今の若い人って、型どおりのことが好きです。たぶん、四十代から下のみなさんはとてもとても、型どおりのことが好きだと思われます。
私だって、それなりに型どおりのことは好きだったけれど、型どおりに過ごすのがよいと思ったとしても、型どおりにできないことだってありました。
1・クリスマスケーキは、小さい頃から型どおりに食べましたよ。父が会社で予約して、会社から直接家まで持って帰っていました。だから、クリスマス、父が帰ってくるのが待ち遠しかったのだと思われます。そんなに待ち焦がれたわけではないですけど、それなりに楽しみに待っていたのかな。
一、二度くらい、大盤振る舞いの時があって、ふつうのケーキとアイスケーキの2つを持って帰ってきたことがありました。そんなに何度も、というわけではないので、アイスケーキはそのうちに買わなくなりました。冷蔵庫も小さいし、家族も4人しかいないし、そんなに奮発しなくてもいい、ということになったんでしょう。
2・チキン……、これは最近の商業主義が作った「型」なのではないかな。もともと日本でクリスマス騒ぎなんて、家庭の中にはなかったのだから、クリスマスにチキンを食べる。骨付きをみんなで食べるなんて、絶対に許せない「型」ですね。
もともとそれはなかった。でも、型は作られてしまった。だったら、踏襲しようよ、と今の若い人たちはそれに乗っかってしまいます。少し怖い部分があるけど、みんなその型を踏まえている。節分の恵方巻き、ひなまつり、エイブリルフール、こどもの日関連のお菓子、ハロウイン、七五三、ヴォジョレーヌーボーなど、二ヶ月に1回くらい商売の期間を設定して売り込みをかけます。
そうすると、それに乗っかる人たちがたくさん現れる。そして、それはどんどん二極化して、リッチなのとチープなのに分かれていく。誇らしいヤツは自慢し、くじけた人はそれなりに楽しもうとする。
私はたまたま最近トリの味噌だれ焼き肉を食べますが、家では評判はイマイチみたいです。残念だな。骨付きはイヤだけど、味噌だれ焼き鳥はいいと思ったんだけどなあ。
好きなときに食べればいいのであって、クリスマスに無理矢理食べる必要はないのです。
3・プレゼント……、私は枕元にプレゼントがある、なんていう変な風習は味わってきませんでした。とても、変な風習で、いますぐ廃止してもらいたいくらいだけど、今の若い人たちは、それを当たり前に受け、自分たちが親になったときに当たり前のようにしてあげることでしょう。
それが親としての幸せみたいな気分になって!
そんなのは底の浅い、飛んで消えそうなあさはかな風習です。だれがやり始めたのか、みんなで勝手に作り上げたのか、オモチャ屋さんの戦略だったのか、土用の丑のウナギもそうだけど、誰かが考えたアイデアが、そのまま踏襲されて、ものすごく根付いてしまうものもあります。それを文化というのなら、それでもいいでしょう。
でも、子どももそこから抜け出さなくてはならない。その時に親を理解し、感謝するのであれば、それもいいけれど、そういう風習がないところでは、日本じゃ何をやってるの? となるのかな。
ふと思いつきました。四十代くらいの人ということは、みんな団塊ジュニアになるんでしょうか。そういう人たちは、団塊の世代に育てられ、型どおりの幸せをしっかり与えられてきた子らになるんでしょうか。
これからの日本はどうなるのか、それはわからないけれど、とりあえず今まで作り上げたしあわせの「型」を維持できるように、そして、たくさんの団塊の世代とその後の世代の人々も大切にしてくれる世の中であってくれればと思うのです。
でも、年寄りを大切にするという「型」はまだできていない気がする。本人たちが子どもに迷惑をかけないように貯金して、そのお金を持って施設に入る、これが今できている型ですけど、私にはしあわせに見えないのです。
のたれ死んでもいいから、好きなことをして生きていきたいな。