昨日の朝日新聞に李琴峰(りことみ)さんがこんなことを書いておられました。
琴峰さんは1989年の台湾生まれ。2013年に来日され、2021年「彼岸花が咲く島」で芥川賞。現在も作家活動をされている。東京に住んでおられるはずです。
私は日本で根をおろして生きている。マンションの一室を借りて暮らし、スーパーで食材を買って自炊し、締め切りに追われながら仕事をする。たまに友人と外食したり、恋人とデートしたりする。バーでカクテルをちびちびすすり、碁会所に通い、秋葉原でアニメグッズを物色し、カラオケボックスではやりの歌を熱唱する。確定申告の時期が来ると決算に忙殺され、税金の額に舌打ちする。
作家なので確定申告とかをしなくちゃいけないらしい。囲碁がお好きだそうで、アニメにも興味を持っておられる。日本語で発信することもわざわざ選んでくれたそうで、ありがたいことだと思うのです。そういう人がいてくれるということは、日本も捨てたものではないのです。もっともっと世界の人から好かれるようにしなきゃいけないし、日本の人たちも少しずつ変わっていかなきゃいけないと思います。
あなたがコンビニで買い物をする時に店員は外国人かもしれない。あなたが喫煙所でたばこを吸っている時に隣りに立っているのは外国人かもしれない。あなたが嫌な上司にカラオケに連れていかれた時に、隣の部屋でYOASOBIの「アイドル」を歌っている下手くそな人は私かもしれない。
そう、私たちはとっくに隣人なのだ。……2024.5.17 金曜・朝日新聞
そうなのです。コンビニの店員さんはお爺さんやお婆さんであるのも当たり前です。みんな死ぬまで働かなくてはならないですし、外国の人たちも朝早くとか、夜遅くでも働いている。料金は機械がやるから、みんな機械にピッと打ち込むだけでいいのです。
タバコを吸う人は、家の裏口でしか吸えない哀れなオヤジたちかもしれない。そんなにまでしてタバコにこだわる人もいるし、ものすごくキレイな外国の女性もモクモクさせてる時だってあるでしょう。
カラオケは、もう何年も行ったことはないけど、若い人たちは行っているみたいです。年寄りが行かないだけです。行く人もいると思うけど。
こうして、日本という土地に、たくさんの外国の人たちが住んで、当たり前に暮らしている。できれば、みんな同じ条件で、いつまでも居たいだけそこに住む、できれば思う存分にその力を発揮してもらう。そういう社会じゃなきゃいけないと思う。
為政者の誇大妄想は要らない。みんなが当たり前に暮らしていきたいだけであり、国境は為政者たちがワクにこだわっているだけです(RのPとか、UのTとか、IのNとか、本当に迷惑なことだ)。
みんなはあちらこちらに移動したいと思っている。生活できるのであれば、そこが好きになったら、どこででも生きていきたい。一緒にいたい人がいれば、その人と暮らしていきたい。そんなの当たり前であり、他者に決められたくないんだ。