説得力のある言葉って、
身のうちからしか出てこないと思う。
なんかきれいごとを
並べ立ててる言葉とか
頭で考えてるってこと、
すぐ分かるもの。
そういうの、もういいな。
FBリア充どうとか、って記事もなんか違う気がするな。あのウォールの構造の問題だもの。なんでもかんでも勝手に共有させられる構造だし、大事なことや繊細なこと、あの作りでは書けないよな。なので今日~をしました的なことしか書けない感じがすごくする。何でそこに気がつかないかなあ?
身体を通した気づきが血肉となり知恵となり、自分の生きやすさにつながっていく
「子供が産めるっていう診断書とか病院でもらって来られる?」という極めて無神経な言葉をナチュラルに投げかける男に「で、あなたは?」と言うと「えっ、ボクもいるの?」と動揺するシーンが益田ミリ『結婚しなくていいですか。』にあるけれど、女性手帳はまさにその無神経さの具現であるように思う。
はっきり声が聞こえなくても、自分で思いついたとは思えない思いが湧いてきたというのも「声」に含めると、信仰者のほとんどはそれを聞いているだろう。信仰者に限らないかもしれない。霊能力がなくても宗教やスピリチュアルな信念を持つのは、そういう「直観」によるのだと思う。
穏やかに過ごせるのはいちばんだけれど、対立してみたり、やりあってみたりしないと、いつまでたっても戦うのが怖い、ということになると思う。戦うのが怖いのは、自分の言いたいことがいえない環境だったことも多いし、それをずっと引きずることになる。つまり自分の中の闘いすら認めないことになる。
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戦ってみてもいいじゃん。様々な何かと。さまざまなやり方で。
そして何よりも、自分が怖いと思っているものをしっかり「観察」してみるのが一番大事なんだ。怖いと思うものは、自分の内にあることだから。
【原さんWS】ダンス ムーブメント セラピスト 原キョウコによる大阪ワークショップ開催! vol.7「表現と癒しの間で」 ~内なる可能性を引き出す二日間~ 5月10日(金)19時~/11日(土)10時半~【場所】新大阪のKOKO PLAZAにて
怖いと思っているものも、自分の世界観の投影だと、あるワークで気づいたことがある。
向き合う、というのは大事なことなのだが、向き合って初めて戦法が分かることがある。逃げるのも、いなすのも、かわすのも、その時々で臨機応変な戦法なのよ。いつでも真っ直ぐすぎるともたないよ。
@t_maron うん、大学の時初めて「ツィゴイネルワイゼン」を見て、鼻血出そうでした。その後の作品も好き。エロスと血の匂い、ユーモアもあるから。
長いことやっている仕事で、いちばんこわいのは「狎れる」こと。そこだけはいつまでも違和感を持ち続ける。「狎れ」は、「狎れなれしい」ことにつながるから。特に、ひとを相手にしている仕事では、そこが大切なことと思う。
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人間相手の仕事のひとは、自然の中に行くとバランス取れる。自分も、そうしております。
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中学校の時見てものすごく印象に残っている映画は、「エデンの東」「ロミオとジュリエット」「ジーザスクライストスーパースター」「かもめのジョナサン」「アメリカングラフィティ」、そして龍村仁のドキュメントの「キャロル」。キャロル、かっこよかった…
@t_maron 龍村仁(今はガイアシンフォニーとか撮ってるが)がNHKをやめるきっかけになった作品だったと思う。なかなか見る機会はないと思うが、あるいは福ちゃんに聞いてみるとどっかから掘り起こされるかもよ!