干刈あがた(ひかりあがた)さんの『ウホッホ探検隊』は、1984年に福武書店から出た本なんだそうです。文庫本も、単行本も意欲的に挑戦していた時代でした。雑誌だって出していたと思われます。
それがやはり受験シフト、原点に戻り、ベネッセコーポレーションに名前も変わり、意欲的にチャレンジしていた出版文化・文学芸術シフトは外してしまった。それからは、とことん教育政策に入り込んで、いろんなところで儲けるようになったことでしょう。たぶん、タブレット学習でも頑張っているのかな。
まあ、そんなことはどうでもいいことです。福武書店という出版に踏み込もうとした会社はなくなりました。受験産業を支える会社としては巨大化したのかな。それはまあ会社の生き方です。それで儲かったのなら、他人がとやかくいうものではない。一つの会社を続けるというのどれだけ大変なことか。
40年前に、確かに作家活動をしておられた干刈あがたさんは、この「ウホッホ」で離婚の問題を取り上げていた。というのか、母親から、二人の中学生にならない男の子とどのように関わっていくのか、特に長男の太郎君に呼びかけるスタイルで物語は始まります。
太郎君は、お父さんの事務所に出かけ、そこでお泊りをするような感じでした。別れたとはいえ、子どもたちの母と父ではあるので、子どもたちが行き来するのは認め合っている。
お母さんは、お父さんの会社の経理の仕事を家で行い、その分をお父さんから給料としてもらう。ただ、それは十分ではないらしく、他の仕事もしなくてはならないとは思っている。とりあえず、住む家はある。そこで子どもたち二人と暮らせてはいる。
とはいうものの、思春期に入ろうかという子どもたちだし、母だけでも行けないし、父がいてもあまり一緒に遊ぶというわけでもない。昔からみんなで何かをする、とても記憶に残っている家族の行事みたいなのもあまりないようで、淡々と日々が過ぎていくのです。
時には、少し遠いところに住んでいる母方の祖母のところに出かけたり、その祖母も若い頃にどうしても耐えられずに離婚した経験があり、母と娘、ともに夫の不倫から離婚にたどり着いた過去もある。
時には、下の子がなかなか帰ってこないで、母親があちらこちらを自転車で心当たりを回ってみたり、いくつかのゲームセンターや子どものたまり場に出かけたりもする。中学生が小学生を脅している現場にも出会い、果敢にも声をかけ、中学生たちはあまり関わり合ってはいけないと判断したらしく、いなくなってしまったり、母親は奮闘して子どもたちをずっと見守っている。
けれども、別れた夫とは元に戻れないし、別れた夫はすでに新しい奥さんを迎えていたりする。
そうした今でもありそうな離婚した母子像が描かれるのでした。そして、タイトルは、自分たちのスタイル・過ごし方を見つけるために、探検隊としてやっていこう。お母さんと僕たちはそういう覚悟で行こう、というので名付けた。最初の「ウホッホ」というのは、たまに訪れる父親が、家の前の玄関で咳払いするらしく、その声が「ウホッホ」に聞こえた。だから、お父さんは一緒に探検行にはついては行かないけれど、支援者として名前を提供している。
1984年的な、明るく前向きに母子家庭としてやっていく、そのスタートの気持ちの機微が描かれた小説でした。
それから、子どもたちや母親は、また別の小説で読んでもらおうという趣向です。とりあえずは、物語として完結している。
そして、2024年、どれだけの動機があったのか、ただのお金目的だったのか、若い人たちがあまり深い意味もなく事件を起こしていたとニュースの度に思っていた事件が落ち着いてきた、というのか、犯人たちが捕まった、と思ったら、父親が、別れた妻と子ども三人を道連れに死のうとしたのかどうだったのか、自分も少し傷つけて、そのあと家に火をつけて、自分も被害者を装って今は入院中という事件が起こりました。
これも真相はわからないし、報道されてることを追いかけても、結局は何もわからないと思いますけど、傷ましいのは確かで、離婚がこんな形になるという例としては記憶しておきたいと思いました。
私たちは、何のために結婚し、子育てをして、夫婦関係を維持して、つまるところは何を求めているのか。とりあえず一緒にいたい、というのがずっと続いて夫婦であったのか。他はそうではないのか。夫婦の間に、どんなにして不倫が入り込むのか。わからないことはたくさんあります。
でも、子どもは、親たちがどんなでも、別れて欲しくはなかっただろうけど、親の事情で別れることになる、というのはあちらこちらであるんでしようね。私は、私のできることをやっていきたいとは思っていますけど……。