普段は小説なんて読みません。すぐに登場人物・人間関係も忘れてしまうし、根気もすぐになくなるし、長編なんてとても無理です。せいぜい中編か短編小説をたまに読むくらいです。
なのに、突然あがたさんの本を読む気になって、本棚から取り出してみました。四つのお話が入った「ホームパーティー」という新潮文庫です。
この本は三年前にネットで買いました。本そのものは1990年に出ています。もう30年以上前の本です。そもそも、あがたさんが亡くなってからもそれくらい経過しています。
四つのお話の最初は、「予習時間」というお話でした。
中学に入ったら、英語を習います。それが昔のとても大きなハードルでした。それが今は小学校にまでやって来ています。その英語の教科書の中では、男の子と女の子は「やあ」とか、「おはよう」とか、気軽に声を掛け合うことになっています。
けれども、現実の日本の男の子と女の子は、知り合いでもなかなかそんな気軽な挨拶ができない。中学生の雄一と典子は、そうした知り合いなのに挨拶ができない日本的な、思春期の二人として登場します。
二人が住んでいるところは、東京の環八沿いだそうで、西武新宿線の井荻駅と中央線の荻窪駅の間にあるそうです。時代は、1954年なのか、1955年なのか、1956年なのか、いくつかヒントはあるんですが、はっきりしません。
1954年なら、「ゴジラ」の時代です。東京の杉並区にも、道沿いに原っぱがあった時代なんだそうです。
あがたさんが中学に上がったのは、1955年になるので、だいたいその辺りが時代背景になっているんでしょう。正確な年は分かりません。でも、私は見たことはないけれど、何だか懐かしい感じの、みんなが戦後復興に懸命だった姿は見えるような気がするんです。
中学の頃は、あがたさんもそのあたりに住んでいて、中学もそのあたり。すべてあがたさんの経験がベースになって書かれているようです。
中学の先生たちは戦争を引きずっていて、朝早くに登校する雄一と、もと通信兵だったという数学の先生は、教室の一角でラジオの組み立てをしたりなんかしている。雄一はそうしたメカへのあこがれがあって、お金をためてはそうした部品などを買ってコツコツ作っているようでした。
たぶん、1955年あたりは、いろんな技術へのあこがれを素直にカタチにさせてあげるような、若者の技術への興味を促す何かがあったのだと思います。すべてを失った日本は、若者に技術で立国する力を持ってもらわなくてはならなかった。
女の子に対しては、よき母親として男たちを支える女性でありつつも、自分の生き方を模索してもらいたい教育も求められていたのかもしれません。
典子は、文学へのあこがれを持ち、佐藤春夫、島崎藤村、萩原朔太郎、宮沢賢治などの詩を読んだり、短歌その他あれこれと興味を持っているようです。
でも、簡単に本というものは手に入らず、先生から借りたり、下宿人から借りたり、いろんなチャンネルを使って活字・文学というのと関係づくりしようとしている。そうした文学少女だったようです。かなりあがたさんの経験に基づく描かれ方なんでしょうか。
お金は当時はなかなかなくて、千円が貴重で、雄一の母親がお金を借りに来た時、それを半分の五百円にしてお互いにやりくりするような、そうしたギリギリの生活をしています。
典子の父親は何の仕事をしているのかと思ったら、これまたあがたさんの実家と同じで、警察にお勤めで、宿直勤務が多くて、なかなかおうちに帰って来られず、給料日だって、典子さんがお金をもらいに行かなきゃいけないくらいに、家に帰れないようでした。
タイトルにある通り、雄一と典子は、この毎日の中で明日に向かっていく力を蓄えていた。やがて、典子とその兄、雄一それぞれが唯一の開放される場としていた空地に敷いた二畳のたたみと、そこに置かれたそれぞれの宝物が失火なのか放火なのか、すべて焼けてしまって、若者たちの開放された秘密基地遊びも終わりになるという結末です。
すべては元の木阿弥。でも、もう十分それぞれの方向性は見えてたから、基地が閉鎖になっても、それぞれは自らの望むものをまた探していくのだろう、という未来が見えてくるようでした。
そんな小説でした。44ページしかありません。とても短くなっている。
そして、私は、このお話の中に出てくる若者たちに、淡い夢を重ねつつ、自分とは遠いけれど、どこかつながるものはないのかと思いながら読ませてもらいました。
何か見つかったのかというと、もちろん見つかっていません。ただ見たこともない時代の、見たこともない世界なのに、何だか懐かしかった。父や母たちの青春を見ている気分だったのかもしれません。
明日、1月25日はあがたさんの誕生日でした。本当だったら79歳になるはずですが、残念ながらもう今はおられません。
だから、今ある本を読ませてもらって、何か見つけていこうと思います。