甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

諸縁を放下すべし! 徒然9

2018年12月24日 10時12分14秒 | つれづれ草の抜き書き

 クリスマスイブの日の朝です。私は、まったく関係なくて、ただ飲みすぎに注意するだけなのですが、若い人は、この夜こそすべてみたいな気分でいるんでしょうね。

 何かに合わせてコンディションを調整することは大切です。ぜひ、頑張ってもらいましょう。

 そうした熱病の季節が過ぎたら、何かに打ち込んでいきたいというのも素直な気持ちです。

 何しろ、一つのことをやって満足するなんて、なかなか得られるものではありません。たいていは不満でプスプス言っているんだから。

 兼好さんは、クリスマスに関して何か言ってるかな? まあ、コメントしないと思うけどね。



*  一人である楽しみ
 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。


 することもなく退屈であることを嫌う人というのは、どういう考え方をしているのだろう。気忙しくていつも何かに追われるのではなくて、ただ一人でぼんやりとしていることはすごくいいものなのに……。

 「つれづれ」を「わぶる(嫌がる)」人というのは、どうなっているのだ。「まぎるる方」がないということは、気持ちが紛れる、気持ちがそちらに持っていかれる方法を持たないということはいいことなのだ、と兼好さんは言います。

 今の世の中とは正反対で、今はとにかく時間と労力をスマホに持って行ってもらって、すべてをそちらに捧げることで達成感を得ることになっています。私だって、年末のお掃除もしないで、パソコンばかりで時間をつぶしている。ボンヤリは無意味なことで、何かをシャカシャカやることが意味のあることになっています。

 兼好さんと全く別の価値観で私たちは生きています。

 世に従へば、心、ほかの塵(ちり)に奪はれて惑(まど)ひやすく、人に交はれば、言葉よその聞きに随(したが)ひて、さながら心にあらず。

世間に合わせていくと、人の心は、いろいろなつまらないことに気をとられて迷いやすく、他人と交際すると、人のことばは他人の評価に左右され、まるで自分の心ではなくなってしまう。

 世の中というものを気にして、他人の目を気にすること、社会的な生物である人間がやるべき当然のことではなかったですか。確かに、それはしなくちゃいけない。でも、していると、こっちが疲れてくる。

 ああ、どうしたらいいんだろう。我が道を行くと、みんなからすぐに後ろ指をさされるし、世間なんて、たいていは無理解なものですよ。

 人に戯(たわむ)れ、物に争ひ、一たびは恨み、一たびは喜ぶ。そのこと定まれることなし。

 人におかしなことを言ったり、他人と言い争ったり、あるときは恨み、あるときは喜んだりする。しかもこうしたことが変化して不安定なまま続いていく。

 まさにこれは私たちの生活そのものです。どれだけおもしろいことを話して、みんなに受けるか、そちらにばかり気を取られていて、まるで落ち着く時はないのでしょう。疲れてくると思いますよ。

 いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて身を(★    )し、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。

 本当の仏の道を悟ることはできなくても、自分と外の世界との関係を離れて(★     )な状態にして、周囲の雑事に関係しないで心を安楽にするということこそ、少しでも楽しむと言うことができるだろう。

 これは究極の意見ですね。今の若い人たちに、こんなことをしなさいと提案したら、もうまともなオヤジとして扱ってもらえないでしょう。

 「何を言ってんだ、オツサン。あんた、どんな仕事しているんだよ。人間を相手にしないで、仕事がつとまるかよ! 人間は、人のあいだって書くんだぞ。そういうことも知らないのかよ!」とすごまれることでしょう。

 兼好さんもわかっているんですよ。人の中で生きること、その中でもがいてもがいて、悪戦苦闘する野が生きるということだ、それもわかっている。でも、あえてそれを提案している。

 すべてを捨てることから始めてみるわけです。できないかもしれないけど、そういう提案を呑み込める人になってみるんですよ! 

 「オッサン、ちっちゃいオマエ、何を言ってるんだよ?」

 ハイ、気持ちの問題だと申し上げているわけです。

 「生活・人事・技能・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観(まかしかん)にも侍(はべ)れ。〈75段〉

 生計を立てること・人間関係・技能・学問などとの関わりあいをやめてしまえ」と、『摩訶止観』にも書いてございます。〈75段〉

 「何だ、ただの受け売りかよ」
 「ハイ、そうかもしれません。そういう気持ちを持ちなさい。困ったときは、何かに頼りたくなったら、すべての関係を清算してみる、いい提案ではないですか?」

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。……中略……諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。

人間の社交的儀礼は、どの事が避けにくくないものがあるだろうか。(たいていのものが避けられるはずなのだ)……中略……あらゆる心の束縛を捨て去る時なのだ。〈112段〉

 気持ちさえそちらに向かえば、人間にできないことはないかもしれません。ただ、難しいなと思うだけです。断固としてできたら、それは素晴らしいことでもあります。


★ しづかに




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