寒食とは、冬至の日から数えて百五日に当たる日から三日間、火を用いて料理することを禁じ、冷たい物を食べる年中行事があるそうです。そのころを清明節というふうに呼んだりするらしい。3月末のキラキラする春を楽しむためとはいえ、その起源となった介子推(かい・しすい)という人はどんな方なんでしょう。
司馬遷の『史記』には、やがて晋の文公となる重耳(ちょうじ)さんが、亡命していた十九年間のどこで介子推さんを家来としたのかなど、詳しいことは書かれていないそうです。
なのに亡くなった年だけはわかっていて、紀元前636年ということになっています。亡くなった原因は焼死だそうで、なんだかわけがありそうな感じです。
『十八史略』では、亡命中に食べる物に困ってしまった主君の重耳さんに、次のようなことをしたと書いてあります。
嘗(かつ)て曹(そう 地名です)に飢う。介子推股(また)を割(さ)いてもってこれ(重耳さんのこと)に食らわしむ。帰る(ふるさとに凱旋することです)に及びて、従亡(じゅうぼう 一緒に亡命していた家来)の……(4人の名前があります)……を賞す。しかるに子推に及ばず(恩賞がなかったのです)
ああ、世の中不公平ってよくあることですね。人の好き嫌いとか、おべっか上手とか、そういうことで世の中を渡るのが上手な人っている。それと同時に無器用で、うまく世の中を渡れない、損な役回りの人だっています。
スポットライトが当たらない人は、すねるか、抗議するか、黙って引き下がるか、いろんな処し方がありますが、子推さんは多くを語らず、黙って表舞台からは遠ざかってしまいます。
それはあんまりだ。不公平だと、子推さんに従っている人が都の門のところで大書します。
かつて1匹の龍がいました。初めは威勢が良かったけれど、やがてその居場所を失ってしまった。そこで5匹のヘビがお供をして、一緒にあちらこちらをさまよい歩くお供をしました。ある時、食べ物に困ってひもじい時に、1匹のヘビは自分の股(また)の肉を龍に与えたことがありました。
龍が自分の居場所に戻れたとき、4匹のヘビはそれぞれ住みかを得ることができましたが、飢えを救ったヘビだけは入るべき穴もなく、野原の中で泣いています。
これが漢字で書かれています。ヘビの股の肉って、どこのことを言うんだよ! と、突っ込みたくなりますし、あまりにストレート過ぎるたとえ話じゃないの! 龍は王様のことでしょ。ヘビは部下たちということでしょ。一人だけ仲間はずれにされた人がいるということ? と、みんながわかってしまいます。
さあ、文公さんはどんな反応をするでしょう?
私なら、人の肉を食わせるようなことをした罰だ! とか、どうせたいしたことをしなかったから、仕方がないよとか、あきらめる方向、切り捨てる方向に思考がいってしまいます。
でも、文公さんはそんな方ではありません。すぐに自分の過ちに気づいて、介子推さんを探させたそうです。そうした捜索の結果、綿上山(めんじょうさん)の奥に隠れているということを知ります。
文公さんが綿上山の奥地から介子推さんを連れ出すため、少し荒っぽいけれど次のようなことをします。一本だけ道をあけて山を焼き払ってしまったというのです。すると、介子推さんは現れず、山の奥で母親と抱き合って死んでいるのを発見されたというのです。なんとも後味の悪いことになりました。これならいっそのこと反省しないで、放置してくれていた方がましでした。でも、人はこんなおせっかいなことをよくしてくれるんです。そういうのを欺瞞(ぎまん)とでもいうんでしょうかね。
さて、王の犯した失敗と犠牲者の死、中国の人々は、そういうのには敏感でした。子推さんを気の毒に思い、冬至から百五日過ぎたあたりの命日の日に、火を焚くことを禁じ、冷たい物を食べて、その霊を弔ったそうです。文公さんはもちろん反省して、綿上山を取り巻く田地を子推さんの所領とし、祭祀(さいし)の料にあて、名付けて介山としたということです。
子推さんが亡くなった日が、紀元前638年の春の初め頃で、それから2600年くらい人々はこのお祭りを守ってきたんでしょうね。すごい持久力です。さすが中国ですね。そこが私たちの見習いたいところです。
爆買いするのも中国の人だけれど、爆買いといっても、たぶん、中国の人たちは消費に飢えていただけで、それがたまたま日本という買い物するところを見つけただけのことで、しばらくしたら飽きてくると思います。それも中国人だけど、こういうのも中国人なのです。とにかく猛烈・熱烈なのは確かです。過剰なパワーを昔から持っていたんです。
ああ、それにしても、どうして介子推さんは、出てこなかったんでしょう。もう呼び出されたときには、死を覚悟していたのかもしれないです。何をのこのこ出て行くものか。もう私はここから動かないと決めたのだ、ということも、人間の歴史の中ではたくさんありますね。
切り替えは簡単ではありません。ゲームなら、スポーツなら、切り替えることは、訓練でできるかもしれない。それでも引きずってしまって、自分の実力が出せないことってたくさんあります。ましてやそれが人生なら、もうテコでも動かないし、絶対に切り替えられないのです。
若い人なら切り替えられるでしょうけど、19年の亡命生活を一緒にした人なら、もう立派なオッチャンじゃないですか。オッチャンは自分のペースで生きるからオッチャンなのです。もう山にこもると決めたオッチャンは、カネでも恩賞でも、動かすことはできませんでした。
司馬遷の『史記』には、やがて晋の文公となる重耳(ちょうじ)さんが、亡命していた十九年間のどこで介子推さんを家来としたのかなど、詳しいことは書かれていないそうです。
なのに亡くなった年だけはわかっていて、紀元前636年ということになっています。亡くなった原因は焼死だそうで、なんだかわけがありそうな感じです。
『十八史略』では、亡命中に食べる物に困ってしまった主君の重耳さんに、次のようなことをしたと書いてあります。
嘗(かつ)て曹(そう 地名です)に飢う。介子推股(また)を割(さ)いてもってこれ(重耳さんのこと)に食らわしむ。帰る(ふるさとに凱旋することです)に及びて、従亡(じゅうぼう 一緒に亡命していた家来)の……(4人の名前があります)……を賞す。しかるに子推に及ばず(恩賞がなかったのです)
ああ、世の中不公平ってよくあることですね。人の好き嫌いとか、おべっか上手とか、そういうことで世の中を渡るのが上手な人っている。それと同時に無器用で、うまく世の中を渡れない、損な役回りの人だっています。
スポットライトが当たらない人は、すねるか、抗議するか、黙って引き下がるか、いろんな処し方がありますが、子推さんは多くを語らず、黙って表舞台からは遠ざかってしまいます。
それはあんまりだ。不公平だと、子推さんに従っている人が都の門のところで大書します。
かつて1匹の龍がいました。初めは威勢が良かったけれど、やがてその居場所を失ってしまった。そこで5匹のヘビがお供をして、一緒にあちらこちらをさまよい歩くお供をしました。ある時、食べ物に困ってひもじい時に、1匹のヘビは自分の股(また)の肉を龍に与えたことがありました。
龍が自分の居場所に戻れたとき、4匹のヘビはそれぞれ住みかを得ることができましたが、飢えを救ったヘビだけは入るべき穴もなく、野原の中で泣いています。
これが漢字で書かれています。ヘビの股の肉って、どこのことを言うんだよ! と、突っ込みたくなりますし、あまりにストレート過ぎるたとえ話じゃないの! 龍は王様のことでしょ。ヘビは部下たちということでしょ。一人だけ仲間はずれにされた人がいるということ? と、みんながわかってしまいます。
さあ、文公さんはどんな反応をするでしょう?
私なら、人の肉を食わせるようなことをした罰だ! とか、どうせたいしたことをしなかったから、仕方がないよとか、あきらめる方向、切り捨てる方向に思考がいってしまいます。
でも、文公さんはそんな方ではありません。すぐに自分の過ちに気づいて、介子推さんを探させたそうです。そうした捜索の結果、綿上山(めんじょうさん)の奥に隠れているということを知ります。
文公さんが綿上山の奥地から介子推さんを連れ出すため、少し荒っぽいけれど次のようなことをします。一本だけ道をあけて山を焼き払ってしまったというのです。すると、介子推さんは現れず、山の奥で母親と抱き合って死んでいるのを発見されたというのです。なんとも後味の悪いことになりました。これならいっそのこと反省しないで、放置してくれていた方がましでした。でも、人はこんなおせっかいなことをよくしてくれるんです。そういうのを欺瞞(ぎまん)とでもいうんでしょうかね。
さて、王の犯した失敗と犠牲者の死、中国の人々は、そういうのには敏感でした。子推さんを気の毒に思い、冬至から百五日過ぎたあたりの命日の日に、火を焚くことを禁じ、冷たい物を食べて、その霊を弔ったそうです。文公さんはもちろん反省して、綿上山を取り巻く田地を子推さんの所領とし、祭祀(さいし)の料にあて、名付けて介山としたということです。
子推さんが亡くなった日が、紀元前638年の春の初め頃で、それから2600年くらい人々はこのお祭りを守ってきたんでしょうね。すごい持久力です。さすが中国ですね。そこが私たちの見習いたいところです。
爆買いするのも中国の人だけれど、爆買いといっても、たぶん、中国の人たちは消費に飢えていただけで、それがたまたま日本という買い物するところを見つけただけのことで、しばらくしたら飽きてくると思います。それも中国人だけど、こういうのも中国人なのです。とにかく猛烈・熱烈なのは確かです。過剰なパワーを昔から持っていたんです。
ああ、それにしても、どうして介子推さんは、出てこなかったんでしょう。もう呼び出されたときには、死を覚悟していたのかもしれないです。何をのこのこ出て行くものか。もう私はここから動かないと決めたのだ、ということも、人間の歴史の中ではたくさんありますね。
切り替えは簡単ではありません。ゲームなら、スポーツなら、切り替えることは、訓練でできるかもしれない。それでも引きずってしまって、自分の実力が出せないことってたくさんあります。ましてやそれが人生なら、もうテコでも動かないし、絶対に切り替えられないのです。
若い人なら切り替えられるでしょうけど、19年の亡命生活を一緒にした人なら、もう立派なオッチャンじゃないですか。オッチャンは自分のペースで生きるからオッチャンなのです。もう山にこもると決めたオッチャンは、カネでも恩賞でも、動かすことはできませんでした。