甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

銀河鉄道の夜 その2

2021年03月24日 21時18分21秒 | 賢治さんを探して

 昨日の夜から、ほんの少し進んだだけなんですよ。だから、そんな私が何を書けるというんでしょう。

 たいしたことは書けないんですよ。

 でも、気になったことがありました。賢治さんの作品は、生前まともに世の中から相手にしてもらえなかったものでした。世の中というのか、東京の出版文化というんでしょうか。

 売り込みに行っても、岩手の教員なんだか、フーテンなんだか、わからないような、海のものとも山のものとも知れない人なんて、門前払いみたいなものだったでしょう。

 1924年くらいから、「銀河鉄道の夜」というのを書き始めていたらしいし、何度か変更・書き直しをしていたそうで、あっという間に1930年あたりになっていた。新たな登場人物があったり、それをまたカットしたり、最終形態が決まっていなかった。ずっと手元に置いて、あれこれ書き直したり、いろんな想念が湧いたり、それを反省したり、試行錯誤が繰り返されていました。

 ずぶ濡れの男の子と女の子と青年が乗り込んできます。その時は裸足だし、寒そうな気配をさせている。その子たちの話では、船が氷山にぶつかって、それで違う世界に来てしまい、やがてはお母さんが待つ世界に行くのだということでした。



 やはり、ジョバンニとカンパネルラを乗せた汽車は、死後の世界へ向かって走る異次元鉄道だったのだと改めて思ったんでした。

 「銀河鉄道の夜」は、1924から1933年の間に熟成させた物語であった。そこには、前の年の1923年に妹さんを亡くして、その魂を探して樺太まで旅した体験もベースになっていたでしょう。

 鉄道の客車というのは、不思議な箱です。とりあえずそこに入ってしまったら、世の中の時間の中を走りつつも、違う次元を走っていて、元の世界に戻るには、駅で降りて、ホームを歩き、改札を出て、しばらくボーッとしないと、そのまんまの異次元の人になってしまうような、そんな怖さがありましたよ。


 それで、ジョバンニとカンパネルラは、このタイタニック号で亡くなったという体験を持つ一行と会話し、その思いを聞いたりします。死後の世界に対する怖さも感じず、ものすごく素直に、当たり前のように会話していたりする。

 だったら、この主人公たちも死出の旅に出ているのか、謎が謎を呼び、頭が混乱して、何度か挫折したことがありましたけど、今はまだ元気に読めています。

 この鉄道は何なんだろう?


 というわけで、今晩も読むんでしょう。そして、明日もまた、「銀河鉄道の夜」を書くと思います。

 読み終わったら、2回目にチャレンジするかもしれません。

 そうでした。調べてみたら、タイタニック号は、1912年の4月14日の夜にぶつかり、15日にかけてたくさんの人が遭難したということでした。そういう話を踏まえつつ、そこの人たちも鉄道に乗せたみたいです。

 この女の子たちと会話する時に、何だかぎこちないなあという気がしてたのは、外国の人とのコミュニケーションだからか、という気もしました。ジョバンニたち、英語みたいなのも話せているのかなと感心もしてたんでした。

 10年ほど前の事故の人たちも乗る。それはもう、時空を超えて、いろんな人たちと出会う鉄道ではあるみたいなんです。

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