昨日、枯れてしまったカリンの木をガシガシと切ってしまいました。悲しい気持ちです。
どうして枯れてしまったんでしょう。私は、うちの奥に住んでいる人が怪しいと疑っていますが(変な薬剤を自分の敷地にはまいているようです。庭の草はすべて脱色されています)、そのおうちからカリンの木まではかなり距離があるし、いくらなんでも、うちのカリンだけを狙い撃ちにするわけはないから、たまたま枯れたのだと思われます。
去年は実がいくつか成って、いよいよ本格的にカリンが育ちだしたと思っていました。それなのに、今年まっ黒くなったまま一切葉っぱも花もなくて、どうしたんだろう、枯れた葉はついたままだけど、いつまで眠っているんだろうと思っていました。でも、すでに枯れていたようでした。
カリンは父から託された木でした。特に指示はなかったけれど、とりあえずあなたの家の敷地内に植えなさいと言われて、実家からクルマで運び、樹形は気に入らなかったけれど、とにかく何でもいいから実らせてと思っていました。
もう数年はうちの庭にあったと思います。いや十年くらいあったんだろうか。
きれいな木の形にはならなくて、枝が真横に伸びる木でした。
「そうじゃなくて、もう少しまっすぐ上に伸びてよ」と木に言い、伸びすぎると、今度は、
「そうじゃなくて、もう少しきれいに枝を伸ばしてよ。真横じゃなくて、斜めに広がるような形で木らしい形になってほしいな。」
と、木の都合を考えず、自分のイメージだけを押し付け、上だけを切ってみたり、横に伸びすぎた枝を切ったり、イメージの中の木にさせようとジタバタしていました。
それでも、昨年はいくつか実がなったので、少しずつ形になればいいやと思っていたこの春、突然カリンは枯れてしまった。
あまりに突然な感じで、よそでカリンの花が咲いているのを見ると、胸が痛くなりました。私の無理強いがカリンの命を絶ってしまったのかもしれない。私は、私の中の木のイメージだけを優先し、カリンという木がどんな木であるのかを知らなかった。
昨日、切った枝をゴミに出すために小さく切ろうとしました。通常の木ならハサミで切れる枝が、全く歯が立ちませんでした。仕方ないので、ノコギリで小さく小さく切った。
切りながら、こんなに硬い体をこの木は作っていた。それを知らずに、てっぺんだけを切り、頭を止めたつもりでいた。小さく庭の木らしくしたつもりでした。木の事情は一切無視していた。
以前うちにグミの木というのがありました。どんどん新しい太い枝が出てくる木で、予想外のところからものすごい太い枝がズンズンのびてくるので、これまた樹形にこだわる私は、あっちを切り、こっちを伸ばさせようとし、木の形を整えたつもりでいました。
この木も二階の屋根くらいになろうかというところで、たくさんの実をつけて、パタリと枯れてしまったことがありました。やはり、私の矯正がダメだったのかもしれない、そう思いつつも、「あれはそういう運命だった」とウソぶいてたりします。
切った切り株にトリのエサ台でも作ってしまえと、わけのわからないものを作ったこともありました。やがてそれもなくなり、あんなに大きな木があった空間はいまだにどの木も埋めることができていません。ブルーベリー、アジサイ、キンモクセイと、空間を埋めてもらうための木たちを庭に招いたものの、だれも昔の主であったグミの空間を埋めようとしていません。
木は何を思って成長し、どういうきっかけで枯れてしまうのか、私はまだまだつきあい不足です。木の気持ちを考えたこともなくて、適当に植え、適当に切り、適当にそのままにしている。
やはり、木の気持ちになって植え、育ててあげなきゃいけないのでしょう。花をつけたときだけ大騒ぎして、あとは知らんぷりで、肥料も上げず、手入れもしていない。
そりゃ木だって枯れたくなるかもしれない。
これから、私は木と対話できる人になりたいです。それには、少しの勉強と、手間ひまかけて育ててあげることと、妻任せにしないことと、すべてやれていないことをやらなきゃいけない。
妻は、「お父さん(私のこと)は木の花には興味はあるんだね」と言います。
そうです。木が花をつけると大騒ぎをする。草の花はあまり気にも留めない。この極端な態度もいけないな。すべての花にひとしく愛を! ……ああ、無理な気がする。
やれるところから、とりあえず伸びすぎた木を切って、ゴミに出して、たまには肥料かな。
★ カリンも枯れて、気に入ってたヒメシャラも枯れて、全然伸びなかった二十年もののレモンも枯れてしまいました。うちの庭で大きくなっているのは、ムクゲとウラジロガシだけです。何ということでしょう。(2020.7.18)