昨日、やっと本が届きました。どうやら山梨県から届いたみたい。はるばる山梨からウチまで来てくれたのか。何だかありがたいです。
二冊の本は、
「おんなコドモの風景」1987 文藝春秋 初のエッセイ集なんだそうです。
「野菊とバイエル」1992.7 集英社 →1997集英社文庫
この二冊をアマゾンで買いました。本の名前も知らなかったけれど、検索してみたらあったから、買ってみました。二冊で1600円くらいでした。
何度かあがたさんのことは書きました。最近はちゃんと読んでいません。こんなに何でも読めてなくて、近いうちに読めるかどうか、ずっと読まないで放置していくかもしれない。
まあ、そうしたら、誰かが処分してくれるでしょうか。……また、泣き言書いてる!(泣き言厳禁なのに!)
小説は読ませてもらったのに、エッセイは読んでなかった。だから、一度読ませてもらおうと、買ってみました。
今日からチビチビ読みます。
「野菊……」は自伝のようです。あがたさんみたいな女の子が出てきて、どんなふうに成長するかというお話かな。タイトルが少女時代に経験したものと見たものだったのかもしれません。何も予備知識なしで買い、読むと思います。
ずっと懐かしいものを探しています。
とはいっても、自分が経験した懐かしいものというよりも、古き時代のいろいろを探している感じです。
あがたさんなんて、ウチのオカンよりも少し若いくらいの人で、彼女の少女時代の物語を読んで、ウチのオカンの時代を蘇らせよう、というのではないなあ。
とにかく、いろんな人の幼き日々、若き日々を教えてもらって、自分と変わらないところ、違うところ、そういうのを見つけて、たぶん、これからもみんなが同じように経験する「時間」というのを感じよう、というアイデアなのかな。
何のために小説なんか読むんだろう。
そんなの時間の無駄ですよ。1文の得にもならないし、時間がなくなっていくだけですよ。
でも、たぶん、読むし、読みたいです。なぜだか、くわしい理由はわかりません。どうしてお前は生きているんだ? と訊かれるのと似ているかな。
とにかく、私は生きてて、たいしたこともしないまま、膝もよたよたしながら、体はすぐに固まるし、あんまり楽しいことはないけど、夕方のお酒とヨーグルトを楽しみに、モタモタ生きていくんです。理由はありません。
私はここにいる。あがたさんの本を読みたくて買った。昼寝しながら、たぶん読むでしょう。気に入った個所が見つかったら、勝手にメモして、ブログに貼り付けるでしよう。
そして、あがたさんがいた時、どうして自分は一切読まなかったのかを反省したいと思います。
私は、そんなウカツな人間です。チャンスは逃しまくり、体はサボリまくり、ろくなことはしていない。それだけは確かです。(自虐と泣き言と甘え、厳禁というべきか、それがすべての私というべきか! たぶん、そういう人間なんでしょう。今度は居直り!)
とにかく、新しい本が来て、うれしかった。何か抜き書きしたいけど、何かないかな。
それにしても世の中が急激に変わっていく中で、現代の母子、父子はなんて孤独なんだろうと思う。昔は親子関係の過不足を修正してくれるような、祖父母や地域の人たち、さまざまな価値観をもった先生、いろいろな生き方をしている大人、といった人々が周りにいた。
しかし今では、住まいを取りまく環境も変わり、人々はみな忙しく自分のことで精いっぱいで、親子関係に複線で交ってくる人間関係も少なくなった。親としてスクラムを組むべき父親と母親も、ちょうど子供が育ちざかりの時期に忙しくなってしまう。また自分の経験から子に接しようとしても、貧しかった時代を知っている親の意見など聞かない子の前で、語りかける言葉をだんだん失っていく。
エッセイ集の冒頭のところから抜き書きしました。三十年以上前、私たちがまだ大阪に住んでた頃のおことばです。
そんなことを書いておられたのですね。お昼にでも読んでみます!