1か月かけて、やっとあがたさんのエッセイ集を読み終えました。あちらこちらに書いておられたのをまとめたものですから、トータルな感じはないんですけど、あがたさんの雰囲気は感じられました。34年ぶりのあがたさんに出会ってみた、というところかな……。
単行本を買いましたけど(いくらだったかな? 定価の1,200円よりは安かったかも……)、文庫本だったらもっとスイスイ読めたかな?
私が文庫本を買うのは読みやすさのためなんだろうか? 並べやすさもあるかなあ。でも、文庫本は活字が小さいし、痛しかゆしです。この本は文庫本では出てないみたいです。
本の最初のところでは、母と子どもたち二人の会話がたくさん書かれています。お子さんたちは「伸一」と「健二」という名前で出てくるんですけど、「干刈あがた」さんも出てくるので、すべてがペンネーム・仮名の世界で、少しフィクションも入っているのか、会話と生活のあれこれの中からテーマを見つけて書かれています。
エッセイなのか、小説なのか、境界線が不鮮明です。でも、中身はあがたさんのだし、何もかもリアルに書かなくてもいいし、フィクションが入っててもいいわけです。
何気ないヒトコマは、すべて離婚した母親と子どもたち、母は生活のために書いているという設定になっています。
帯のところにも、「離婚した作家の……」とあって、87年には離婚が珍しかったのでしょうか。少しだけ今の私たちとズレはあります。でも、親子の関係は、離婚してようがしてなかろうが関係ないし、中身的には同じなのかな。
そして、私が感じたのは、あがたさんの「優しさ」です。
「優しい視点・とらえ方」を売り物にする作家さんはいるでしょう。あがたさんは「離婚」こそ売り物にしていた(? 出版社が勝手につけてただけです!)けど、その見方がどうこう言われることはありませんでした。
でも、今の時点で読ませてもらうと、私たちに貴重な「優しさ」を届けてくれてたんだと思います。
そう、お母さんが子どもたちに聞かせるみたいな、その目線でエッセイは書かれている。作家然としていないし、たまたま、どこかのお母さんが、時々は物語も書くし、エッセイだって頼まれたら書くし、普通のお母さんが、デビューしてからの日々の中で、本を見たり、子どもたちとビデオを見たり、とても日常的でした。
そんなのが売り物になるのか? それが問題で、80年代の私は全く無視していました。どうせつまらない小説を書いているんだろう、そんなの読む暇ないよ、とかなんとか。いや、存在そのものも知ってたけど、よく知ろうともしなかった。全く無縁の人であったんです。
いつもながら、前置きが長いですね。
たまたま、四十年後に出会い直して、あわてて読ませてもらったエッセイ集。今の人に受けるかどうか、そこは微妙です。この本も埋もれた一冊になりつつあるのでしょう。
でも、母親一人でこどもたちを育てていくということは、負担のかかる日々であったというのは確かのようです。今ではごく当たり前にたくさんの母子家庭・父子家庭というのがあって、みんな当たり前のように毎日を過ごしていると思います。一人の親が子どもたちを育てている家庭も、ごく当たり前に存在していて、誰もだからどうとは言わなくなっています。でも、当事者はそれなりに苦労はあると思うんですけど……。
この四十年、離婚は当たり前になった。子どもたちを育てることになった親は、多少の不便を感じながらも子どもたちと向き合う。これは全く昔も今も同じ。外からそういうご家庭を支える世の中のシステムは、多少のサポートシステムはできたかもしれないけど、あまり変わっていない。
だとすれば、四十年の時間は、そのまま放置されてたことにはなるんでしょうか。個々の努力によって、子どもたちを育てなさい、というのは変わっていない。
世の中は、たくさんの離婚を見てきて、それが子どもにとって仕方がないことではあったかもしれないけれど、いいことでないというのは知りつつも、男女の仲というのは当事者でなければわからないし、それが最良の選択であるなら、そうなるべきではないか、という程度でしか見てこなかった。
あがたさんみたいに、小説を仕事にできた人は良かったけれど、そうでない人はどんなだったんだろう。会社の中枢でバリバリ働けた人もいただろうけど、たいていは生活の不安にさらされてなかっただろうか。
あがたさんの本のことを書きたいのに、離婚した女性たちの暮らしが気になって、そっちばかり書きました。そういう家庭をどれだけ世の中は支えたのか、あまり顧みられなかったのは確かかな。
ある程度は自己努力・自己救済をしなくてはならず、そうでないのは、一緒くたに生活保護としてきたんだろうか。
そういうこと、あまり考えてきませんでした。自分の生活だけで汲汲となっていました。
また、稿を改めて、あがたさんの本のこと、書きますね。
奥さんは朝の散歩から帰ってきました。偉いねえ。今日は日曜で、少しカミナリも鳴ってたのに、気づいたらもう出たあとだった。追いかければよかった? いや、とても追いつけないですもんね。