甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

あがたさんと名松線 2015年冬

2015年03月14日 08時41分00秒 | 干刈あがたさんを追いかけて
★ 干刈あがたさんの最後の引用をします。

 私、そういうのって、一番イヤだな。ハッキリしていれば、自分でぶつかっていけるじゃない。うちの亭主は、実にもう、借金とか女とか、駄目だらけだけど、それがハッキリしてるから、私も外から傷を受けるのよね。それは誰が見ても亭主が悪い。だから私も怒れるのよ。仕事といわれたらね。稼ぎもいいわけだし。それは内出血になるね。うっけつする、と蕗代(ふきよ)さんは言った。



 蕗代さん、私が駄目なのよ。私がいつまでも、そんなことにこだわって、気持ちをひきずっているのがいけないのよ、と私が言うと、彼女は本当に怒ってしまったようだった。

 あっ、そう。
 そして黙ってしまった。でも、少したって思い直したように言った。



 あなたは、きれいすぎるのよ。夫婦ってそんな、きれいごとじゃないよ。何度も何度も汚れて、それを洗いなおして、やっていくんだよ。私は、自分がみっともなくても、あの人を追いかけていって離さないわ。自分で好きこのんで一緒になったんだもの。一生一緒にやっていって、振り返った時に、いろんなことがあったけど、ずっと一緒にやってきたねと言いたいよ。だから今だって、こんな思いしながらやってるのよ。今、夏休みでしょう。去年、郊外にできたばかりの団地に引っ越したばかりだから知人もいないし、まだ学童保育の施設もないのよ。だから私は、あの子たち二人を家に置いて会社へ行くのよ。だって彼が家に入れる収入じゃ、やっていけないもの。



 蕗代さんが言った金額があまりに少ないので、私は、ご主人の会社が不景気なのかと思った。そうじゃないの、前の借金もあったりしてね、と蕗代さんは言った。

 ねえ、わたしの近くに引っ越してこない。そうしたら、うちの子と一緒に面倒見てあげられるし、と私は言ったが、彼女の返事はこうだった。



 ううん、今のところから引っ越したら、彼が余計、帰りにくくなる。彼を断ち切るようなことになる。もう少し頑張ってみるわ。

 蕗代さんはそう言って、具合のよくなった子を連れて、帰っていった。私には、彼女のようなたくましさがない。
……「しずかにわたすこがねのゆびわ」P178



 干刈あがたさんの「しずかにわたすこがねのゆびわ」からいくつか引用しました。

 何かが言いたいから、その材料として切り取ったわけではありません。ただ、そういう時代だったのかなと、不思議な気持ちで切り取りました。

 私が二十代の頃、1980年代に中年だった女性たちのある思いを聞かせてもらう感じです。もう今なら70くらいの年齢の方たちです。彼女たちは、夫を支え、夫とつながろうとしていた。

 今の若い人たちにはわからない感覚でしょうね。今の若い人たちは、イヤになったら、何をしてもイヤだと思います。我慢もしません。すぐ別れて、多少の不便はあるだろうけど、自分の力で生きていくでしょう。それで、男は1人になったら閉じこもったり、仕事に没頭したり、子どもも一緒なら、子どもの教育はほったらかしにして、とにかくスマホなり、テレビなりは与えて、あまり会話もせず、時には暴力などをふるって、やっていくんでしょう。

 夫婦にこだわる生き方と、あまり形にこだわらない生き方、その中間が私たちの年代で、こだわる人もいれば、こだわらない人もいる。



 私は、奥さんあっての私なので、何がなんでも奥さんにいてもらわなくては困るし、生活のリズムはすべて奥さんなので、奥さんがいなければ生活はメチャメチャになります。ベタホメですが、それなりに困ることもあるような気がしますが、多少は目をつぶって(そんなこともしてませんけど)、細かいことを言わず、とにかく彼女あっての私という形になっています。

 でも、私のまわりの同年代の男たちでも、独身の方がたくさんいて、彼らの理想は結婚して、夫婦という形を求めていたはずだと思うのですが、たまたまそういう形になれなくて、ひとりの人が何人かいます。彼らは、夫婦というのをどういう目でみているのか、もう夫婦云々より、自分の好きなように生きる、という形で静かに時間を過ごしておられるのかなあ。



 あがたさんの時代は、夫婦という形がまだしっかりあった世代ですね。私たちは少しずつ崩れてきて、今の若い人たちは、何でもありで、すぐくっついたり、離れたりしている。でも、また復古主義が現れて、男と女はある年齢になれば夫婦という形をとらねばならぬ。そうでないものは重税を課すという時代がくるかもしれない。それとも、完全に崩れて、夫婦という単位が意味をなさなくなるとか、たぶん、こっちへ傾いていくのかな。

 そうなると、子どもたちは、自分の父親像・母親像が築けなくなって、新たな社会問題が起きるかもしれません。まあ、それは後の人たちの課題ですね。



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