NHKのBSでやってた「地球が静止する日」(1951フォックス)を録画して見ました。
とても静かな映画です。そして、のちの作品に強い影響も与えた作品だと思われます。
1950年代には、「禁断の惑星」やら、テレビのスタートレックシリーズやら、宇宙をテーマに割とシンプルで、少しだけチープな映画が作られていたようです。というか、次から次とSFにチャレンジしていたというべきでしょうか。
円盤がワシントンにやって来て、中から一人の男の人が現われます。もちろん、軍隊は取り囲み、野次馬もたくさんその周囲に取りまいています。
宇宙人が何か、提案がありそうなのですが、大統領とすべての国の首脳を集めろと言います。そんなことができるわけがありません。ワシントンはアメリカの首都ではあるけれど、すべての国の首脳がわだかまりを乗り越え、距離をものともせずにやって来れるわけがないのです。
行きたいと思っても、宇宙人が来たから、その人の提案をみんなで聞こうだなんて、みんなそれぞれの都合があるのです。それとも、宇宙人は地球に何かたくらみがあるのでしょうか。
何もわからないまま、ほんの少しだけ宇宙人がロボットに指示を出すか出さないかで、ロボットは簡単に軍隊を無力化してしまいました。
提案は受け入れない。宇宙人にケガもさせてしまう。どこの国の首脳も、こうした自分たちの力を越える力にどのように対処していいのか、右往左往するばかりです。そして、できることなら、円盤を解体してその力を自分のものにしてみたい、そんなことしか頭が働きません。
いつまで経ってもらちが明かないので、宇宙人は、町に出てみることにしました。そして、簡易下宿みたいなところでいくつかのファミリーと一緒に暮らすことにしました。そこで、賢い男の子とそのお母さんに出会います。男の子のお父さんは、戦争で亡くなっていました。
確かに、1951年だったら、戦勝国のアメリカでも亡くなった人たちがいて、ワシントンにはその墓地もあったことでしょう。
もちろん、宇宙人は発見され、軍隊は宇宙人を射殺する。となると、ロボットが怒って、地球の全生命が殺されてしまう、そういう窮地に追い込まれます。
けれども、母と子との出会いを通じ、地球人に信頼する部分もあったので、最後に警告して、宇宙人は去っていく、そういう映画でした。
地球人は、原子力をどのように扱うのか、どれだけちゃんとコントロールできるのか、そこはしっかり押さえて、地球人に自制を求めて宇宙人は去っていきました。
私は、ウルトラマンの世界もそうでしたが、宇宙人は簡単に死ななくて、命をいくつか持っていて、一度死んでしまってもよみがえるし、ウルトラマンもそうでしたが、地球人の命も、一度死んだものをよみがえらせたりしていました。
そうした命の復活ができるのが、そう思いたいのが、地球人が宇宙人に持つイメージだったのだと確認したところがあります。
はるか地球までやって来れるのだから、驚く科学力・生命操作力で一度死んだ命をふたたび元に戻すことができる、そういう力があったのだ、と思いました。
これから、地球に本当に宇宙人がやって来たとして、死んでしまった命を復活させてくれるかどうか、それはわかりませんけど、それはいくら宇宙人でも無理なんじゃないか、という気がします。