18キップの2回分を使って、母と日本玩具博物館へ出かけました。
播但線に乗りました。あずき色の2両の電車です。お客さんはいっぱいだし、若いカップルもたくさんいるし、高校生だってたくさん乗り込んでいます。どうしたんでしょう。新快速で姫路まで来た時には、明石、加古川で車内は人は少なくなって、お盆休みを過ぎて世の中は動き出しているのだと思っていたら、播但線はいっぱいで、もうびっくりしました。
姫路から5つ目の香呂(こうろ)駅で降りました。おめあての日本玩具博物館は駅から一本道のつきあたりにある感じです。近くにはインターハイの女子サッカー4連覇の学校もあるようで、駅にはたれ幕も下がっています。地域には誇れるような学校っていうのが何かとあるみたいで、こちらでは女子サッカーが強いようでした。
現在は姫路市に編入されているみたいだけれど、ここは昔、香寺町(こうでらまち)だったようです。揖保郡だったんでしょうか。ここもよくある日本の田舎で、どんどん自主性を奪われて、都市部に吸収されるかたちです。何かしようとしても都市部の論理で進められるので、田舎はそれを受け入れさせられるだけなんでしょう。
マンホールと町役場あとだけが香寺町で、あとは姫路市が幅をきかせている。
一緒に来ている母は、どうしてこんなに駅から遠いんだろうね、と文句を言っています。世の中は鉄道中心にできているんじゃなくて、道路中心でできているのに、夏の日中を歩かされるので、いやみたいです。
だったら、来なかったらいいのに、とは言わなくて、母を励ましつつ、「もうすぐだから」とか、「ほら、この飾り瓦、ワシみたいでおもしろいね」とか、「ほら、門のところにこんな大きな石を立てているね」など、目に見えるあれこれで母の気を紛らせるしかありません。
母が来たいというので連れてきてあげたのに……、まあ、いつものことですね。母はドラキュラのように、太陽が苦手で美白こそすべての人でした。だから、曇っているのに日傘をさして、息子の私にも傘の下に入れといい、無理矢理傘をさしかけようと近づいてきます。
私はもちろんだらしなく、好きなところを、右左フラフラ歩くのがいいわけだから、母の傘の下なんてイヤで、逃げまくりますが、母が追いかけてきて、追いつ追われつ、逃げては迫りの繰り返しで1キロほどはあっという間に過ぎてしまいます。兵庫県の田舎町を歩いて行きます。
たどりついたら、三叉路になった所のそれぞれの角のところが小さな藪になっていて、それぞれが、駐車場、広場、いくつかの土蔵になっているようでした。その土蔵群が博物館らしいのです。
ガラリと引き戸を開けると、靴を脱いでガラス越しにおもちゃたちを見るようになっています。それを見た瞬間に母は「私は外で待っている。私はオモチャなんか興味ない!」と宣言します。
いつものことなので、「ハイ、わかりました」と、私は母を待たせておいて中に上がることにしました。
日本玩具博物館というので、日本のおもちゃばかりだと思っていたら、正面の建物の展示ケースには世界の動物オモチャが飾られていました。解説の方がグループにあれこれとお話されているようでした。
私は、写真を撮りに来たミーハーのオッサンですし、文句言いの母を外で待たせているので気が気ではありませんでした。だから、とりあえず全部見て、普通なら写真撮ったらダメなんだけど、チャンスがあれば撮っちゃえと思いつつめぐります。
きれいなおかあさんとその子供たちは、さわれるおもちゃで遊んでいたりします。少し場違いなところに来たという感じさえします。
でも、おもちゃのビジュアルも、それが扱われる子供たちの世界も、それを思い出として生きる大人の世界も、すべておもちゃに関わる人々の思いというのを大事にしたい方なので、とりあえず自分のおもちゃの世界を探すことにしました。
オバQさんは、小学校低学年の頃、日曜7時のウルトラシリーズが終わったあと、不二家の提供でやってたアニメでした。これは初代のころのおもちゃでしょうか。それにしては新しいかもしれない。大事に扱われていたのかもしれません。
ロボットたちは、好きだったけれど、買ってもらった記憶はありませんでした。たぶん、私より少し前の世代の人たちのものかもしれない。ただ、これらは日本製で海外にも進出したというから、大事な輸出製品だったんでしょう。デザインを海外から持ってきて、それをコピーして海外に安く売り出す形が60年代に生まれたのかな……。
最後はこれ! たぶん私はこれを持っていたと思うのです。右左と点滅しながら動いていたのをおぼえています。あのころのおもちゃ売り場は騒然としていたんですね。そこだけものすごい音で、いろんなおもちゃが動かされていました。
それぞれが大きな音と光りの点滅で、「私を買って!」とアピールして、こどもたちはそれらにつられて、「あれ買って」とおねだりするものでした。そして、「また今度」とか、「お誕生日にね」とか、すぐには買ってもらえなくて、機嫌をそこねるというのがパターンでした。日本のあちらこちらにあった風景でした。
今、おもちゃ売り場はもっとクールになって、展示されているガラスケースから取り出してもらったり、カードで奥から持ってきてもらったり、何だか静かな感じです。
しずかなおもちゃ売り場は現代そのもので、うるさくしたら白い眼で見られるかも……。
さて、つづきは夜にでも書こうと思います。
播但線に乗りました。あずき色の2両の電車です。お客さんはいっぱいだし、若いカップルもたくさんいるし、高校生だってたくさん乗り込んでいます。どうしたんでしょう。新快速で姫路まで来た時には、明石、加古川で車内は人は少なくなって、お盆休みを過ぎて世の中は動き出しているのだと思っていたら、播但線はいっぱいで、もうびっくりしました。
姫路から5つ目の香呂(こうろ)駅で降りました。おめあての日本玩具博物館は駅から一本道のつきあたりにある感じです。近くにはインターハイの女子サッカー4連覇の学校もあるようで、駅にはたれ幕も下がっています。地域には誇れるような学校っていうのが何かとあるみたいで、こちらでは女子サッカーが強いようでした。
現在は姫路市に編入されているみたいだけれど、ここは昔、香寺町(こうでらまち)だったようです。揖保郡だったんでしょうか。ここもよくある日本の田舎で、どんどん自主性を奪われて、都市部に吸収されるかたちです。何かしようとしても都市部の論理で進められるので、田舎はそれを受け入れさせられるだけなんでしょう。
マンホールと町役場あとだけが香寺町で、あとは姫路市が幅をきかせている。
一緒に来ている母は、どうしてこんなに駅から遠いんだろうね、と文句を言っています。世の中は鉄道中心にできているんじゃなくて、道路中心でできているのに、夏の日中を歩かされるので、いやみたいです。
だったら、来なかったらいいのに、とは言わなくて、母を励ましつつ、「もうすぐだから」とか、「ほら、この飾り瓦、ワシみたいでおもしろいね」とか、「ほら、門のところにこんな大きな石を立てているね」など、目に見えるあれこれで母の気を紛らせるしかありません。
母が来たいというので連れてきてあげたのに……、まあ、いつものことですね。母はドラキュラのように、太陽が苦手で美白こそすべての人でした。だから、曇っているのに日傘をさして、息子の私にも傘の下に入れといい、無理矢理傘をさしかけようと近づいてきます。
私はもちろんだらしなく、好きなところを、右左フラフラ歩くのがいいわけだから、母の傘の下なんてイヤで、逃げまくりますが、母が追いかけてきて、追いつ追われつ、逃げては迫りの繰り返しで1キロほどはあっという間に過ぎてしまいます。兵庫県の田舎町を歩いて行きます。
たどりついたら、三叉路になった所のそれぞれの角のところが小さな藪になっていて、それぞれが、駐車場、広場、いくつかの土蔵になっているようでした。その土蔵群が博物館らしいのです。
ガラリと引き戸を開けると、靴を脱いでガラス越しにおもちゃたちを見るようになっています。それを見た瞬間に母は「私は外で待っている。私はオモチャなんか興味ない!」と宣言します。
いつものことなので、「ハイ、わかりました」と、私は母を待たせておいて中に上がることにしました。
日本玩具博物館というので、日本のおもちゃばかりだと思っていたら、正面の建物の展示ケースには世界の動物オモチャが飾られていました。解説の方がグループにあれこれとお話されているようでした。
私は、写真を撮りに来たミーハーのオッサンですし、文句言いの母を外で待たせているので気が気ではありませんでした。だから、とりあえず全部見て、普通なら写真撮ったらダメなんだけど、チャンスがあれば撮っちゃえと思いつつめぐります。
きれいなおかあさんとその子供たちは、さわれるおもちゃで遊んでいたりします。少し場違いなところに来たという感じさえします。
でも、おもちゃのビジュアルも、それが扱われる子供たちの世界も、それを思い出として生きる大人の世界も、すべておもちゃに関わる人々の思いというのを大事にしたい方なので、とりあえず自分のおもちゃの世界を探すことにしました。
オバQさんは、小学校低学年の頃、日曜7時のウルトラシリーズが終わったあと、不二家の提供でやってたアニメでした。これは初代のころのおもちゃでしょうか。それにしては新しいかもしれない。大事に扱われていたのかもしれません。
ロボットたちは、好きだったけれど、買ってもらった記憶はありませんでした。たぶん、私より少し前の世代の人たちのものかもしれない。ただ、これらは日本製で海外にも進出したというから、大事な輸出製品だったんでしょう。デザインを海外から持ってきて、それをコピーして海外に安く売り出す形が60年代に生まれたのかな……。
最後はこれ! たぶん私はこれを持っていたと思うのです。右左と点滅しながら動いていたのをおぼえています。あのころのおもちゃ売り場は騒然としていたんですね。そこだけものすごい音で、いろんなおもちゃが動かされていました。
それぞれが大きな音と光りの点滅で、「私を買って!」とアピールして、こどもたちはそれらにつられて、「あれ買って」とおねだりするものでした。そして、「また今度」とか、「お誕生日にね」とか、すぐには買ってもらえなくて、機嫌をそこねるというのがパターンでした。日本のあちらこちらにあった風景でした。
今、おもちゃ売り場はもっとクールになって、展示されているガラスケースから取り出してもらったり、カードで奥から持ってきてもらったり、何だか静かな感じです。
しずかなおもちゃ売り場は現代そのもので、うるさくしたら白い眼で見られるかも……。
さて、つづきは夜にでも書こうと思います。