たぶん、これは初夏の室生寺の写真だと思われます。でも、この時、シャクナゲを見たのかどうか、それは記憶にありません。シャクナゲって、ツツジやサツキと同じように、私の印象は薄いんです。まあ、薄い私にあれこれ言われたって、シャクナゲは何とも思わないだろうけどな。
今朝まで、大阪の実家におりました。母と三日過ごしたことになりましたけど、母はいろんなことがうつろになっているようでした。
何事もハッキリしてるし、言いたいことは家族には言う人なんだけど、家族から言われたこととか、自分が言い出したこととか、さっきまで言ってたこととか、すぐに忘れてしまうようになりました。
ボケないようにって、日記を始めたのはいつだったかなあ。もう今では日記帳もどこかに行ってしまっているし、ものを書く道具もほとんどありませんでした。
母には、もう一度日記書いたり、あれこれものごとをメモすることって、大事なんじゃないかと思ったりします。
(朝の二月堂前のシカさんたちです。朝ごはんを黙々と食べていました。)
今の世の中は、メモらずに写真に撮り、あとで見直すとか、メールで送ってもらうとか、とにかく手先を動かさないことが主流です。たいていのことはメモしないでも、データは残っていることでしょう。
だから、私たちは益々スマホさんに頭があがらなくなるし、自分の日程もみんなスマホさんが知ってくれているはずです。
そのうちに、スマホさまが自分で判断するような時代がきたら、私たちはスマホさまの言うことを聞かないと、罰則を受けたりするようになるのかもしれないな。スマホさまは正確だし、何でも知ってるし、いろんなデータを世界と連携しながら動いているはずです。
うちのオカンの話でしたね。私だって、いろんなことはうつろになっています。二つのことは同時にはできなくて、一つのことさえまともにできないで、ついつい他方面に気は散ってしまうし、集中力がないのですから、オカンを責めるわけにはいきませんけど、何となくこの毎日の暑さを必死に避けて暮らしている母の姿が、健気であり、エアコンも節約しつつ、昼間は真っ黒のカーテンを閉めて、ドラキュラのように暮らす姿が、確かにそうなんだけど、どこのおうちも同じようなもんなんだけど、大変だなと思って帰りました。
とても暑かったのです。実家に行くまでのほんの少し、外を歩いただけで、もうかなり日を浴びて、外で作業したわけではないのに、手と目と頭と、鼻の先端まで日焼けして、帰宅してからもずっとヘロヘロでした。
明日から、もう少し生活を改め、建設的にやってこうと思いますが、家にいると、ついついダラダラになりそうで、何だか怖いです。
気を引き締めて、明日からも過ごします。そう、昨日あたりからジンジャーの花が咲いたようです。二年連続でジンジャーの花というのを見せてもらっています。何となく南国風で、それはおもしろいんだけど、こんなのがドンドン出てくるというのは、温暖化なんじゃないの? と怖くなってしまいます。