「私はナウシカよ!」
ミチが両手をひろげてピョンと跳びあがった。駅前へと抜けるビルの谷間に、ビルおろしの風が吹きつけ、ミチと私の髪を巻きあげていた。ミチは映画『風の谷のナウシカ』を横浜の映画館で見て以来、大きくなったらナウシカになると言う。ビデオで何回も巻き直し、ジュースも飲まずに見入っている。
世の中はこんな状況ですけど、干刈あがたさんの『ホームパーティー』の四番目をやっと読み進めています。これが終わったら、とりあえず今年最初の本を読んだということになります。
もう二月も終わるというのに、本一冊も読んでいないなんて、チャンチャラおかしいね。読んだかと思うと、すぐに眠ってしまいますもんね。困りました。わたしは平和ボケすぎる。
さて、「ホーム・パーティー」なんですけど、西新宿に家を持っていた家族の話でした。時代は80年代、バブルの時代でした。そこで7年間暮らして来た私は、ミチちゃんのお母さんです。ミチちゃんは6歳で、お兄ちゃんは康太君というそうです。
西新宿の土地は高層ホテルになったそうで、そのホテルの18階に家族のおうちが作られてあるそうです。そういう取り引きもあったんですね。地権者は土地を売り、しかもその土地で暮らすことも可能だった。
ホテルの中の限られたスペースだけ、自分の家があるなんて何だか不思議です。そういうことがあったのが何だか不思議です。
「ナウシカ」は1984年の映画だそうですから、その後に書かれたあがたさん後期の短編ということになるんでしょうか。
土地を売ったのはいいけど、親子三代で暮らして来た田宮家の当主のおじいちゃんは、横浜に転居した後、認知症気味になり、家からフラッと出て行くことが多くなって、あるとき家族が目を離したら、そのまま交通事故に遭い亡くなってしまったそうです。
舅の死去、高層ホテルの中の自宅、横浜での生活、子どもたちの成長、夫の時々のせりふ、姑のことば、そういうことが重なりながら物語は進んでいるようです。
時間があっちに行ったりするので、これはいつの話と考えながら読まなくてはならなくて、鈍感な私には大変な作業で、すぐに眠くなります。
短い小説なのに、なかなか読み切れません。
だったら、止めればいいわけですが、ファンとしては読まないわけにはいかないので、あとしばらく読みます。
それで、ナウシカはいつだったかなと、調べたら、やはりバブルの頃の1984年に当てはまるようでした。
ここは風の谷ではなく、ミチはまだナウシカではないので、風には乗れずにトンと着地してしまった。
「もう一度やってごらん。何度も練習したら、ナウシカになれるかもしれないよ」
「ほんとう?」
ミチはまたピョンと跳びあがってトンと着地した。
「だめだよ……」
「がんばらなくちゃ」
「ママはナウシカになれる?」
「ママはもう重すぎるもん。でもミチなら、なれるかもしれない」
ミチは駅前の横断歩道に出るまで、ピョンと跳びあがってトンと着地するのを繰り返した。ミチの髪やスカートを、風が巻き上げた。
こんなこと、許されるのだろうかと思ってみると、母と子の間なら許されると思います。
というか、むしろ、こういうおしゃべりをしてあげなくてはいけない。なんでなんだろう。無責任で、いい加減じゃないの? 絶対にナウシカみたいになれないと、私でもわかるのに、どうしてこんなおしゃべりになるんだろう。
イメージが大切な時代があるからなんでしょうね。六歳くらいなら、もっともっとたくさんいろんなイメージをふくらませてあげたいです。
現実は厳しく、ひどいものであるのだけれど、生きていくには小さい時の親子のおしゃべりは必要な気がしています。
ウクライナの子どもたちにも、こんなになっても、お話してあげるチャンスと時間が必要な気がします。いや、ウクライナだけではなくて、たくさんの国々でこんな他愛もないおしゃべりが許されているのかどうか、気になりました。
普通は、私たちはナウシカにはなれない。でも、なれると思う時期も必要ですし、ナウシカになりたい気持ちを応援しなくてはならないんです! 大人の責任として。
私は、ちゃんとウチの子を応援してこれたかどうか、今もずっと不安はあります。今からでも遅くないかな。応援は私が生きてる限りしてかなきゃいけないか……。