蓮院宮入道尊融親王は孝明天皇の
信頼が厚く公武合体などで活躍されたそうです。
この方が明治になってから還俗されて久爾宮朝彦親王で
現在の東伏見慈晃門主さんなどの曽祖父に当たるようですな。
(青蓮院の門前 十六豆さんの店先で撮影)
京都名物の五色豆と納豆をお土産に買いました。
この納豆は甘納豆で水戸の納豆ではおまへんで。
(青蓮院の門前から 平安神宮の鳥居を撮影)
これで青蓮院の紹介はお仕舞いでおます。
次回はここから直ぐそばの三条大橋の付近を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれでさいなら~♪
青蓮院 ・ 三千院 ・ 妙法院
その中で今回は私の京都市内でお勧めのお寺でっせ。
粟田御所の別名がある「青蓮院=しょうれんいん」
(青蓮院の 境内案内図)
私がまだ高校生の頃に初めて訪れてから30代までは
毎年ながら足を運んでいたような記憶がおますんや。
芥川龍之介が親友に送った手紙にこんな文章があるとか
「青蓮院 人はあまり行かないが是非見るべし」
同じ高校の1期だけ後輩になる女性から教えられて
興味を覚え二人で訪れたのが初訪問でしたかな。
(青蓮院の 大クスノキ)
大きなクスノキが表通りに4本と寺院内に1本植えられ
樹齢800年とか説明されてますな。
この大きなクスノキを見たら凄いお寺だなと思いまっせ。
(青蓮院 通用門)
門跡寺院とは門主(住職)が天皇の皇子(親王)か五摂家の男子に
限られている格式の高い寺院で明治になるまで長く続きましたんや。
この青蓮院門跡は元は比叡山は延暦寺の青蓮坊=しょうれんぼう が
鳥羽上皇の帰依を受けて洛中に移されたのが起源だったとか。
鳥羽上皇が帰依された行玄大僧正を一世門主に命じられ院の御所に
準ずる殿舎を造営して「青蓮院」の名前を与えたとされてますんや。
二代門主はその鳥羽上皇の第七皇子で覚快法親王が継いでおられます。
(青蓮院 車寄せ)
(車寄せの内部)
この玄関に置かれている「輿し」は孝明天皇がご使用された物だそうです。
それでは院内を紹介しまひょ。
(青蓮院の ご朱印)
皇室専用の十六弁八重菊のご朱印でっせ。
ご朱印の受付所で尋ねてみましたんや。
写真撮影はさせて頂けるんですか?
節度ある範囲ならOKですよとのお答え。
(華頂殿で 庭園を観賞する参詣客)
華頂殿とは客殿または白書院に当たる建物なんだって。
ここから眺める庭園の風景は35年前と同じですわ。
ただ華頂殿のふすまがゴロッと変わってましたで。
(華頂殿の ふすま絵)
このふすま絵は木村英輝という画家が2005年に新しく描いたもので
有名な方やそうでんな、鉄ちゃん爺やは絵の知識に疎いので
この日は気にもしないでデジカメで写しただけでしたんや。
名刹のふすま絵にしては現代的な感じもしますんやけど。
青い蓮だから「青蓮院」を表現しているちゅう訳でんな。
部屋の鴨居には有名な三十六歌仙の額が掲げられてますわ。
(青蓮院の 三十六歌仙の額)
やはり三十六歌仙といえば在原業平さんが代表的な方ですわな。
そして次は平安時代の絶世の美人だったとかの小野小町さん。
そして前回も紹介した僧正遍照さんが続きますかな。
この方はご存知かしら? 清原元輔さん
あの清少納言さんのお父様でっせ。
これらも新しい額で昔は無かったような気がしますわ。
庭は歩いて一周できるそうなので後回しにして
建物を観て回りまひょかな。
まずは小御所から昔は門主さまが住まれた建物だったとか。
(小御所)
手前に見えるのが豊臣秀吉が寄進した巨大な自然石で
作られた手水鉢でおます。
(一文字 手水鉢)
(これは在原業平さんかしら?)
回廊の通路に置かれた衝立の絵なんですが説明書きがおまへんわ。
勝手に在原業平さんにしてしまいましたけど。
青蓮院は庭を囲んで色んな建物が回廊でつながってますんや。
次は粟田御所と呼ばれた「宸殿」を観てくださいね。
1788年(天明8年)に京都は江戸時代では最大の火災が起こり
京都御所や仙洞御所が焼けてしまったんだそうな。
御桜町上皇さまがここを仮の御所とされたことから、現在でも
青蓮院門跡を「粟田御所」とも呼ぶようになったんだって。
ここに御桜町上皇さまは座っておられたようですわ。
こちらのふすま絵は江戸時代の作のようでした。
このキザ先とよばれる処は五位の位がないと昇殿できなかったとか。
勿論、次に貼り付けた「宸殿」の部屋には三位以上ぐらいの方しか
座れないのが当時のルールだったようですわ。
(現在の門主さまの 書です)
元皇族の東伏見慈晃さんで2004年から門主をされています。
このお方のお父様は昭和天皇の皇后陛下の弟さまに当たりますよ。
昭和28年から平成16年まで青蓮院門主を勤めておられました。
今年の2014年1月1日に103歳で亡くなられましたね。
だから現在の門主さまは今上天皇とは母方の従兄弟になりますかな。
それでは庭の方を見させて頂きますかな。
(相阿弥の庭)
粟田山の山麓を利用して京都近郊の山石に紀州の青石を主として用い
龍心池を中心にして池泉回遊式庭園に造られています。
室町時代の相阿弥が造った日本庭園の源流だとの説があるんだって。
こちらは有名な小堀遠州作の庭だそうですよ。
(霧島の庭)
霧島つつじが多く植えられているので「霧島の庭」と呼ぶんだって。
GWごろの花だから現在は桔梗とクチナシが咲いてましたね。
(霧島の庭から 小御所を望む)
(好文亭)
後桜町上皇さまが御学問所として使用された建物ですが、平成の5年に
中核派のテロで惜しくも焼失し平成7年に再建された物だそうです。
私が35年前に訪れた頃は庭園は建物の回廊から拝観しただけで
現在のように一周はさせてもらえなかったような記憶ですな。
(青蓮院の 本堂)
青蓮院の敷地は現在は約1万坪だと称されていますな。
そんな大きなお寺でっけど本堂はこんな小じんまりしたお堂ですわ。
本尊は日本三大不動尊と言われている「青不動尊」だそうな。
お不動尊には五色あるそうでんな、青・黄・赤・白・黒 なんだって。
青蓮院の青不動尊 三井寺の黄不動尊 高野山明王院の赤不動尊
これを日本の三大不動尊と書かれてましたで。
お不動さんの目の色から○○不動尊と呼ぶんでしょうな。
その中でも中央に配される青が最上位を占めるんだそうな。
普段は国宝の青不動尊は秘仏で拝見は出来まへんのですわ。
(宸殿を 外から撮影)
粟田御所と称されるだけあって左近の桜・右近の橘を配して
京都御所の建物と少しだけ似ている感じもしまんな。
処でここ青蓮院門跡の門主さんは歴史上に時たま登場されますんや。
まずは第3代門主さんで有名な慈圓さんで九条兼実の弟さんですわ。
歴史書「愚管抄」の著者であると同時に天台座主を4度勤められたそうな。
(青蓮院 宸殿 南側の庭園)
現在は南隣にある浄土宗の総本山・知恩院が青蓮院よりも敷地が倍以上ありま。
でもこの知恩院は徳川家康の宗旨なので敷地の大半を青蓮院から取り上げて
朝廷に睨みを利かせると同時に京都での拠点としたそうでっせ。
だから青蓮院は室町時代までは現在の知恩院の北半分を含む広大な寺院だった
青蓮院は粟田山の頂上に現在でも奥の院である大日堂がおますし
現在でも京都市内では有数の敷地を誇る門跡寺院ではおますけど。
(青蓮院の屋根瓦)
(青蓮院の土塀)
(親鸞聖人 得度の像)
第3代門主の慈圓さんは天台宗の高僧なのに当時に興りつつあった
新興宗教に理解を示し、延暦寺からの妨害を防いだんだそうです。
浄土宗の法然も青蓮院の敷地で布教を続け、浄土真宗の親鸞も
9歳の時に慈圓門主の元で得度して出家したとされています。
だから現在も宗旨は違いますが浄土真宗ではここ青蓮院は別格の
寺院として髪の毛を納めたお堂が今もお守りされているんだって。
(青蓮院の長屋門)
この建物に見覚えがある方もいらっしゃるかもしれませんよ。
戦後の時代劇の映画に町奉行所や薩摩屋敷として何度も登場
私も若い頃に東映の映画ロケに遭遇した記憶がおますんや。
(青蓮院の正門)
この正門と先程の長屋門は共に明正天皇の中和門院から移設された物で
江戸時代の中期から残る貴重な門だそうですよ。
青蓮院の歴代門主さんで第17代入道尊圓親王は伏見天皇の皇子で
書に秀でられ「御家流」と呼ばれる書道を起こされていますよ。
室町時代には金閣寺を建立した3代将軍足利義満の三男で
義円と呼ばれる門主さんがクジ引きで将軍に選ばれ
還俗して足利義教として6代将軍に就任してはりまっせ。
幕末には中川宮と呼ばれた青蓮院宮入道尊融親王は孝明天皇の
信頼が厚く公武合体などで活躍されたそうです。
この方が明治になってから還俗されて久爾宮朝彦親王で
現在の東伏見慈晃門主さんなどの曽祖父に当たるようですな。
(青蓮院の門前 十六豆さんの店先で撮影)
京都名物の五色豆と納豆をお土産に買いました。
この納豆は甘納豆で水戸の納豆ではおまへんで。
(青蓮院の門前から 平安神宮の鳥居を撮影)
これで青蓮院の紹介はお仕舞いでおます。
次回はここから直ぐそばの三条大橋の付近を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれでさいなら~♪
ひょっとしたら明日ぐらいに梅雨明けするかもしれませんな。
北海道でも最近は蝦夷梅雨とかの現象が見られるそうですね。
でも夏はやはり北海道が涼しくて良いですけど。
大阪も今年は雨が少なかったけど猛暑日は間違いなくやって来るでしょうな。
大阪も今日は夕立が有りそうでこれが通り過ぎたら梅雨明けかもしれません。
今年の梅雨はバラつきがあって大阪では平年より少なかった感じ。
でも梅雨が明けたら今度は猛暑日が来そうで
熱中症が心配になりますよね。
ヒデさんも水分補給など怠らぬように元気でお過ごしください。
それでも毎回の同窓会に出席の彼より
毎回色々な話を聞いています。
前回は「百人一首」毎月学習の会がありと
解説してくれましたが~近くに住む人の特典ですね。
パソコンの修復作業で返事遅れました大変お疲れ様でした。梅雨明けは来週22日ぐらいですね。
ゲリラ雨などにご注意下さいね。
姉は大竹駅の近く線路沿いです。上海テレビ局さんにインタビュー受けらてよかったですね。
錦帯橋や広島路の画像が楽しみです。
兎に角お疲れ様でした。
35年前と同じ大きさに見えるのは樹齢800年だから当然かもしれません。
あの、ふすま絵を描かれた木村英輝さんとは
有名な画家だそうですね。
時間が有るので
大竹市を通過して岩国の錦帯橋まで足を延ばしてきました。
広島に着いた日だけ傘を使いましたがその後は帰るまで曇り時々晴れのお天気でしたね。
台風8号は大きな被害も無くて幸いでした。
あの、ふすま絵を描かれた木村英輝さんは有名な画家だそうですね。
国内の各地で斬新な絵が観れるそうですが鉄ちゃん爺やは絵には縁がおまへんので
どこに有るのかはHPでも閲覧してくださいね。
広島の娘宅から本日午後に戻ってきました。
宮島・錦帯橋・尾道・呉・広島城
順次にブログで紹介しますからね。
後は40%の曇りが19日まで梅雨明けまじかでしょう。帰りは気をつけて帰って下さいね。
格式を感じます。
古刹、好きなんです。
それにしても、あの現代的なふすま絵、とても気に入りました。
確かに現代的だけれど、決して雰囲気は壊していないところが凄いですね。
洗練されていて、主張があって、色もとても良いなあ。
是非、実物を見たくなりました。
覚えておきます。
娘のPCからコメントを入れさせて頂きますね。
私は朱印帳は2冊持ってますので毎回ですが300円を納めてご朱印をもらってますよ。
本日は広島城や原爆ドームと被爆した旧の日銀広島支店などをデジカメ散歩してきました。
広島は今日も小雨が降っただけで午後からは晴れ間もありましたよ。
娘のPCからコメントを入れさせて頂きますね。
今日の広島は小雨が降っただけで晴れ間もありましたよ。
広島城と原爆ドームと原爆で被災した日銀広島支店をデジカメ散歩してきました。
今の処 余震は2程度なのでこのままオトナシク消えて欲しいものです
過去 三千院は訪ねましたが 青蓮院は行かず仕舞いでした
現在も芥川龍之介氏が 書かれたように静寂さを感じられますね
TVで放映されていましたが 女性の間でご朱印札を集めるブームとか
貴方も其の都度 載せておられますが 買い求めているのですか
いよいよ明日になりましたね
ニアミスに見受けられます。 台風一過のデジカメ散歩をお楽しみください
煩いようですが くれぐれも余波にご注意を・・・
行ってらっしゃい
方向転換、通過後太平洋沿岸を移動のようです。
今日は強風域に入りました。明日台再接近して太平洋側へ抜ける少し北九州もかすめるでしょう。
大雨注意報でてますよ。くるりんさんが、有難う御座いましたといってました。ハスカルにいかれたこともいってましたよ。ベランダの物室内に入れました。明日からの広島行き十分気をつけて
下さい。
注意して安全の確保だけは怠りなくしてくださいよ。
中国大陸の方へ行けば良いのになんで九州から四国の方へ曲がってくるんでしょうね。
私が10日に高速バスで広島に向かうんですが
高速道路が通行止めにならないか心配です。
今日の大阪は晴れ時々曇りで嵐の前の静けさかもしれませね。
10日十分気をつけて広島へ行かれて下さい。
京都嵯峨野は1度入って見たいです・嵐山は一回
行きましたがまた行こうと思います。
くるりんさんですね。鉄ちゃんの爺やさんがよろしくと言う今度コメント来て頂いたらくるりんさんに伝えておきます。台風8号日本縦断です気をつけてくださいね。
余り好い状態での・・・でしたので^^;
今月16日から 息子親子が大阪へ4泊5日で遊びに^^;
台風一過だと好いのですが・・・!?
何時もコメントに感謝いたします_(._.)_
三千院は私も2回ぐらいしか行ってませんな。
京都でも洛北の大原ですので遠いですよね。
何時の間にかインターネットエクスプローラーを消去してしまいました。
普通に使うのには問題は無いんですがOCNのフォトフレンドの画像だけが
コピーが不能になってしまいました。
小さい画像をクリックすることで大きくは出来るんですがご迷惑をかけています。
あのクスノキは親鸞聖人お手植えとかの伝説が有るそうですが当時の青蓮院は
少し北へ寄った三条通りの白川辺りに在ったそうで単なる伝説かもしれません。
私が学生時代には拝観にも制限が多くて
プライドの高いお寺でしたね。
でも現在はすごく解放された感じを受けました。
全部みるなら2日でも足らないぐらいかな。
秋に行かれるなら嵯峨野あたりも良いですよ。
10日の広島行きの高速バスは雨の中を走ることになりそうですな。
三千院へは会社の同僚といきました
あの時ご朱印を普通のノートへ書いてもらったことが
知らないと言うことは恥でした。
京都へ行く機会があると言いのですが。
小さくなってしまいましたね。
別のサイトから、リンクはって貼り付けた方がいいかもしれませんね。
それにしても、立派なクスノキですね。
どこまで根を伸ばすのでしょうか?
青蓮院は味わい深いですね。
次回の京都での訪問先に入れておきましょう。
有り難うございました。
良いですね。お寺など青連院は入ったことないですね。今年秋は三千院は行きますけど。
春は桜ですね、清水寺も良いです。金閣銀閣も
京都市内全部回るとなると2日間は必要ですね。
今回はホテルは、東横インホテルやルートインホテルは会員ですので、早めに予約します。
若者や外人客の多いところはユースホステルが安くて情報も早いです。鉄ちゃんの爺やさんのプログは参考になります。 坂本龍馬のお墓も
またお参りしたいですね。坂本龍馬の事はNHKドラマで最後まで見ましたよ。 京都は車も多いいですが路地に入る静かなたたずまい自転車で走るとのんびり見て回るのに良い待ちです。直接大阪入りする間合いは また大阪南港より、住吉大社や通天閣コースのほうが走りやすいです。時期がきましたらお知らせします。