鈴木重子さんは、長身の方でした。スラリと細くて、しかもお顔もほんわかして、歌っているとき、顔も一緒にことばを届けようとされるんですが、その表情まで百済観音さんに見えて仕方がなかった。
「百済観音さんに、重子さんはよく似ておられますよ」なんて言ったら、きっと重子さんは、「そんなことは絶対ありません」と否定されると思いますが、私は、百済観音さんの権現さんが、鈴木重子さんだという印象を持ちました。
そして、世界のこと、自然に生きること、みんなに元気を届けようとすること、静かにゆっくりことばを伝えようとすること、あまり喜怒哀楽を出さないのかもしれないけれど、淡々としかも着実に伝えてくださること、直前までアメリカにおられて、グルーバルに活躍して、外の空気を吸って、その空気をそのまま英語に載せていること、日本語もその重さをいつも軽くコンパクトにして、それをひらひら届けること、そんなことをしておられたような……。
本物の百済観音さんは、絶対に動かないし、しゃべりはしないんですが、まるで百済観音さんが人間になったような重子さんは、実際に話し、歌ってくれていた。
崇広堂というのは、伊賀上野の城下町の藩校だったそうです。今でもこの建物の並びに、高校から小学校までつながっていて、文教コーナーとなっていて、すべてがお城の南側にあります。見事に計算された配置で、びっくりしてしまう。
この史跡の中でコンサートが開かれようとしていました。私たちは、夕食を早く済ませて、18時過ぎに会場入りしました。
舞台はこんな感じ、私たちは白い座布団の上に座りました.前から3番目。あとから考えれば、イス席の方が良かったけれど、観音さんを拝むには、フロアに座り込むのがフツーだし、本来あるべき位置から見ることができました。
歌は、「イマジン」から始まりました。どんなところから声が来るのかなと、最初は不思議な気分でした。「天国なんかないと想像してごらん」「国境線もないし、国もないし、みんなが平和でのんびり暮らしているのを想像してみてよ」というのを聞きます。
ジョン・レノンが歌うのはもちろんいいです。でも、それは録音です。今、目の前で、「想像してみてよ」と言われたら、少しだけ私の狭い頭の中が開けるような気がしました。ほんの少しだけ、そうした世界が見えるような気がしました。
現実は、テレビをつけると、テカテカ頭で全くウソっぽいことしかしゃべれない、舌足らずのオッサンがえらそうにしていて、見るからに国民を小馬鹿にしているヤツが見えます。あの人も仕方なく、あんな虚しい政治屋稼業をしているんでしょうけど、あの人には、何も見えない。もちろん、私だって、すぐに頭の中は狭まっていきます。
でも、少しだけ頭の体操をするのは大事で、私は開かれた気がした。
それから、姪っ子がハイハイからつかまり立ち、少しずつ歩き出す、そういう姿を歌にしたオリジナル曲、おうちで11月に雨が降るのを見て、すべてがつながっているのだと気づいたのを歌にした「Rain fall……」、カエルも、会場のとなりの学校での剣道部の声も、会場のすぐ前を走る伊賀鉄道も、史跡・崇広堂の舞台と客席の私たちも、みんながつながっているんだよ、という曲、……うちの奥さんはこの曲がテレビで流れているのを聞いてファンになったそうでした。10年以上前。
それから、あかりを消して、月の光を入れましょう、という曲、それらのメッセージに、私は素直に感動しました。足はしびれるし、腰は痛いけれど、じっと我慢して感動していた。
帰りは自宅まで1時間と少しで帰って来て、かしわ餅を食べ、ブログ少々ですぐ寝たのですが、今、改めて、腰も相変わらず痛いけれど、少しは変わった自分になれてるかどうか……。
ただ、コンサートに出かけて、帰って来ただけだから、何も変わっていないけれど、とりあえず、何かチャンスがあれば、だれかに何か伝えられるものを見つけたいなと、ブログもするし、下手な短歌や俳句を作ることでしょう。
そんな日曜の朝、今からお買い物に出かけようと思います。みなさま、いかがお過ごしですか?
「百済観音さんに、重子さんはよく似ておられますよ」なんて言ったら、きっと重子さんは、「そんなことは絶対ありません」と否定されると思いますが、私は、百済観音さんの権現さんが、鈴木重子さんだという印象を持ちました。
そして、世界のこと、自然に生きること、みんなに元気を届けようとすること、静かにゆっくりことばを伝えようとすること、あまり喜怒哀楽を出さないのかもしれないけれど、淡々としかも着実に伝えてくださること、直前までアメリカにおられて、グルーバルに活躍して、外の空気を吸って、その空気をそのまま英語に載せていること、日本語もその重さをいつも軽くコンパクトにして、それをひらひら届けること、そんなことをしておられたような……。
本物の百済観音さんは、絶対に動かないし、しゃべりはしないんですが、まるで百済観音さんが人間になったような重子さんは、実際に話し、歌ってくれていた。
崇広堂というのは、伊賀上野の城下町の藩校だったそうです。今でもこの建物の並びに、高校から小学校までつながっていて、文教コーナーとなっていて、すべてがお城の南側にあります。見事に計算された配置で、びっくりしてしまう。
この史跡の中でコンサートが開かれようとしていました。私たちは、夕食を早く済ませて、18時過ぎに会場入りしました。
舞台はこんな感じ、私たちは白い座布団の上に座りました.前から3番目。あとから考えれば、イス席の方が良かったけれど、観音さんを拝むには、フロアに座り込むのがフツーだし、本来あるべき位置から見ることができました。
歌は、「イマジン」から始まりました。どんなところから声が来るのかなと、最初は不思議な気分でした。「天国なんかないと想像してごらん」「国境線もないし、国もないし、みんなが平和でのんびり暮らしているのを想像してみてよ」というのを聞きます。
ジョン・レノンが歌うのはもちろんいいです。でも、それは録音です。今、目の前で、「想像してみてよ」と言われたら、少しだけ私の狭い頭の中が開けるような気がしました。ほんの少しだけ、そうした世界が見えるような気がしました。
現実は、テレビをつけると、テカテカ頭で全くウソっぽいことしかしゃべれない、舌足らずのオッサンがえらそうにしていて、見るからに国民を小馬鹿にしているヤツが見えます。あの人も仕方なく、あんな虚しい政治屋稼業をしているんでしょうけど、あの人には、何も見えない。もちろん、私だって、すぐに頭の中は狭まっていきます。
でも、少しだけ頭の体操をするのは大事で、私は開かれた気がした。
それから、姪っ子がハイハイからつかまり立ち、少しずつ歩き出す、そういう姿を歌にしたオリジナル曲、おうちで11月に雨が降るのを見て、すべてがつながっているのだと気づいたのを歌にした「Rain fall……」、カエルも、会場のとなりの学校での剣道部の声も、会場のすぐ前を走る伊賀鉄道も、史跡・崇広堂の舞台と客席の私たちも、みんながつながっているんだよ、という曲、……うちの奥さんはこの曲がテレビで流れているのを聞いてファンになったそうでした。10年以上前。
それから、あかりを消して、月の光を入れましょう、という曲、それらのメッセージに、私は素直に感動しました。足はしびれるし、腰は痛いけれど、じっと我慢して感動していた。
帰りは自宅まで1時間と少しで帰って来て、かしわ餅を食べ、ブログ少々ですぐ寝たのですが、今、改めて、腰も相変わらず痛いけれど、少しは変わった自分になれてるかどうか……。
ただ、コンサートに出かけて、帰って来ただけだから、何も変わっていないけれど、とりあえず、何かチャンスがあれば、だれかに何か伝えられるものを見つけたいなと、ブログもするし、下手な短歌や俳句を作ることでしょう。
そんな日曜の朝、今からお買い物に出かけようと思います。みなさま、いかがお過ごしですか?