もう手当たり次第、おもしろいと思ったら、そこを取り上げることにします。あとで順番を入れ替えたらいいから、もう思いつくままにやります!
さて、中山(ちゅうざん)という国があったんです!(「戦国策」明治書院の新書版の一番最後です) 河北省中南部、今でいうとどのあたりなんだろう。お話に楚が出て来るから、南の方かなと思ったんですが、河北省だし、燕や趙という国がお話に出て来るし、位置が確定しません。北京の西くらいかな?
まあ、黄河流域に異民族が立ちあげた国があったそうです。最初はどこでもそうなんです。元にしろ、清にしろ、金にしろ、異民族の国でした。でも、すぐにみんなゴチャゴチャになって漢民族ということになりました。とはいうものの、漢民族を誇る人たちは、異民族支配がイヤだったでしょうか。
だったら、今も共産党支配が気に入らない人たちもどこかにいないかな。もう七十年くらいその人たちは眠り続けてますけど、いつか共産党政権がなくなったら、「ああ、セイセイした」と雨後の筍のようにニョキニョキ出て来るでしょうか。
本当は違うのかもしれないけど、今との関係で行くと、もう異民族云々はどうでもいいかもしれない。とにかく、国を建てることが大事です。えらい人がいて、それを守る子孫がいて、それを支える臣下がいて、そうして国は維持されていきます。
今みたいに、政治家が自分のことしか考えない時代は、いつかまた反動が来ると思うけど、長い目で見れば、どんな高圧的な権力も、人々を大事にしないと、いつかは破綻するんでしょう。今の政治家のための政治の時代も、いつか終わりが来ると信じたいのだけれど……。
私の中でずっと注目している江戸時代・江戸幕府は、その発足当初は少し残酷なところがありましたが、安定したら、ものすごく人々を大事にしたシステムだったのではないかと思っています。
不勉強で、例えばどんなこと、というのが挙げられないけど、その後の明治政府よりも、近世国家としては安定した政治システムを持っていました。そんな気がするんです。
今から2300年くらい昔、中国の黄河流域に中山(ちゅうざん)という国がありました。いろんな地域で国は乱立しますし、王政は乱れたり、下剋上されたり、領土を取ったり取られたりしていました。いくつかの強大な国はありますが、どこも決定的に強くなくて、お互い様の時代が続いていました。天下が統一されるまで、あと数十年もありました。
国のトップは、部下たちを大事にしないといけません。時々はごちそうをしてあげました。となると、メインはお肉で、それとお酒なのかな。それは国家というものの宿命なのかもしれない。国のエライさんは、そんなことをしてないと、自分たちの権力が感じられないのです。
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざがありますが、このアツモノとは、スープのことです。それを食べる時に舌をやけどして、ナマスみたいな冷たい料理でもフーフーいうようになる。人は失敗したら、一時だけは用心深くなる、という意味になるでしょうか。
羊羹(ようかん)は、本来は肉入りスープでした。それが甘い棒状のお菓子になるんですが、これは日本独自の進化であって、中国の人はそんなの知りません。ヨウカンとは、とにかくスープで、しかもごちそうでした。
都の士大夫(しだいふ)たちにご馳走します。みんな肉のスープ(羊羹 ようかん)を飲み、お酒も頂き、できることなら、たらふく食べたかったことでしょう。食べられることがその人の強さの証明にもなっていました。
司馬司期(しばしき)という武将に、あろうことか、メインの肉スープ(しつこいですけど、ヨーカンです!)が来ませんでした。接待係の怠慢であり、王様のミスではありません。でも、恨みは、すぐに王に向けられます。
「私には肉スープが用意されていなかった。これは、仕組まれたことなのか、それともただのミスなのか、そんなことは知らない。王の宴会において、私には肉のスープが来なかったのだ。この食べ物の恨みは、この国を滅ぼすことでしか晴れない。
私は誓おう。私にこのような仕打ちをしたこの国を滅ぼし、私の屈辱をいつか必ず晴らすのだ!」
司馬子期さんは静かに決意しました。もう宴会なんかそっちのけで、いかにしてこの国を自分の力で滅ぼすかに頭を巡らしていたことでしょう。そして、南の強国の楚の国に行き、楚の力で中山を滅ぼす作戦を始めるのでした。
どんなふうに司馬司期さんが、楚の王様に取り入ったのか、それはわかりません。これは今と同じで、国のトップに損得を訴え、道義的責任も後付けして、「今出兵しないでどうします」と説得して、まんまと楚の兵を動かすことに成功します。
そして、小国の中山は混乱してしまいました。
肉のスープを部下たちが食べ飽きるほど用意できなかった王様は、もう逃げるしかありませんでした。都を捨てて、どこに逃げたらいいのでしょう。
その王のあとを追ってくる二人の若者がいました。暗殺者? そこまで憎かったの?
追いかけて来た二人は、敵意は全くなく、油断させようということなのか?
ズタボロの王様は言います。
「君たちは何をしに来たんだい? 私は逃げ落ちてゆく哀れな権力者だったものだが……」
「王様。私どもには父がおります。かつて道に餓えてしまい、もう餓死するかという時がありました。その時王様が私どもの父に一椀の食事を与えてくださいました。
私ども父が亡くなる間際に、中山国に何事か大変な時が来たら、王様に命を投げ出しなさい。お前たちは本当ならこの世にいなかったのを、中山国の王様に救ってもらった命なのだ。というふうに聞いて、今こそ命を投げ出す時と思い、やって参りました。」
さて、ことばです!
【与うるは衆少を期せず、それ厄(やく)に当たるに於てす】……人にものを施すのは、多い少ないは問題ではない。人が困っている時にするかどうかなのだ。
【怨(うらみ)は深浅を期せず、それ心を( )つくるに於いてす】……人から恨みを買うのは、相手に対するダメージが深いか浅いかは問題ではない。その人の心をどうしたかが問題なのだ。
これは対句になっていて、後半が大事という気もしますが、どっちも同等の重さを持って王様はついつい言ってしまいました。
あともう1つオマケがあります。
「私は一杯の肉のスープ(羊羹でした!)で国を滅ぼし、一椀の食事で若きサムライ二人を得ることができた。ああ、人生とは不思議なものだ。
そんな先々のことを考えながら行動しているわけではなかったが、改めてこれから、どんな時も細心の注意を払って生きていきたい。国はもうない。けれども、私は、二人の若い人たちと改めて生きていこうと思うのだ。」
★ 答え 傷(きず)……他人に対して、いつどこで自分の言動・行動がダメージを与えてしまうか、改めて人生の不思議を王様は感じたことでしょう。