何日もかけて、アンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』を読んでいます。50ベージほどの物語を読むのにも数日かかりました。
文字も小さいし、本も古いし、どうしてそんなしんどいことをしているんでしょう?
それはもう、42年前の本そのものへの愛着を示すためです。そんなことしても、目がしんどいだけですけど、すぐに眠れるから、睡眠効果も期待しているのかな……。42年前に買った本を、今さらながら、四苦八苦しながら読んでいます。
今日は一つ、こちらから抜き出しながら、このお話を聞いてもらおうと思います。
アメリカの南北戦争(1861~1865)が終わって二十年たった頃には、ベントリィ農園のある北オハイオのこのあたりは開拓者生活から抜け出しかかっていた。ジェシイはその頃にはもう穀物を取り入れるための機械を持っていた。彼は近代式な納屋も建て、耕地にも全部周到な計画のもとにタイルの排水溝を敷設して、排水をはかっていたが、……
ジェシイという人が、ここでは主人公になっています。次から次と短編というのか、連作短編が続いています。一連の物語の中では、取り上げられる人が変わっていくみたいで、今回のところでは、ジェシイ・ベントリィという大農園の主(老人?)が主役です。
二十年近くかけて、ジェシイさんは、自らの農園を拡大し、大規模農業を実現していました。たくさんの雇い人もいます。一つだけ不満なのは、後継者がいないということでした。娘さんがいましたが、彼女は町に出て行き、そちらで結婚して男の子を産んでいました。
ジェシイさんは、この孫をもらって、農園の後継者にしようと考えるようになるのでした。ただ一人の肉親の男の子ですから。
その前に、ジェシイさんが家を継ぐまでの兄さんたちの暮らしはというと、
彼らは依然として昔のままのやり方にしがみつき、追い立てられた動物のように働いた。彼らは当時のほとんど全部の百姓のやっていた通りの暮らし方をした。春と冬の大部分には、ワインズバーグ町に通じている公道はまるで泥海だった。
ベントリィ家の四人の青年は一日中畑で激しい労働をし、粗野な脂っこい食べ物をうんと腹に詰め込み、夜には麦わらの寝床で疲れ切ったけもののように眠った。彼らの生活を訪れるほとんどすべての事柄が粗野で野獣的だったし、彼ら自身も、見たところ、粗野でけものじみていた。
(この四人の兄さんたちは、南北戦争に志願して、全員戦死してしまいます)
兄さんたちがいなくなり、都会に出て結婚もしていた末っ子のジェシイは、故郷に帰り、言われるがままに農場経営に乗り出しますが、都会的なセンスで仕事を改革し、少しずつ実績が上がるようになります。
時が経ち、人間というものをよりよく知るようになるにつれて、彼(ジェシイさん)は自分を特別な人間であり、周囲の者たちとは別種の存在だとみなすようになった。
彼は自分の生涯を大きな重要性をおびたものにしたいと激しく望み、まわりの者たちを見まわして、彼らが土くれのような暮らし方をしているのを見るにつけて、自分もああいう土くれになるのではとうてい我慢ができないという気がした。
そして、彼は神様に、自分だけが特別な暮らしができますようにと、祈るのでした。なぜ、そんなことを祈れたかというと、それくらい信心深い人間だったからかもしれません。ある意味思い上がりがあったんでしょう。神に祈ることは、彼にとっては自らの成功を祈ることと同義だったようです。
神の計画の中に自分が重要な位置を占めているという考えが、しだいに彼の頭の中に育っていった。彼は貪欲になり、自分の農場がわずか六百エーカーしかないことにいら立った。
「どうか、息子を授かりますように」と神に祈り、農場拡大も神に祈りました。息子は生まれず、女の子が生まれますし、妻はすぐに亡くなってしまいます。いろんな不幸とそれにもめげない農場拡大を彼は経験していったようです。それからしばらく、何十年かの歳月が流れます。
ジェシイの孫のデイヴィッドは十二歳になっています。母親はジェシイの娘、父親は銀行家です。裕福な家に生まれています。でも、家の中は、そんなに幸せではないみたいでした。
デイヴィッドはつねにおとなしい従順な少年で、長い間ワインズバーグの人たちからは多少頭が鈍いのではないかと思われていた。彼の目は鳶色で、幼い頃には、実際には何も目に映っているらしくはないくせに、じっと長い間物や人を見守っているくせがあった。自分の母親が人からあしざまに言われているのを耳にしたり、母親が父親を叱りつけているのを聞いたりすると、彼はおびえて逃げだし、物陰に隠れた。
神経過敏なところがある男の子が登場します。この孫と祖父のジェシイとがどう関わるか、これがこの物語の次なるステップです。いつも何かにおびえる子どもだったデイヴィットくんです。でも、祖父としては、待望の農園の後継者ということになりそうで、やがてこの子を引き取りにやってきます。
いろいろと妄想が広がるのは、おじいさんも、お母さんもそうで、デイヴィッドくんは、怖いものが見えると、見境なく逃げ出し、行方不明になるくらい暴走してしまうところがありました。逃げだしたら、戻ってこない性質を持っていたみたいです。
こう書いてみると、アメリカの、ごく普通の田舎町に住む親子三代の話という気もしてきました。そういうのをどうしてボクは読んでいるんでしょう。
この50ページほどは読んだんですけど、なんか面白いなと思ったのに、抜き出し、書き出ししてみると、そんなに面白くない気もしてきました。困りましたね。
続き、明日書けたら書きます。また挫折するかもしれないけど。
とりあえず、アメリカ中西部のあらくれ農場の雰囲気は取り出せたかな。実際に会ってみると、少し怖いんだけど、あの粗野なところ、ボクは好きでもあります。
この前テレビで見た「オズの魔法使い」はカンザスだし、ボブ・ディランはミネソだし、本人を見たこともないのに、本で読んだヤンキースのミッキー・マントルもそっちの方です。粗野なんだけど、人なっこい、底抜けに明るいところ(自虐的なところもある?)、みんな持ちながらやってる気がするんです。アメリカ東部のえらそうな人たちとは違うんですよね。