このナツ、お昼ごろにBSで六角精児さんが鉄道に乗りつつお酒を飲む番組を見る機会がありました(呑み鉄本線日本旅、という番組でしたね)。
どこを旅していたのか、もう忘れてしまったけれど、いや、北海道だったかな。静かに室蘭本線のあちらこちらを移動していく中で、秘境駅やら、駅弁やら、造り酒屋やら、あれこれを呑んで旅する姿に感心していました。最後は室蘭本線と函館本線の分岐点の長万部までの旅でしたっけ。ああ、北海道なんて、もう何年も行ったことがありません。
長万部から日本海に抜けるルートが廃止される前に(函館本線になるのかな? ニセコとか、羊蹄山をながめられる線も消されてしまうんですね)、一度そちらに行かせてもらいたいなんて思うけれど、たぶん、行けないでしょう。まあ、最初から諦めてたら何にもならないから、いつか廃止されるまでに行こうと思います。
飛行機でポンと向こうまで行きたいな。それでトコトコ旅したいです。
その番組の中で、六角さんのバンドが歌う「愛のさざなみ」が流れていました。有名な島倉千代子さんの歌です。この歌は、母だって歌えるかもしれないな。小学生の頃、一度だけ島倉千代子さんのコンサートに行ったと思うけど、あまり憶えてないですね。ただ行ったはず、ということだけしか記憶にないです。大阪の厚生年金会館でした。
曲そのものは、ゆったりと幸せそうな感じの歌ですが、二番なんかは未来への不安も歌っている感じです。トータルでは、島倉さんの歌なので、ほんわかした内容になっている。
そうした愛し合う二人の、最高のひとときが歌のサビになっています。
♬ ああ、みずうみに、小舟がただひとつ
やさしくやさしく くちづけしてね
くりかえすくりかえす さざ波のように
私は、こんなにして奥さんを愛して来られたっけ?
ちゃらんぽらんな気持ちに流されたりしたこと、そういうのなかったっけ?
ちゃらんぽらんな私ですけど、ちゃらんぽらんな気持ちはなかった! と思うけど、どれくらい愛したかですよね。でも、愛するって、量で計れるものでもないし、お金は常にないし、すごく愛したと言ったところで、わからなくなります。
愛することって、時間もかかるし、気持ちも必要だし、どこまで愛したなんて視覚的なものではないですね。愛なんだから、精神的なものだろうし、見えないものです。見えないものだから、みんな必死になって見えるように愛したくなるのかもしれないな。
「愛のさざ波」からは、ふと反省させられるような、真面目な気持ちが伝わります。
照れたり、ごまかしたり、移り気になったり、
お金のことばかり考えたり、余計なことに上の空になってないか?
ちゃんと小舟に仲良く乗っているか? 奥さんをちゃんと見ているか?
反省ばかりが湧いてきます。
もう一度、愛のさざ波をテーマとして生きていかなくてはならない!
今日、クルマに乗っていて、たまたまハードディスクにある酒井法子さんの「碧いウサギ」がかかってしまった。歌の練習をしてたんです。いや、発声練習かな? 真昼間にエアコンつけてクルマに乗って歌をうたってたんです。
そこには、あの落ちていく二人のフレーズがありました。
♫ ①あとどれくらい 切なくなれば
あなたの声が 聴こえるかしら
②あとどれくらい 傷ついたなら
あなたに たどりつけるのかしら
こんなにダメにならないと気が済まない男女って、いるのかもしれないけど、ふとこれは贅沢なことだな思ったのです。
男なのか、女なのか、ダメな方に相手がつき従っていくなんて、とても贅沢で、わがままで、甘えていると思えました。そういう愛の形もあるんだろうけど、ダメなこと、いけないこと(不倫やら、薬物やら、犯罪やらですか?)に落ちていく愛があるらしい。
でも、声も聞こえない。話しかけようとしても、相手はそこにいない。写真はあるかもしれないけど、写真は何も言わないから、自分でひとり芝居するしかない人、うちのオカンなんかもそうです。ひとりで父とやり取りとして、息子にこんな風に話しているんだよ、というのを聞かせてひと段落つく、それが母による唯一の父とのやり取りになりましたけど、そういう愛だってあるんです。
ひとりぼっちになっても続いていく愛もある。
母は、父に会いたい、という気持ちもあるけれど、死んでしまったら、あの世で会えるというわけではないし、死んでしまったら、ただの無ですから、今生きている時に父とやり取りのひとり芝居をすることが母の楽しみになっているのです。母が生きてる限り、父への愛は続くでしょう。それを私はずっと見守っていくでしよう。子どもとして二人の愛を見ていきます。
母は、転落していく男女なんて興味ないでしょう。ただ甘えているだけなのですから。
ノリピーも、今さらながら、甘えてたんだな、なんて思いました。いくらなんでも、愛だって、転落していってはいけない。二人して悪いところから出ていかなくちゃ!
一人にさせられてしまったら、ひとりで「愛のさざ波」を歌いましょう。湖に小舟で浮かびましょう。くちづけはできないけど、言葉でならできます。静かに歌うしか、私たちは道がないんだもんな。