アントン・チェーホフが好きなのか、ロシア文学が好きなのか? それとも訳者の神西清(じんざい・きよし)が好きなのか! よくは分かりませんが、私の中でチェーホフは好きな作家ということになっています。でも、どれだけ読めているのかというと、あまり読めていないのです。でも、目にする機会があって本などを取り上げてみると、なかなかステキで、「やっぱり好きだな」と思い込むことがあります。それで、今回は2008年に新潮社から出た『チェーホフ・ユーモレスカ』です。
好きという割には、今回はおもしろくありませんでした。訳者が松下 裕さんという方で、この人のせい? とか思ったりしましたが、そうではないようです。もっとあとの作品にはいいものがあるのですし、この本で取り上げられた65のお話、これがごく若い頃の作品なので、未完成というか、ショートショートとも言えないような、何だかよくわからない、どこにオチがあるのか、何がいいたいのかわからない作品ばかりだったのです。
たぶん、若いチェーホフさんが、短いお話の中にいろんな意味を含めて書いているはずなのです。でも、100年以上も時代が違うし、こっちは不勉強だし、細かい説明なんかついていないし、サラッと流れてしまうような作品ばかりでした。でも、次の「農奴あがり」は違います。これは気に入りました!
「わしらの川は蛇のようにくねっていたよ、ジグザグにね……。野原をしなりながら、うねりながら、まるで折れ曲がったようにね……。よく山に登って見おろすと、掌(てのひら)のようにすっかり見えたよ。昼間は鏡のようで、夜は水銀のように流れてる。岸辺には葦が茂って、流れを見守ってるんだ……。美しい景色だ! ここには葦、あちらには柳の林、また猫柳ってぐあいさ……」
こんなふうにニキーフォル・フィリモーヌイチは、ビヤホールのテーブルに向かって腰かけ、ビールを飲みながら描写して行った。夢中になって、熱っぽくしゃべっていた……。話の中で何か格別詩的なくだりを強調するたびに、しわを寄せるヒゲを剃った顔と、日焼けした首とがぴくぴく震えて、ひきつれた。聞いているのは美しい16になる給仕女のターニャだった。彼女はカウンターの上に胸をつけて両の拳で頭を支え、びっくりしたように、青白い顔をして、まばたきもせずにうっとりと一語一語に聞き入っていた。
ロシアのオヤジは、熱っぽい人がよくいます。お酒をのんだらやたら元気で、変に詩的になって、一生懸命キレイな風景描写をします。たいていそばには若い女がいて、目をキラキラさせて聞いています。それはオッサンの夢でしょうか。そういう気もしますが、オッサンの夢につきあってくれる若い女性というのは、貴重です。私は、そんなことを語れる若い女性なんていません。もし、いたとしても、変な気持ちが起こるかもしれない(たぶん、起こらないと思うけど)。それに何を熱っぽく語るというのでしょう。語れるものを持たない私は、ロシアのオヤジがうらやましくなります。
ニキーフォル・フィリモヌーイチは、毎晩のようにビヤホールに出かけては、ターニャを相手にしゃべった。彼女には身寄りがなく、青白い、生き生きした眼つきの顔いっぱいにあふれた物静かなやさしさが彼は大好きだった。そして彼は、愛する者に自分の過去のあらゆる秘密を捧げるのだった。いつも、まず最初から──というのは、自然描写から語りはじめる。自然描写から狩の話へ、狩から亡くなった旦那のスヴィンツォーフ公爵の人柄へと移って行く。
「すばらしい方だったんだ!」と彼は公爵のことをこう語った。「財産や地所の広さだけじゃない、人柄が立派だったなあ。ドンファンだったしよ!」
「ドンファンって何のこと」
「それはね、女に対してとてもドンファンだったということさ。君のきょうだいを愛したんだ。財産を残らず、女のためにすっちまったのさ。そうだとも……。わしらがモスクワで暮らしてたときには、ホテルの二階のほとんど全部をわしらが借り切ってたんだ。ペテルブルグでわしらは男爵夫人フォン=トゥシフとすっかり関係があってさ、子どもまで出来なすってな。この男爵夫人がある晩、全財産をカルタですっちまってよ、自分で自分に手をかけようとなさったときにゃ、公爵さまが死ぬのをお止めになった。きれいな方で、まだ若かった……。一年ばかり公爵さまとつきあいなさって、死んじまった……。女はみんなあのかたを好きになってね、ターネチカ! ほんとに好きになってさ! あの方がいなけりゃ生きてられなかったんだ!」
このニキーフォルさんは、旦那の使用人だったらしいのです。この旦那という人は、そんなにかっこいい男じゃなかったらしい。でも、こうして今も使用人たちの語りぐさになり、慕われ、思い出話のネタになっている。それくらいこの旦那の下で生活していて、充実した日々を送っていた。
そんな話をして、何になるんでしょうね。まあ、そのような自然とともに一生懸命に暮らしていた自分たちがいて、それを語ることで若い人に力を与えようとした。若い人も、そうした酔っぱらったオヤジの話を素直に受け入れてくれた。相手にしないで、適当な返事をするのではなかった。こういう語ろうとする人と、聞いてやろうとする人のいい関係って、いいですね。今の私たちには、失われてしまった関係です。そういうことばのやりとりを懸命にライブで行うって、私だって、いつやれたでしょう。はるか昔のことですねえ。
「美男子だったの?」
「美男子なものか……。年取ってて、醜男(ぶおとこ)なんだよ……。あの方はおまえさんだって、ターネチカ、気に入りなすったろうよ……。痩せぎすの青白い女が好みでね。なにも恥ずかしがることはないさ。なにを恥ずかしがるんだね。わしはいつでも嘘ばっかりついてきたがね、こいつばかりは嘘じゃないよ……」
それからニキーフォル・フィリモーヌイチは馬車や馬や服装のことを描写しはじめる……。こんなことも実にくわしく知っていた。それから酒の名をあげはじめる……。
「1本25ルーブルもするような酒がいろいろあるんだ。ひとくち飲んでごらん、腹わたにしみわたって、死んだっていいような気になるからさ……」
ターニャがとりわけ喜んだのは、静かな月夜の描写だった……。夏には野外の木陰や花に囲まれてのどんちゃん騒ぎ、冬には暖かいひざ掛けを掛けてのそり遊び──稲妻のようにそりを飛ばす。
「そりは飛んでる、ところが月も駆けてるように見えるんだからな……。楽しいぞう!」 こんな調子でニキーフォル・フィリモーヌイチは長々と物語る、小僧が入口のランタンを消して、表の看板をビヤホールの中へ取り込むころになって、ようやく話を結ぶ。
こんなふうに無邪気な聞き手を持ったニキーフォルさんは、しあわせな時間を過ごしました。そんなある晩に、事故が起こります。
ある冬の晩にニキーフォル・フィリモーヌイチは酔っぱらって、垣の根方に寝転がっていて風邪を引いた。そうして病院へ担ぎ込まれた。ひと月たって退院してみると、ビヤホールにはもう例の聞き手はいなかった。行き方知れずだった。
一年半ほどたって、ニキーフォル・フィリモーヌイチはモスクワのトヴェルスカーヤ通りを歩きながら、着古した夏外套(なつがいとう)の買い手を見つけようとしていた。ところが恋しいターニャに出くわしたのだ。おしろいを塗って、めかしこんで、やけに庇(ひさし)を曲げた帽子をかぶって、どこかのシルクハットの紳士と腕を組んで歩きながら、なにやら大声で笑っていた……。老人はその姿を見て、彼女だと気づくと、黙って見送りながらゆっくり帽子を取った。彼の顔には感動が走り、眼には涙がきらめいた。
「なあ、幸せにな……」と彼はつぶやいた。「美しい女だ」
そして、帽子をかぶると、ひっそりと笑いはじめた。
私は、この「笑い」が、何だか深いなあと、感心しました。
1.ターニャの幸せそうな姿を見て、良かったなあと、心から喜んでいる笑い。
2.久しぶりにターニャを見つけて、彼女を見つけた喜びの笑い。だれもニキーフォルさんに本当のことを教える人はいなかったのだが、自分で見つけられたうれしさ。しかも、相変わらず彼女は美しく、その姿を見ただけでうれしかった。
3.自分はくたびれたオヤジとしての人生を送っているが、美しい女には、それなりの豊かな人生を手に入れて欲しいという願いが叶った喜びと、お互いの距離を確認して、あきらめに似た笑い。
4.彼女がうれしそうなのは、自分としてはうれしいけれども、何か寂しい気持ちも感じていて、それを大声で言うとか、感情を露わにするほどの若さはなくて、ただ2人にできた距離をかみしめるしかない笑い。
少ししつこいですね。でも、こういうことって、私たちの人生では絶えずあるかなあと、なかなかチェーホフさん、やるじゃないと思ったので、全文を取り上げました。
日本のオッサンなら、ここでナニクソと思い、幸せになった彼女につきまとい、お金を恵んでもらうか、何かの形で彼女に近づこうとするでしょう。それをしないのが、ロシアのオッサンのさわやかさです。こんなふうに人のしあわせに素直に喜べる人間にならなくては!
好きという割には、今回はおもしろくありませんでした。訳者が松下 裕さんという方で、この人のせい? とか思ったりしましたが、そうではないようです。もっとあとの作品にはいいものがあるのですし、この本で取り上げられた65のお話、これがごく若い頃の作品なので、未完成というか、ショートショートとも言えないような、何だかよくわからない、どこにオチがあるのか、何がいいたいのかわからない作品ばかりだったのです。
たぶん、若いチェーホフさんが、短いお話の中にいろんな意味を含めて書いているはずなのです。でも、100年以上も時代が違うし、こっちは不勉強だし、細かい説明なんかついていないし、サラッと流れてしまうような作品ばかりでした。でも、次の「農奴あがり」は違います。これは気に入りました!
「わしらの川は蛇のようにくねっていたよ、ジグザグにね……。野原をしなりながら、うねりながら、まるで折れ曲がったようにね……。よく山に登って見おろすと、掌(てのひら)のようにすっかり見えたよ。昼間は鏡のようで、夜は水銀のように流れてる。岸辺には葦が茂って、流れを見守ってるんだ……。美しい景色だ! ここには葦、あちらには柳の林、また猫柳ってぐあいさ……」
こんなふうにニキーフォル・フィリモーヌイチは、ビヤホールのテーブルに向かって腰かけ、ビールを飲みながら描写して行った。夢中になって、熱っぽくしゃべっていた……。話の中で何か格別詩的なくだりを強調するたびに、しわを寄せるヒゲを剃った顔と、日焼けした首とがぴくぴく震えて、ひきつれた。聞いているのは美しい16になる給仕女のターニャだった。彼女はカウンターの上に胸をつけて両の拳で頭を支え、びっくりしたように、青白い顔をして、まばたきもせずにうっとりと一語一語に聞き入っていた。
ロシアのオヤジは、熱っぽい人がよくいます。お酒をのんだらやたら元気で、変に詩的になって、一生懸命キレイな風景描写をします。たいていそばには若い女がいて、目をキラキラさせて聞いています。それはオッサンの夢でしょうか。そういう気もしますが、オッサンの夢につきあってくれる若い女性というのは、貴重です。私は、そんなことを語れる若い女性なんていません。もし、いたとしても、変な気持ちが起こるかもしれない(たぶん、起こらないと思うけど)。それに何を熱っぽく語るというのでしょう。語れるものを持たない私は、ロシアのオヤジがうらやましくなります。
ニキーフォル・フィリモヌーイチは、毎晩のようにビヤホールに出かけては、ターニャを相手にしゃべった。彼女には身寄りがなく、青白い、生き生きした眼つきの顔いっぱいにあふれた物静かなやさしさが彼は大好きだった。そして彼は、愛する者に自分の過去のあらゆる秘密を捧げるのだった。いつも、まず最初から──というのは、自然描写から語りはじめる。自然描写から狩の話へ、狩から亡くなった旦那のスヴィンツォーフ公爵の人柄へと移って行く。
「すばらしい方だったんだ!」と彼は公爵のことをこう語った。「財産や地所の広さだけじゃない、人柄が立派だったなあ。ドンファンだったしよ!」
「ドンファンって何のこと」
「それはね、女に対してとてもドンファンだったということさ。君のきょうだいを愛したんだ。財産を残らず、女のためにすっちまったのさ。そうだとも……。わしらがモスクワで暮らしてたときには、ホテルの二階のほとんど全部をわしらが借り切ってたんだ。ペテルブルグでわしらは男爵夫人フォン=トゥシフとすっかり関係があってさ、子どもまで出来なすってな。この男爵夫人がある晩、全財産をカルタですっちまってよ、自分で自分に手をかけようとなさったときにゃ、公爵さまが死ぬのをお止めになった。きれいな方で、まだ若かった……。一年ばかり公爵さまとつきあいなさって、死んじまった……。女はみんなあのかたを好きになってね、ターネチカ! ほんとに好きになってさ! あの方がいなけりゃ生きてられなかったんだ!」
このニキーフォルさんは、旦那の使用人だったらしいのです。この旦那という人は、そんなにかっこいい男じゃなかったらしい。でも、こうして今も使用人たちの語りぐさになり、慕われ、思い出話のネタになっている。それくらいこの旦那の下で生活していて、充実した日々を送っていた。
そんな話をして、何になるんでしょうね。まあ、そのような自然とともに一生懸命に暮らしていた自分たちがいて、それを語ることで若い人に力を与えようとした。若い人も、そうした酔っぱらったオヤジの話を素直に受け入れてくれた。相手にしないで、適当な返事をするのではなかった。こういう語ろうとする人と、聞いてやろうとする人のいい関係って、いいですね。今の私たちには、失われてしまった関係です。そういうことばのやりとりを懸命にライブで行うって、私だって、いつやれたでしょう。はるか昔のことですねえ。
「美男子だったの?」
「美男子なものか……。年取ってて、醜男(ぶおとこ)なんだよ……。あの方はおまえさんだって、ターネチカ、気に入りなすったろうよ……。痩せぎすの青白い女が好みでね。なにも恥ずかしがることはないさ。なにを恥ずかしがるんだね。わしはいつでも嘘ばっかりついてきたがね、こいつばかりは嘘じゃないよ……」
それからニキーフォル・フィリモーヌイチは馬車や馬や服装のことを描写しはじめる……。こんなことも実にくわしく知っていた。それから酒の名をあげはじめる……。
「1本25ルーブルもするような酒がいろいろあるんだ。ひとくち飲んでごらん、腹わたにしみわたって、死んだっていいような気になるからさ……」
ターニャがとりわけ喜んだのは、静かな月夜の描写だった……。夏には野外の木陰や花に囲まれてのどんちゃん騒ぎ、冬には暖かいひざ掛けを掛けてのそり遊び──稲妻のようにそりを飛ばす。
「そりは飛んでる、ところが月も駆けてるように見えるんだからな……。楽しいぞう!」 こんな調子でニキーフォル・フィリモーヌイチは長々と物語る、小僧が入口のランタンを消して、表の看板をビヤホールの中へ取り込むころになって、ようやく話を結ぶ。
こんなふうに無邪気な聞き手を持ったニキーフォルさんは、しあわせな時間を過ごしました。そんなある晩に、事故が起こります。
ある冬の晩にニキーフォル・フィリモーヌイチは酔っぱらって、垣の根方に寝転がっていて風邪を引いた。そうして病院へ担ぎ込まれた。ひと月たって退院してみると、ビヤホールにはもう例の聞き手はいなかった。行き方知れずだった。
一年半ほどたって、ニキーフォル・フィリモーヌイチはモスクワのトヴェルスカーヤ通りを歩きながら、着古した夏外套(なつがいとう)の買い手を見つけようとしていた。ところが恋しいターニャに出くわしたのだ。おしろいを塗って、めかしこんで、やけに庇(ひさし)を曲げた帽子をかぶって、どこかのシルクハットの紳士と腕を組んで歩きながら、なにやら大声で笑っていた……。老人はその姿を見て、彼女だと気づくと、黙って見送りながらゆっくり帽子を取った。彼の顔には感動が走り、眼には涙がきらめいた。
「なあ、幸せにな……」と彼はつぶやいた。「美しい女だ」
そして、帽子をかぶると、ひっそりと笑いはじめた。
私は、この「笑い」が、何だか深いなあと、感心しました。
1.ターニャの幸せそうな姿を見て、良かったなあと、心から喜んでいる笑い。
2.久しぶりにターニャを見つけて、彼女を見つけた喜びの笑い。だれもニキーフォルさんに本当のことを教える人はいなかったのだが、自分で見つけられたうれしさ。しかも、相変わらず彼女は美しく、その姿を見ただけでうれしかった。
3.自分はくたびれたオヤジとしての人生を送っているが、美しい女には、それなりの豊かな人生を手に入れて欲しいという願いが叶った喜びと、お互いの距離を確認して、あきらめに似た笑い。
4.彼女がうれしそうなのは、自分としてはうれしいけれども、何か寂しい気持ちも感じていて、それを大声で言うとか、感情を露わにするほどの若さはなくて、ただ2人にできた距離をかみしめるしかない笑い。
少ししつこいですね。でも、こういうことって、私たちの人生では絶えずあるかなあと、なかなかチェーホフさん、やるじゃないと思ったので、全文を取り上げました。
日本のオッサンなら、ここでナニクソと思い、幸せになった彼女につきまとい、お金を恵んでもらうか、何かの形で彼女に近づこうとするでしょう。それをしないのが、ロシアのオッサンのさわやかさです。こんなふうに人のしあわせに素直に喜べる人間にならなくては!