さて、宣長さんです。吉野川の右岸(北側)から左側、桜のあふれる町の吉野に行こうとしています。振り返って「さあ、あと少しで吉野だ」と思ってたかもしれない。
あなたの岸は。飯貝(いかい)といふ里なり。さて川べにそひつゝ。すこし西に行きて。丹治といふ所より。よし野の山口にかゝる。やゝ深く入りもてゆきて。杉むらの中に。四手掛(してがけ)の明神と申すがおはするは。吉野の山の口の神社などにはあらぬにや。
向こう岸は飯貝という集落です。川に沿いながら少し西に歩いていきます。
丹治という集落から、いよいよ吉野のお山の入口になるようです。吉野は杉の名産地で、深い森が広がっています。その森の中に、四手掛の明神というお社があって、吉野のお山の入口の神社ではないのでしょうか。いよいよ、気分は盛り上がってきましたよ。
されどさいふばかりの社とも見えず。この森より下にも上にも。このわたりなべて桜のいとおほかる中を。のぼりのぼりて。のぼりはてたる所。六田(むつだ)のかたよりのぼる道とのゆきあひにて。茶屋あり。しばしやすむ。
とはいうものの、吉野のお山の入口を示すお社というふうには見えません。もっと他にあるのでしょうか。とにかく、杉はたくさんあります。けれども、ところどころに光るサクラの花々があります。とても多いのです。道を上り、お山をめざして行きます。坂道の上に来たところで、六田(むつだ)というところから吉野へと通ずる道を見つけて、そこに茶屋もあり、しばらく休むことにしました。
この屋は。過ぎこし坂路より。いと高く見やられし所なり。こゝより見わたすところを。一目千本(ひとめせんぼん)とかいひて。大かたよし野のうちにも。桜のおほかるかぎりとぞいふなる。げにさも有りぬべく見ゆる所なるを。たれてふをこの者か。さるいやしげなる名はつけけんと。いと心づきなし。
この茶屋は、歩いてきた峠からもひときわ高く見えていたところで、ここから見渡す吉野の山を一目千本というふうにいってきたところのようです。それほどにすべてが見渡せる場所でした。
ここからたくさんの桜が見えるというふうに言われていますが、どうしてここを六田なんていう無粋な名前を付けたんでしょう。もう少しセンスのある地名にしてもらえたらよかったのになと思いました。
花は大かた盛りすぎて。今は散り残りたる梢どもぞ。むらぎえたる雪のおもかげして。所々に見えたる。そもそもこの山の花は。春立る日より。六十五日にあたるころほひなん。いづれのとしもさかりなると。世にはいふめれど。
またわが国人(くにびと)の。きて見つるどもに。とひしには。かのあたりのさかりの程を見て。こゝに物すれば。よきほどぞと。これもかれもいひしまゝに。その程うかゞひつけて。いで立ちしもしるく。道すがらとひつゝこしにも。よきほどならんと。おほくはいひつる中に。まだしからんとこそ。いひし人も有りしか。かくさかり過ぎたらんとは。かけても思ひよらさりしぞかし。
またわが国人(くにびと)の。きて見つるどもに。とひしには。かのあたりのさかりの程を見て。こゝに物すれば。よきほどぞと。これもかれもいひしまゝに。その程うかゞひつけて。いで立ちしもしるく。道すがらとひつゝこしにも。よきほどならんと。おほくはいひつる中に。まだしからんとこそ。いひし人も有りしか。かくさかり過ぎたらんとは。かけても思ひよらさりしぞかし。
花は盛りを過ぎていました。すでに花が散ったあとの枝もいくつかあるような感じです。ところどころに残雪が残っているような、まばらな印象です。
そもそもこの吉野のお山は、立春から六十五日めに毎年花の盛りを迎えると言われています。ということは、如月の終わりころになります。それで、私たちは弥生の八日を迎えていますから、ちょうどタイミング的にはバッチリだと思っていたのです。
私の地元の人からも、いろんな情報を仕入れて、松坂で桜の盛りを見て、吉野に行かせてもらえば、ちょうどいい頃合いになるでしょう、とたいていの人が言いますので、その頃を目がけてやってきた私たちでした。
こちらに来るまでにも、土地の人や出会った人にあれこれと聞いてみて、「よきほどならん(ちょうど見頃ではないでしょうか)」と言う人もあれば、
「まだしからん(盛りはまだではないでしょうか)」と言う人もありました。
そして、実際に来てみれば、もう花の盛りは終わってしまっていたとは、思いもよらないことでした。
ああ、せっかく満開の桜の咲く吉野のお山に来ようとしたのに、こうなっていたとは!
★ ああ、ザンネンです。宣長さん、ガッカリしていないで、もっと吉野のお山に入り込めばいいんですよ。落ち込まないで、先に進めばいい。
でも、楽しみにしていたものが、スルリと手元から抜け落ちてしまえば、喪失感は大きかったのかな。でも、そんなに観光したかったんですか。今まで十分サクラも見たし、楽しかったんじゃないの?
宣長さん、お酒飲んだんだろうか。黙々と文学散歩してたわけじゃないですよね。五七五でもひねればいいのに、そういうことはアホくさいとバカにしてたんじゃないですよね。