三島由紀夫さんの最後の連作「豊饒(ほうじょう)の海」第一作は、「春の雪」でした。竹内結子さんと妻夫木くんの二人で映画も作られましたけど、もちろん私は見ていません。
単行本はいつ出てたんだろう。70年か71年には出てたんでしょうね。そのあと新潮社から三島由紀夫全集が出て、一冊三千いくらで、とても買えなかったものでした。少し欲しいと思ってたようです。それで、1977年の7月末に文庫版が出て、私は9月に買ったみたいです。なかなか買うチャンスがなかったのかな。
たぶん、勉強しなきゃいけないのに、そんなのは置いておいて、吉川英治の「新平家物語」とか、図書館にこもって読んでたから、本当にとんでもない時代を過ごしていたようです。もっと数学とかやればよかったのに、わからないから、ついつい本の世界へ逃避してたのかな。
ここから、第2巻「奔馬」は8月に出ていて、これも9月末に買っています。同時に買ったのではなくて、チビリチビリと買い進めていたみたいです。
第3巻「暁の寺」は11月、第4巻「天人五衰」は12月、これら続けて読んでないと思うんだけど、とにかく全巻読んだ後、そこからミシマ熱が広がったのか、とにかく買っておいて、あとから読んだのか、そのへんの記憶はあいまいです。
とにかく、新潮社から、月ごとに三島由紀夫の本が出るということで、丁寧にフォローしていたみたいです。
有名な「潮騒」は1973年に近所の本屋で買っています。これなら、中学生でも読めたでしょう。百恵ちゃんの映画はいつごろだったのか? 昔の「潮騒」の文庫本には、もっと昔の映画の写真も載ってましたけど、それは買わなかったみたいです。たぶん、それだと恥ずかしかったのかもしれない。今手元にあるのは写真のないカバーです。
「金閣寺」も1973年に買ってますけど、すぐに読んだ記憶はありません。とにかく、家に置いておこうと思って買ったのかどうか。たぶん、チャレンジして、挫折して、何年かしてやっと読めたはずです。
「仮面の告白」「禁色」の2冊は1978年に買い、そのあと読んだのだと思われます。
「音楽」も同じ年。たぶん、このころ私の中でブームが来ていて、「豊饒の海」4巻とも勢いで読んでしまうし、あれこれと手を出してるつもりだったのかな。
「近代能楽集」というのがありましたが、これはうちの奥さんの本でした。彼女が岩手で買った本だったようです。あといくつかミシマさんの本はありますが、最近はあまり読んでいません。私のブームは40年前でしたか。
再びブームが来るかもしれないし、だれかに伝えたい気持ちはありますが、さて、何から読んでもらったらいいのか、一番短そうな「仮面の告白」はハードル高いし、「潮騒」はあまりにいろいろと映画で作られてしまって、三島由紀夫さんを感じるのは難しい気がする。
何を書いているのかというと、私は、三島由紀夫さんが世の中に食い尽くされ、ご本人も映画には出るし、写真には撮られまくるし、筋肉もりもりの肉体改造もしてしまうし、本当にいろんなことをされて、まだまだやることはたくさんあったと思うんですけど、衝撃的なメッセージを残すために、最後はあんな形になってしまって、というのを、1970年の私は知ってたのかどうか……。
たぶん、1970年ころなら、三島由紀夫さんは知らなかったかもしれません。事件で初めて知り、そこから少しずつ私も大きくなって、「潮騒」「金閣寺」から入っていき、1978年には大ブームが来たようでした。私だけの個人的なブームですけど。
三島由紀夫さんは、世の中に食いつぶされた作家なのか?
そうではないかもしれないけど、行きがかり上、そういう流れができてしまい、そのまま流れに乗って走り去っていかれました。もう少し、誰かと一緒に活動してたら、バラエティとか、NHKの特番とか、作家を中心に据えて何か作る、そんな動きがあれば、三島さんももう少しこのテーマを訴えたいとか、自衛隊の人たちともう少し交流して、この人たちを動かすのは無理だから、自分が政党を作り、自民党をぶっ壊すとかしてもらったら、生きがいになったかな。そうしたら、くたびれたI原某みたいになっちゃうし、難しいですね。
そのあとを、私はよくわからないままに、少しだけ三島由紀夫さんの足跡をたどり、おもしろいし、魅力的なんだけど、何かもうこれ以上近づいてはいけない、もう今までで十分と判断して、これまた遠ざかっていきました。もう40年前のことでした。
今も家にはあるけど、何十年も本の背中を見ているだけで、本そのものは80年代の空気も含んでいるでしょう。
いろんな作家・作品が持ち上げられ、絶賛され、本も出て、やがてみんなが遠ざかっていく。ミシマさんは、ドナルド・キーンさんとか、海外の人たちにも迎えられて、世界でも名前は知られたでしょう。
でも、今、世界でミシマユキオって、どれくらい認知されているんだろう。どれくらいの人が読みたいと思うんだろう。
細々と続いていくかな。微妙なところではあるのです。何だか魅力は感じるのです。でも、もうこれでいいやとつい思ってしまうのはなぜなんだろう。
私にミシマユキオさんを広める力はないし、もう何十年も遠ざかっているので、語る権利もないのです。でも、一時期虜にはなりました。魅力を感じた。そういう誰もが通るものとして存在するのか、それとも、いつかみんなが通らねばならないところに三島由紀夫さんはいるのか。私は、それが分からないんです。
でも、三島由紀夫さんを、世の中は蝕み、彼本来の力を失わせ、文学からものすごく遠いところへ走らせたのは確かで、文学好きの私は、そこが悔しい。そんなことしないで、もっと違った形の小説とか、書いてもらえたらよかったのになと思うんです。